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大学4年次の就職活動を思い出してみる。

わたくしは1998年に大学を卒業しました。

当時は経済的に大氷河期と言われ、大学生一人が一つの内定さえもらうことができない時でした。
また、就職したとしても、不況の中で会社が倒産し、職を失う者もありました。

わたくしの同級生の中には、就職が困難であることを理由に、大学院進学を決めたり、わざと留年する人もいました。そうすれば、また新卒者としての就職活動ができますからね。


わたくしはというと、

周りの皆が就職活動に右往左往している間の6月には、出身高校で教育実習をしていました。呑気だと思われていたでしょうね。教職課程を履修していて、この教育実習は教員免許を取得するための必須科目だったので、何としてでも行こうと決めていました。

さあ、それも終わって、就職活動を始めるわけですが、どの業種に行くのか全く決められずにいました。以前から興味のあった職業といえば、アナウンサー客室乗務員教員でした。どれもハードルの高い就職先ばかりだし、業種が全然違う。。。おーのー。

アナウンサーについては、

とりあえず、応募するだけ応募してみました。ダメもとです。NHK、TBS、ニッポン放送、東海ラジオなどなど、いくつかの放送局に。書類審査に通り呼んでくれたのはNHKと東海ラジオでした。NHKの試験は渋谷の放送局で行われました。心の中で「わぁ、この人、テレビでいつも見てる〜」とワクワクしながら、アナウンサーによる原稿の音読試験でした。東海ラジオは名古屋の放送局にて。こちらもいきなりアナウンサーによる原稿の音読試験でした。
周りの受験生の方々の力の入れようは凄まじかったです。たいていみんな、アナウンサー養成学校とかに行って、発声とかイントネーションとか、すでにいろいろと訓練済みなんですよね。圧倒されたのを覚えています。

教員については、

まずはとにかく地元県の教員採用試験を受けました。当時はまだまだ倍率が高くて、難関でした。不況ということもあり、本来教員志望じゃない人も「公務員だから」という理由でたくさん受験していたと思います。警察官志望じゃないけど「公務員だから」警察官を志望するのと同じ感覚です。
しかし、わたくしは、暗記が本当に苦手なんです。教員採用の筆記試験は、「教育法」の穴埋めとかいろいろ、もう無理って感じでした。それ以外では、大学の就職課に張り出されている求人を探して、私立の中学や高校をいくつか受験しました。明星学園とか法政女子高校とか湘南なんとか高校とか。私立の学校は「教育法」とかの暗記物の試験はなくて、自分が志望している科目についての試験が中心でした。わたくしの場合は英語科教員だったので、英語の筆記試験と実技面接日本語で志望動機などのよくある面接試験がありました。

客室乗務員については、

当時、日本ではスチュワーデスという職業名が使われ、女性の仕事だとされていました。看護婦と同じ感覚ですね。日本航空も全日本空輸も男性客室乗務員は採用していませんでした。日本の大手の航空会社で男の人が客室乗務員になるには、日本航空なら「総合職客室系」という客室乗務をしながら総合職を務めるという職を目指すしかありませんでした。それ以外では、男性日本人を採用する特定の外資系航空会社の、不定期な求人をじっと待つしかありません。それでもアジア系の航空会社はキャセイパシフィック航空を除き、応募条件に「女性であること」と書かれていました。

当時はまだインターネットが世の中に出始めた頃で、外資系航空会社の求人はThe Japan Times紙の月曜版に掲載されていました。なので、大学4年の夏頃からチェックするようにしました。アンセットオーストラリア航空の募集を見つけて、応募しました。この航空会社は倒産して今はもう存在しませんが、当時は関西国際空港に乗り入れ始めた頃で、日本人客室乗務員は香港ベースで働いていました。残念ながら、書類試験が通らなかったようです。次に見つけたのが、ブリティッシュエアウェイズでした。書類審査に通り、東京のどこかの試験会場に行ったのを覚えています。試験の流れの説明の後、身長を測り、受験生一人と日本人と英国人面接官による面接がありました。一つだけ今でも覚えている質問は「日本とイギリスの似ている点と異なる点は何だと思いますか」という英語によるものでした。
それからさらに見つけた求人は、サベナベルギー航空でした。この航空会社も今はもう存在しません。倒産してしまいました。書類審査に通り面接に呼ばれたものの、面接日が卒業旅行の真っ最中ということで、こちらは辞退しました。
あと、もう一つ、受けたのは、日本アジア航空でした。この会社も今は存在しません。日本航空の子会社で、国交のない台湾に乗り入れるために設立された航空会社でした。こちらも書類選考を通過したのですが、第二回目の卒業旅行中に試験日がバッティング。こちらも辞退しました。日本では珍しく、男性客室乗務員を採用している会社でした。


アナウンサー・教員・客室乗務員はとてもハードルが高いし、

航空業界にも興味はあるけれど不況で日本航空でさえ総合職の新卒採用をしなかった、そんな状況の中でどうしたらいいだろうか、と考えた時に、「せめて今まで一生懸命に勉強してきた英語を活かせる職場で働こう」という結論に達したわけです。
そんな中で、就職課で見つけた求人で、マレーシア国営石油会社(=ペトロナス)の100%出資の子会社を見つけました。日本ではペトロナス・ジャパンとして、本社ペトロナスの日本での窓口になっていました。そこに応募すると、面接に呼ばれ、あっけなく内定が出ました。「え、これでいいの❓」面接一回だけで決まったんですよね。この会社もすでに日本から撤退しています。

そんなわけで、そのペトロナス・ジャパンに新卒入社することになったのでした。


つづく


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