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夫婦茶碗とアンチ・オイディプス

ある日のこと、うちの店に来たお客さんが、長い間気付かなかった身近な出来事として、夫婦茶碗について話し始めた。僕がカフェ・ラテを用意している短い間の出来事だ。

彼は最近、家で使っている夫婦茶碗のサイズが少しだけ違うことに気付いたという。自分が使っている茶碗の方が奥さんのものよりも大きく、奥さんの方が小ぶりだったそうだ。彼は僕よりも少し上の世代で、結婚して何十年も経っているのだろう。結婚式で記念にもらった夫婦茶碗のサイズが違っていることに、長い間気付かなかったと。

「そんなこともあるんですねぇ。。」と僕は相づちを打った。

その話を聞きながら、僕は『アンチ・オイディプス』のことを思い浮かべていた。つい最近、正確には前の晩、『アンチ・オイディプス』という言葉と出会ってから何十年も経ち、その意味に長い間気付いていなかったことに気づいたからだ。

『アンチ・オイディプス』は1972年に哲学者ジル・ドゥルーズと精神分析家フェリックス・ガタリが発表した哲学書で、約30年前、僕が大学生だった頃に哲学書の名著としてよく取り上げられていた。

タイトルに含まれる「オイディプス」とは、19世紀の心理学者ジークムント・フロイトが提唱した「エディプス・コンプレックス」という概念を指している。この学説に対する反論が『アンチ・オイディプス』という哲学書である。

こうした概要については当時も何となく知っていたが、実際に分厚い哲学書を読むことはなく、ただその本が最先端の書物であることを知っていただけだった。

エディプス・コンプレックスとは、フロイトが提唱した、男児が母親に性愛的感情を抱き、父親に敵意を持つという無意識の心理状態を指す。ギリシャ悲劇「オイディプス王」から名付けられたこの理論は、フロイトが神経症の主な原因と考えたものである。

フロイトの有名な点は、このような無意識という存在に心理学の視点から焦点を当てたことにある。

意識が自覚できる心の領域に対して、無意識とは自覚できない抑圧された心の深層を指し、過去の経験や体験によって作り出されるものだとされる。そして、人間の行動は無意識にある欲求や願望によってコントロールされているという考えを広めたのだ。

当時、僕も親子関係や対人関係などに悩みを抱えていた。そんな悩みに対して、フロイトの理論は「無意識の抑圧が原因だ」と説明してくる。

仮にそれが正しかったとしても、意味があるのか。正しいかどうか実証できないし、知ったところで状況は何も変わらない。さらに、他人の悩みや状況を勝手に意味付けするという余計なお世話的な世界観には強い嫌悪感を抱いていた。いくら権威のある学説でも、認めたくなかったのだ。

そして、時は現代に戻り、最近、X(旧Twitter)を見ていると、「中高年の男性がピアスをするのは心の危機の表れだ」という投稿が目に留まった。

僕自身はピアスをしないが、こうした無意識への勝手な意味付けに対して、若い頃に感じた嫌悪感と同様のものを感じた。とその瞬間「ああ、これはあのときのフロイトに対する憤りと同じものだ。」と気付いた。

そうか、無意識を勝手に意味付けすることはフロイトが始めたことか。だとすれば、僕はその姿勢に徹底的に異を唱えなければならない。そう、「アンチ・フロイト」だ。

待てよ、どこかで聞いたことのあるフレーズだな……。フロイトについて、アンチについて・・・『アンチ・オイディプス』!

そうか、長らく心理学の権威が唱えた「エディプス・コンプレックス」という考え方に真っ向から反論していたから、当時名著と呼ばれていたのか。

自分の中の反フロイト的な立場と、『アンチ・オイディプス』が述べているであろう反フロイト的な立場が類似しており、当時の僕の憤りを、時代の名著が援護射撃してくれていたことに、長いこと気付いていなかった。そう、お客さんの彼が夫婦茶碗の大きさの違いに気付いていなかったように。

「・・・なんてことがあったんですよ。身近にある盲点もあるものですねぇ。」

そんなふうに僕から話を振ることもなく、彼はいつものようにカフェラテを片手に目の前から消えていった。



参考)

アンチ・オイディプス - Wikipedia

ジークムント・フロイト - Wikipedia

エディプスコンプレックス - Wikipedia

フロイトが確立した「無意識」とは?3つの領域のについて解説


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