見出し画像

生きている感じがない日本人とサイヤング賞バウアー投手

横浜DeNAベースターズに入団したサイヤング賞投手のバウアー。NPBに来た過去最高実績のMLB選手だ。

彼の振る舞いを見ていると、野球の動作に限らず、人として生き生きしているのが伝わってくる。

これで1つ思い出したことがある。

以前、あるアメリカかヨーロッパの人が、「日本人は生きている感じがしない」ということを言ったことがある。

目が死んでいるというか、動物的な、生物的な生き生きしている感じがない、ということだ。

なぜか?

これ、私も欧米人と接する中で感じた。
日本人は何か社会のルールを「実体化」し、自分をその社会の歯車のようにして生きている。

本当はなんでもありの<世界>に生きているのに。つまり、いきなり発狂して大きな声を出したり、走り回ったり、会社を1ヶ月休んだり、裸で外に出たり、とか何してもいいのに何かにより禁止されているような振る舞いをする。

その何かとは?他人の目である。

こんなことしたら、他の人から白い目で見られるとか、そういうもの。

バウアーを見ていると、そんなこと微塵もない感じ。こんなことしたら恥ずかしいとか、関係なく自分を出す。自分が思ったこと、やりたいと思ったことは、理屈なしに正しい!みたいな行動指針。これが動物的であり、いきのよさを感じる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?