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鶯の巣 第12話 茜④

 差し込む朝日が目にしみる。仕事が休みだというのに、心も身体も重い。もう朝なんだ。私は日の光を避けるために、布団を被った。ベッドから出る気になれないのは、外の空気が冷たいからだけじゃない。
 英雄くんが昨日、男の家に泊まって、帰って来なかったからだ。前から恋人の影は感じていたけれども、まさか水野さんだったなんて盲点だった。
 私も何回か会ったことはあるが、優しい雰囲気の良い人だ。子どもがいるから、ゲイじゃないと思っていたのに。その反証が目の前に二人もいるにも関わらず、無視していたのは、その事実を直視したくなかっただけなのだろうか。
 いや、そうじゃない。子連れの男同士が仲良くしているからって、恋人同士だと思うのは、いくらなんでも飛躍し過ぎだ。そう、友だちの家に泊まるなんて、いたって普通のこと。それに「水野さん家の息子さんが、英雄くんに懐いている」っていうのも、彼から聞いている。もしかしたら、その子から「泊まって欲しい」ってせがまれたのかもしれない。彼は優しいから、断れないだろう。
 でも、水野さんは、幸一郎くんになんとなく似ている気がする。それにフリーランスだからだろうか。幸一郎くんと違って、世間の目を気にするところがない。奇異の目を向けられても、平然と愛を貫きそうだ。英雄くんは押しに弱いところがある。そんな情熱を見せられたら、私たちの元を離れて、水野さんのところへ行ってしまうかもしれない。
 とはいえ、英雄くんを止めることは難しいだろう。今だって、公然と彼を縛れるものは何もない。私たちは英雄くんの気持ちに甘えているだけだ。彼が実際には何の足枷もないことに気づいたら、きっと羽ばたいていってしまう。
 その時、私と幸一郎くんの関係は、どうなってしまうんだろうか。悠一を授かってから、ずっと今の状況だ。私たちの家族は、英雄くんがいる前提になっている。物理的にも、精神的にもだ。悠一も彼が急にいなくなったら、悲しむだろう。
 はぁ。何度ついたかわからないため息が、またひとつ増えた。九割の悲観と一割の楽観が、頭の中をグルグル回る。でも、事実がわからないのに、答えなんて出る訳がない。
 私は目覚まし時計を手に取り、確認する。もうそろそろ十時だ。いい加減、寝ている訳にもいかない。意を決してベッドから出て、身支度を整えると、私はキッチンへ向かった。
 ドアを開けたら、エプロン姿の幸一郎くんがテーブルの上を拭いていた。私が入ってきたのに気が付いたんだろう。手を止めて、私の方を向く。
「茜ちゃん、おはよう」
「おはよう」
「なんか、疲れてるみたいだね。最近、仕事忙しいの?」
 英雄くんのことばかり考えていて、寝られなかったのを正直に言うのは、流石にデリカシーがないだろう。
「大丈夫。ちょっと昨日、寝るのが遅くなっちゃっただけだから」
「そう。朝ごはんは食べられそう? 英雄がいないから、たいしたものないけど」
「英雄くん、まだ帰って来てないの?」
「うん。さっき連絡があって、帰って来るのは午後になるって」
 午後まで帰って来ないんだ。実家にいる頃、両親が私の帰る時間にうるさく言うのにうんざりしていた。けれども、自分が待たされる立場になって、その気持ちが初めてわかった気がする。
 英雄くんはこうやって、徐々にこの家にいる時間を減らしていこうとしているんじゃないだろうか。
 私は再び片付けをはじめた幸一郎くんの顔を見る。彼はこの状況に何も感じていないんだろうか。仮にも恋人だった相手が、他の男と一晩を共にしたというのに。男同士って別の相手がいても、気にしないものなんだろうか。それとも幸一郎くんって、意外に薄情?
「ねぇ。幸一郎くんは英雄くんのこと、もう好きじゃないの?」
 しまった。私は二人が付き合っていたのを知らない設定だったのに、つい口が滑ってしまった。だが、動揺している私を他所に、平然とした顔で幸一郎くんは答える。
「もちろん好きだよ。英雄は僕の人生の中で、一番大切な存在だからね」
 私の胸がチクリと痛む。悠一が生まれても、私は幸一郎くんにとって一番の存在じゃないんだ。そんな私の気持ちなんて無視して、彼は言葉を続ける。
「でもね。だからこそ、英雄には幸せになって欲しいんだ。けど、僕には茜ちゃんと悠一がいるから、本当の意味でそれを与えてあげられない。だから、あいつを幸せにしてくれる人がいるなら、僕は全力で応援したいんだ」
 もう、敵わないな。私は自分の感情に振り回されていた。けど、幸一郎くんは英雄くんの幸せを最優先できるんだ。でも、あまりにも優等生な答えに、私は意地悪したくなった。
「それにしても、英雄くんが一番大切だなんて、酷くない?」
「もちろん、茜ちゃんと悠一は別格だよ。でも、英雄がいなかったら、僕たちの家族は今の形をしていなかったでしょ」
 幸一郎くんの声が、急に表情を失う。顔からは、笑顔が消えていた。私のことを突き刺すような眼差しだと思うのは、被害妄想だろうか。もしかして、彼はーー。いや、そんなハズはない。私が神経質になり過ぎているんだ。私と幸一郎くん、英雄くんと悠一の四人で家族。それは事実だ。深い意味なんてない。
 凍りついた沈黙を掻き消すように、電話のベルが鳴り響く。私は立ち上がって、電話を取った。
「もしもし」
「もしもし、茜さん?」
 お義母さんだ。後ろでは、ざわざわと音がしている。それにしても、こんな時間になんだろうか。
「はい、茜です」
「幸一郎は家にいるかしら」
「はい、いますよ。どうかされましたか」
「そう、良かった。私、駅にいるの。今からそちらへ伺おうと思って」
 えっ? この人は急に何を言ってるんだろう。っていうか、駅ってどこの駅?
「駅って、どちらの駅ですか」
「はぁ? ○◯駅に決まってるじゃない。じゃあ、また後で」
 電話はガチャリと切れる。◯◯駅って、家の最寄り駅じゃん。ってことは、あと十分もしないうちにここに来る。やだ、どうしよう。幸一郎くんがのんきな声で、私に尋ねてきた。
「誰だった?」
「幸一郎くんのお母さん」
「えっ? 何だって」
「今から来るって」
「はぁ?」
「◯◯駅にいる、って言ってた」
「今、電話してきたってことは、十分もかからないよね」
「奇遇ね。私も今、同じこと考えてた。流石にこのままお迎えする訳にはいかないから、手伝ってくれる」
「わかった」
 その言葉を合図に、私たちはお義母さんが来ても大丈夫なように、大急ぎで準備をはじめた。
 それにしても、英雄くんが家にいる日じゃなくて良かった。彼がいたら、何を言われるかわかったもんじゃない。
 なんとか見られるようになった所で、玄関のチャイムが鳴った。私と幸一郎くんで揃って出迎える。お義母さんは手に持っていた紙袋を幸一郎くんへ差し出す。
「幸一郎、元気そうね。最近、全然家に顔を出さないから心配したの。はい、これお土産」
「いらっしゃい、母さん。来るなら、もっと早く言ってくれたらいいのに」
「息子の家なんだから、母親がいつ来ても構わないでしょ。それとも来られちゃ困ることでも、あるのかしら?」
「そんなことないけど。僕も、茜ちゃんも、忙しいんだから」
「あなたはいつもそう。独身の時から、母さんが家に行きたいっても、いっつも忙しいって。一度もここに来たことなんて、なかったわ」
 幸一郎くんがお母さんを家に呼ばなかったのは、英雄くんが住んでいたからだろう。昔も、今もそれを知られて良いことは、ひとつもない。
「悪かったよ。でも、流石に最寄りの駅に着いてから、連絡してくるのは止めてくれない。こっちも準備があるんだから」
「別にいいじゃない。にしても、幸一郎。あなた、その格好は何?」
「何か変かな?」
「男の癖にエプロンなんて。私の時代じゃ考えられない」
「僕たちは共働きなんだから仕方ないでしょ。最近はこんなもんだよ」
 お義母さんの視線が私を捕らえる。嫁失格。そう言いたげだ。
「そう言えば、茜さん」
 嫌な予感がする。なんだろうか。
「幸一郎じゃない男の人と一緒に歩いてた、って話を聞いたんだけど」
 きっと英雄くんのことだ。なんて言ったら、いいんだろう。私は幸一郎くんの顔を見る。すると、彼がフォローしてくれた。
「それ、僕の友だちだよ」
「友だちねぇ」
 お義母さんは何か言いたげだ。キッチンに入り、お義母さんは椅子に座った。ちょうど悠一が起きていたので、お義母さんに抱っこしてもらう。お義母さんは悠一の顔をまじまじと見て、言った。
「久しぶりに見るけど、悠一はあんまり幸一郎にも、茜さんにも似てないわねぇ」
 私の背筋がピンとなる。幸一郎の子どもじゃない。それがお義母さんの言いたいことなのは明かだ。どうやってフォローしたらいいんだろう。その時、テーブルを叩く大きな音がした。
「いい加減にしてくれよ。母さん」
 幸一郎くんは今まで見たことのない形相で、お義母さんをにらみつけていた。

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