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スマホ料金を考える視点 〜高いのか安いのかを見極める〜

菅官房長官の発言をきっかけに、日本のスマホの料金が高いのか安いのか、という議論が起きている。「官房長官が高いと言っているから高いのだ」式の受け止めかたでは「ワンフレーズ・ポリティクス」ないし「シングルイシュー・ポリティクス」的な底の浅い話に堕してしまうように思うが、本記事の実積教授が提起しているように、きちんとした議論で、改めてスマホの役割や重要性の大小などを浮き彫りにしていくことを様々な人がそれぞれの立場から提起をするのであれば、好ましく有意義なことだと思う。


もし、私なりに何かをこの議論に付け加えるとするなら、この20年で携帯電話が社会生活においてどのような役割を果たすようになり、それに伴って、家計支出の中で、また社会全体の仕組みの中で、携帯電話料金がどのような意味を持つに至ったか、という視点で、議論の材料を提起できればと思う。


約20年前にiモードを始めとするケータイwebが出現し、それが約10年前からはスマホにとって代わられた。この間に起きている変化の一つに、メディア接触・情報取得の変化がある。年齢が若い人ほど、テレビや新聞、雑誌などのメディアを購入する代わりに、携帯電話で情報を得るようになった。当初は技術的な制約もあって文字情報が中心であったが(初期のiモード端末がモノクロ液晶であったことをご記憶だろうか)、次第に画面がカラー化・大画面化し、また通信方式もいわゆる2.5Gから3Gそして4Gへと変わる中で高速大容量の通信が実現したことによって、今日では文字や写真だけでなく動画による情報も携帯電話で当たり前に取得するようになっている。(拙速を重視して、各種裏付けデータを付すことを割愛することをお詫びします)


これは、別な言い方をすれば、それまでメディアに購読料や視聴料として払っていたお金が、携帯電話料金に移行してきていることを意味する。概算で言えば、新聞代として月に4,000円、雑誌代が2,000円、NHK(地上波のみ)受信料が1,500円と考えると、1世帯あたり月額7,500円分ほどがいわゆるマスメディアに支払われてきたが、それが徐々にスマホ経由にシフトし、コンテンツ料として携帯電話料金の一部に含まれている。NHK受信料など、携帯電話の動向と関係なく別個に課金されているものもあるが、1世帯あたり大人が2人強、携帯電話のコンテンツ料へ移行したものが半分と考えても、1人当たり1,500円程度は、iモードの初期よりも携帯電話料金としてメディアコンテンツの購入に支払っている金額が増えていてもおかしくない、という計算になるのではないだろうか。


そして、ここまでは、いわゆる「情報流通のインターネット」の話であり、始まりつつある「価値流通のインターネット」となると、さらにスマホが果たす役割は変化していき、それに伴って、その料金に対する考え方も変化していくはずだ。


一例を挙げると、いわゆる「キャッシュレス社会」となり、現金を利用しなくなる代わりにスマホでお金という価値をやり取りするようになった場合、そのコストをどう考えるべきなのか。例えば銀行は、ATMを設置し、そこに現金輸送車でガソリン代をかけ警備員を雇い保険をかけて現金を運び、防犯対策のされた建物にATMを設置するというコストをかけている。その代わりに、預金者に対してATMの利用手数料を徴収してきた、というのが現在までのビジネスである。これがキャッシュレスになり、ATMがスマホにとって代わられて、ATMにまつわる様々なコストが不要となるなら、これまで徴収されてきた手数料がなくなるのはもちろんだが、仮に預金の利率が変わらないとするなら、個人が費用を負担して購入しているスマホの端末代金に銀行が「タダ乗り」することにはならないか。そうであるなら、銀行が契約者に対して応分のスマホ代金の負担をするのが順当、ということにはならないか。(実際には、預金利率のアップといった形になるのかもしれないが)。


同様に、(ネットで予約しても)紙のチケット券売機で購入することが原則となる新幹線をはじめとする鉄道のチケットも、個人のスマホで予約から購入まで完結するのであれば、券売機やみどりの窓口といったものが不要になる。その時に、スマホの購入代金の一部を利用者に還元する形で料金が安くなるのが順当ではないのか。


実際に欧州などでは、高速鉄道(特急列車)を中心に、チケットの「スマホ化」が進んでおり、チケットの予約購入から改札・検札まで、個人のスマホで完結する。日本は残念ながらその面で大きく遅れており、このような状況にはなっていないが、働き手が不足するという我が国の状況からしても、早晩そのような方向に行かざるを得ないし、そうなれば、個人のスマホが企業の設備投資や人件費を肩代わりする、といった側面が増えてくるだろう


そうであるなら、設備投資や人件費分が何らかの形で還元され、家計的にはそれとスマホ料金が相殺される、ということは、考慮しておくべきだと思うし、先に指摘した情報取得の経路がスマホにシフトすることによる料金アップと、その反面でメディアへの直接の支出の低下なども合わせて、家計への影響を考えておく必要があるように思う。


このように考慮する対象の範囲を広げてしまうと、理解と判断がしにくくなるという難点はあるが、そのくらいスマホの社会生活における位置付けはケータイwebの時代とは比較にならないほど重要性を増しており、これからしばらくは一層そうなっていく。その中で重要なものにそれ相応のコストが発生することもまたやむを得ない一面があるのではないか、と思うし、そのコストの単純な他国との比較の議論ではなく、誰がどうそのコストを負担すべきなのか、単に消費者と通信事業者だけを対象として見ることは、そろそろ実情にそぐわなくなりつつあるのではないか、という気がする。

COMEMOより転載)

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