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ボクとピーターのエミー賞

「アル・ユ・ストレント?」「アル・ユ・ストレント?」

1986年1月15日、カルカッタ国際空港。さっきからインド人の税関職員がしつこく質問を繰り返している。ところが、ボクには彼が何を言っているのか、さっぱりわからない。

「アル・ユ・ストレント?」「アル・ユ・ストレント?」

・・・お手上げ状態のボクの額にいよいよ脂汗がにじんできたそのとき、後ろに並んでいたカナダ人が “ Are you a student? ” と、耳にやさしくて美しい、そしてなんとも懐かしい感じのするきれいな英語で尋ねてくれた。それは、とてもショッキングな出来事だった。氷塊が一気に溶けるというか、泥の中からダイヤモンドを一瞬で洗い出すというか、とにかく雷で打たれたような衝撃だった。

訛っても、冠詞がなくても自信満々で英語をまくし立てるドヤ顔のインド人。流れるような、優しく美しい英語をボクに届けてくれた観音様のようなカナダ人。このコントラストは、その後のボクの英語に対する考えを決定づけた。

厚かましく開き直ってしゃべればいいじゃないかという「泥」の部分が半分と、でもどうせならネイティブな発音ができたほうがカッコイイよねという「ダイヤモンド」の部分が半分。この両者によってボクの英語観は形づくられている。

校長になると、あいさつの機会が多くなる。平成30年度の1年間だけでも、ボクは40本のあいさつ原稿を作成している。原稿のないあいさつを入れるとその数はさらに跳ね上がる。中でもつらいのは、国際交流や研修旅行などでの、英語のあいさつだ。

ボクはもともと地理の教師なので別に日本語で済ませればいいのだけれど、そこはやっぱり「泥」の部分が顔を出す。せっかくの機会なのだから、訛ってても文法がちがっても、英語でしゃべってみたくなるのだ。

校長になってはじめての英語のあいさつは、2年前のマレーシア・シンガポール研修旅行だった。交流先の学校に到着するまでのバスの中が勝負だったが、ガイドさんが親切に話しかけてくるので全然練習ができない。このときばかりは、さすがに親切というものを恨んだ。

予想をはるかに上回る現地の生徒数と壮大な歓迎に怯みながらも、なんとか原稿を見ずに最後まで話した。その夜、エレベーターに乗り合わせた生徒たちから、「校長先生のあいさつ、すごくよかったです」と褒めてもらったのだが、そのときは、何がすごくよかったのか訊くのを忘れるぐらいうれしかった。

「泥」の英語はなんとかなった。では「ダイヤモンド」のほうはどうなのか。

それに挑戦しようとしたのが昨年の12月だった。オーストラリアの生徒たちがやってきて、体育館で歓迎のあいさつをする。

原稿の中身は前年と同じだが、どうすればもう少しカッコよくしゃべれるか考えた末、ボクは英語をしゃべる男優の表情を真似るという暴挙に打って出た。そこで目をつけたのは、名脇役として名高い米国の俳優、ピーター・ディンクレイジである。

軟骨発育不全による小人症で、身長は132cm。主役を演じることはないが、その演技力の評価は高く、テレビ業界最高の賞といわれるエミー賞ではすでに3度も助演男優賞を獲得している。というか、ボクがたまたま見ていたテレビドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』で唯一真似ることができそうなのが彼だった。

2018年12月10日、○○高校体育館。ちょっと恥ずかしいし、全然似てもいないけど、ボクは全校生徒とオーストラリア生徒の前でピーター風の表情であいさつをしてみた。

学校を出るまで誰からも、何の反応ももらえない。いや、むしろそれが普通だと思う。

ところが、その日の夜に催された懇親会で、AETのエミー(Emy)先生がボクに近づき、「アイ・ライク・ユア・イングリッシュ」と言ってくれたのだ。

わかります? この喜び、わかります? その言葉は、ボクの一生の宝物で、ボクはそのことを密かにエミー(Emy)賞と呼んでいる。

さて、『ゲーム・オブ・スローンズ』のシーズン8(最終回)が終わった今秋、ピーター・ディンクレイジは4度目のエミー(Emmy)賞を獲得した。ボクが彼の受賞をまるで昔からの友人のように喜んだのは言うまでもない。

2019/10/10
「校内英語スピーチコンテストに寄せて(巻頭言)」より


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