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少し体調を崩したので、、、。

7月上旬に体調崩してから、久々の投稿になる。
今更振り返って書く必要はないのかもしれないけれど、体調を崩した時の状況は、それまでにない激しい胸の痛み、頭痛で“心筋梗塞”が頭をよぎり、意識も朦朧としながら病院に駆け込んだ。暑さとは違う発汗があったり、胸の痛みも数時間続き時間を追うごとにきつくなり、意識も朦朧とするので、正直言って怖かった。でも血液検査、尿検査、心電図、CT、レントゲンと検査してもらったが、特に異常はなく、その日は点滴をうって帰ることになった。
ただ、点滴を終えた頃には診察時間も昼休みになり、閑散とした待合室に戻るとお医者さんや看護師さんがテレビに目をやっていた。僕も何かなと、ふとテレビに目をやった瞬間、衝撃が走った。あの事件である。体がきつかったことより、事件の印象が強く自分の体のことなんかどうでもよくなった気さえする。

そこから数日は胸の痛みはあったのだけれど、次第によくなっていった。一週間後にもう一度血液検査をうけ、少し低かったナトリウム値が正常になっていたので、熱中症だったのかもねってところに落ち着いた。一安心である。結果的に色んな検査もできたので良かった感じさえする。

とはいえ、体調を崩したことは事実なので、そこからは無理せずやってきている。noteを書くにも僕は時間かかるのでゆっくりする時間を作ることを優先した。

でも、今こうして書いていると何と言えばいいのか、自分を整えてくれているような気分になる。こういう時間をつくるのは、僕には大切な事なんだと思わせてくれる。無理はしないけれど、これからもこんな時間をつくっていきたい。

ただ、けがの巧妙と言うのか8割9割を積み重ねるような感覚もでてきた。この数ヶ月、能率を意識している僕にとっては無理しちゃいけないと考えながら仕事をすることは好都合だったように思える。
そう考えると、制約を設けることは重要なことのようだ。情報として、制約を設ける必要性は“知って”はいたけれど、自由にやりたいから制約はしなかった。限りある資源、時間を有効に使うために制約を設ける。また一つ、良い農業のために考える材料を手に入れた気がします。

捨てる神あれば拾う神あり。
人生そんなものなのかもしれないなと書いていてふと思う。

またギアを入れ直すように仕事も何もかもやっていこう。まぁ、健康第一で。


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