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かわいいサラリーパーソン

「いつもここから」のネタで「かわいいね〜」といい、軽くディスりながら人の愛おしくもあり、ある種笑えるネタがある。

このノリで、私も1つ追加したいことがずっとあった。

新卒で会社に入った頃から、サラリーパーソンがどうしても「かわいい」と思えてしまう感性があった。

会社に入って最初に気づいたのは、サラリーパーソンとは、価値創造に対して対価の報酬が支払われれているわけではないということ。

では何に対して報酬をもらっているのか?

それは、会社のある程度いいなりになる対価に報酬をもらっているのだ。

そして、その報酬金額も、あまり交渉の余地はなく、会社の規定に沿っている。大きな組織ではこれが基本だ。

こういう組織の中で働いている人をみると、だいたいどの人がいくらくらいもらっているかが、わかる。だいぶ上の先輩でも、大体情報は漏れて伝わる。

そうなってくると、大体その人の生活が想像できてしまう。

それだけではかわいくはないのだが、その状態で、そういう現状を自覚していないで、すごく偉そうにしてたり、分をわきまえてない言動をしている人をみると、「かわいいね〜」と思っていた。

ある種、会社という組織に生殺与奪の権を握られた状態で、驕っている人たちだ。(もちろん、サラリーパーソンでも、副業で稼いでいたり、相続などで収入や資産が他にもある人がいるだろうが)

人は、わからないところがある程度ある方が、魅力あるものだ。

誰にでも底が知られてしまうという存在に対しては、何か「かわいいね〜」感覚が芽生えてしまう。

もちろん、仕事や報酬からわかることなど本の一面なのだが、それでも資本主義社会では、お金を稼いで生きていかなくてはいけないので、そのお金の稼ぎ方と金額で、だいたいのことはわかる(というか、わかった気になってしまう)。

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ただ、よくよく考えてみると、会社に雇用されることをやめて、独立したととしても、この人間社会でお金を稼ぎ、お金を払って生活に必要なものを手に入れているのであれば、それも「かわいい」のだ。

他の人がいないと即死。

米が食べられるのは、農家や物流、小売などのエッセンシャルワーカーにより支えられている。

サラリーパーソンが会社に生殺与奪権を握られているように、起業した社長だって、周囲の人間がいなくなれば、数日も生きていけない。

サラリーパーソンだけでなく、人間(人ではなく社会性のある人間)は、人がいなくては生きていけないかわいい存在なのだ。







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