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皿のような目で、世界を見て

「会社から2時間以上かけて歩いて、ようやく渋谷に着いたよ」

17時すぎ。電話口から、くたびれた父の声がする。

「東北が大変みたいだね。今日は、東京も電車は全線動かないんだって。だからパパは歩いて帰るね。ここから家まで、何時間かかるかわからないけれど…」

受話器に耳を押し当てながら、私は横にあるテレビの方を向いている。「緊急ニュース」。三陸の海。指先が、しんしん冷えていた。

中学時代の記憶は、全体にぼんやりしている。けれど中学生3年生の、3月11日の夜。やっとつながったのであろう父からのその電話に、「ああ、そう」と返事をした自分の声は、よく覚えている。

「ママにも伝えておくわ。じゃ」

私は電話を切って、自宅の2階にいた母に、内容を伝えた。そして、テレビの前に戻った。明け方近くになってようやく帰ってきたという父は、私の応対について「すごく冷たくて、さみしかった」と言っていたそうだ。あとで、母がこっそり教えてくれた。

「お疲れ様」「気をつけてね」「がんばってね」「待ってるから」

こういった言葉がなぜ出てこなかったのか、わからない。大変な状況の中で、言葉なんて意味がないと思ったから? いいや。しんどいときほど、言葉が「実際に」役に立つことくらい、私だって知っていたはずだ。

「テレビの映像を見ていて気が動転していた」とも言える。まったくもって嘘ではない。でも結局は、私がとても未熟だったせいで、あんな態度になった。父の身に何が起きているのか、細かく想像する感性を持ち合わせていなかったから、すぐには寄り添えなかったのだ。

父には、20代も半ばになって、ようやく謝ることができた。「ああ、そんなこともあったね」と、笑ってくれた。

今なら、想像がつく。

父はきっと、東名高速の高架をたどってひたすらに歩いたのだ。高架下の閉塞感。細長いビルが所狭しと並んでいて、息がつまっただろう。進むにつれて増える緑は、不安げに揺れていただろう。歩けば歩くほど重くなる足。冷えてくる空気。じわじわと、上のほうから暮れてくる空。足指からかかとまで、足の形がくっきりわかるほど、疲れがパンパンに溜まって――。

こんなふうに父の目線で想像できるようになったのは、私がたくさんの「景色」を貯蔵してきたからだと思う。

大学時代。浜松で餃子をたらふく食べたあとに、星がキレイに見えるところを探して歩いた、あの田んぼ道。四谷のマンションで一人暮らしを始めた頃、せり上がるような孤独に泣いた湯船の中。恋人と「東京タワーを見たい」と言い合って、缶ビールとチキンナゲットを携えて散歩した夜。タクシー代がもったいないからと、マフラーを口元まで巻き、ミスチルを聞きながらひとり歩いた冬の2時。本の中の景色だってそう。たとえば『キッチン』の中で、恋人の田辺くんにカツ丼を届けようとしながら見上げた、目を見張るほどの深夜の満月。

こういうなんでもない、小さな景色の断片が、コラージュのように集まって想像力をつくる。想像力とは、自分が見ていないものをありありと「目撃」させてくれる力だ。それが、遠い状況下にいる誰かに寄り添える感性をつくってくれる。

見たことない景色を探して歩く。小さな景色の断片を集める。それが、人を大切にすることにつながると私は思う。

もうすぐ、あれから13年が経つ。

随分といろんな場所を歩き、いろんな景色と出会ってきた。たくさんの人と会って、あちこち旅をして、わんさか本を読んだ。いつも「見たことない景色を見たい」と思いながら。別に遠出する必要はない。目を皿にして、すべてを“取材”すれば、いつもの街にも、見たことない景色は転がっていることを知った。これからも根気強く、自分の想像力をつくっていきたいと思う。

2024年。つらい、悲しい年始だ。昨年の2月に輪島へ行って、職人さんの手仕事を見せてもらったばかりだった。繊細で、艶やかで、見事で。心臓がぎゅうぎゅうしている。

世の中が衝撃に包まれる中、Xでは「挟まれています」「救助依頼」 のフェイク投稿が大量に上がって、情報が錯綜していた。インプレッション稼ぎが目当ての虚偽投稿だという。あまりに悔しくて、だから、こんなnoteを書いてみたくなった。

「想像は想像に過ぎない」と言う人もいるかもしれないけれど、私は、その力を信じている。

今夜は、『想像ラジオ』を読み返そう。


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