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プレッシャー

九月だというのに、ベルギーは暑さが戻ってきて、最高氣温が30-32度くらいの日々が続いています。
みなさまはいかがお過ごしでしょうか。


みなさんはどんなプレッシャーがありますか。

わしは、小学校高学年の頃に母親が癌を宣告されてから、中学、高校、大学、とずっと見えないプレッシャーを感じてきました。今もあります。

小学高校学年の頃は、母親が病氣だから、家ではあまり話さなくなったように思うんです。以前は、学校での出来事を話したりしながら、学校でのストレスとかを家に持ち込んでいたんでしょうね。でも、そういうことを一切しなくなったんです。家の中に、なんかしらのプレッシャーを感じていました。そういう空氣が流れていたんですよね。10歳、11歳の子供なりに、かなりの氣を遣っていたと思います。
(その代わりに、学校生活に反動が出て、小学六年生の時はかなり問題児だったと思います。先生の言うことを聞かなかったり。)

中学一年になって母親が死ぬと、「片親だから生活態度が悪い、成績が悪い」とか言われたくないと思って、校則に忠実に従ったり、成績も上位の方に入るくらい徹底して勉強していました。一年の時は風紀委員、二年で生徒会副会長、三年で生徒会会長になりました。生徒会会長になると、全校生徒千人の前でスピーチをしたりするので、生徒や教師からも"いつも見られている"とさらにプレッシャーを感じるようになりました。

高校生になってからはあまり目立たないように振る舞っていたのですが、演劇部で舞台に立つようになるとまたプレッシャーを感じるようになりました。"みんなに見られている"と。

大学生になってからも、引き続きあまり目立たないようにしていましたが、教室の中ではどうやら異質の存在だったようです。元々正義感が強かったので、それがプレッシャーとなっていたかもしれません。それで、例えば、講義にいい加減な態度で臨む教授には、意見を言いに行ったり、意見書を書いたりしたものです。みんなが言わないのなら、わしがみんなを代表しなければならないと。


そのな大学生活をしていたある時、大学で友人と話していたら、

わしに対する自分の認識と他人の認識が全く違うことがわかったんです。

わしはいつもいつも自分自身を恥じていて、周りに上手く溶け込めなくて、とても不器用な人間だと思っていました。けれど、その友人が言うには、キャンパスを颯爽と歩いているわしが憧れだったのだそうです。もちろん、お世辞もある程度含まれているとは思いますが。

そう、自分の世界の中で自分自身を恥じて、自分で自分に対するプレッシャーを作り上げていたんですよね。

今でもそういう傾向があるんです。
だから、いつも「恥にならないような振る舞いをしなければならない」と自分にプレッシャーを与えています。ある程度のプレッシャーは良いかもしれませんが、過度になるのは健康的ではありませんよね。

例えば、子供の頃からいつも馬鹿にされてきたから、容姿には全く自信がないんです。今の体型からは想像できないかもしれませんが、当時は「デブ」とからかわれたこともあります。だからせめて馬鹿にされないように、着るものに氣を遣ったりしてしまいます。本当は誰も氣にしてないんでしょうけれど。
だから、外に出ると、見られていないのに、いつも周りに見られているように思えてきてしまい、地面ばかり見て歩く傾向があるんですよね。

このプレッシャーって、自分自身が作り上げているだけで、実際は存在しないはずなんですよね。そう分かっていても、ついつい作り上げてしまうんです。It's automatic.なんです。

みなさんにもそんなプレッシャーがあったりしますか。


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