父親失踪、年収150万の家庭は恵まれているか?イェール大学 成田助教
表面的には不遇と思える環境も、実は幸運であることがある。
最近よくテレビに出てる成田悠輔さん。東大主席卒業で、今はイェール大学助教授を務める誰もが認める天才。弟も上場企業の副社長の資本主義の成功者。
ただ、育ちは、恵まれていないという話をよくしている。世帯年収は150万円くらいで、親父が高校生くらいで失踪し、母親は病気に倒れた、と、壮絶である。
だから、そんな不遇から大成功を収めた二人は、ものすごい努力家で、不屈の精神を持っている!という話にしても、十分に通じるだろう。
しかし、よく考えてみる必要がある。
子供ながらに、つらい思いをしながら、サバイブしてきて、かわいそうに、と思うのは短絡的すぎる。
よく話を聞いてみると、成田家は、
・お母さんが受験に熱心で、小学生のころから子供を塾にいかせていた
・お父さんは麻布、早稲田大学の出身(未卒業)で、家には小林秀雄全集など思想や哲学書がたくさんあったという。
お父さんは、世間に流されず本質にしか興味のないような変わりものであるが、真理をつく優れた価値観を持っていたかもしれない。そんな父親と毎日密接にコミュニケーションをしていれば、これはもう年間数千万円クラスの教育を受けていたものと同等ともいえるかもしれない。
なぜなら、教育とは、相手の言うことを真摯に聴く態度とか、相手に気を使わず本音を言えるとか、そういう人間関係が大事で、それがあると一気に効果は爆増する。家庭内で24時間それが行われていたら、それはプライスレスな大変貴重な経験となる。
つまり、表面的には年収150万家庭で、親父失踪という恵まれない環境から、努力や才能だけで突出したという美談に見えるが、その背景をよくみれば、奇跡的に素晴らしくよい偶然的な環境が整備されていた、とも捉えることができる。
もちろん、人間の心理に影響を与える要素は変数が多く、それらが相互に影響しあっているので、法則化するのは不可能だが、今述べたような見方をすれば、生得的生後的環境に恵まれていないとはいえないだろう。
ということで、実際、苦境とも楽境ともどちらとも捉えることができる。それは究極的にはその人にしか判断できない。
とここまで書いて下書きにしていたのだが、偶然、成田さんがこのトピックに対する持論を語っていたので引用↓
まさに、クリティカルな考察がされていてさすがでした。
親の期待を暗々に背負わされて不幸になる人は多い。(私が好きな心理学者岸田秀さんなどはそれを深く分析していた)
結局は自分がどう思うかだ。
最終的に境遇がよかったと思えれば良い。
突き詰めていえば、境遇がよかったと思える人生にするように頑張る!という生き方に行き着く。
つまりは、カルヴァン的な予定説。
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