一人でマチュピチュまで行くけど、オンライン飲み会には及び腰な女の話

外出自粛の呼びかけの中で、オンライン飲み会なるものが持て囃されているというのは知っている。もちろん。
仕事がほぼ在宅になっていない私にとってはWEB会議の必要性も今はあんまり無いし、もともとそんなに幅広い交友関係の中で飲みに行くタイプでもなかったので、完全に違う人種のコンテンツであろうと余裕綽綽でいたら、なんか来てしまった、こんな私のもとにもオンライン飲み会とやらのお誘いが。

これは大変です。由々しき事態。私にとっては。
自分でも薄情だなと思うけど、オンライン飲み会しようぜと呼びかけられたときに真っ先に心の中を占めたのが“どうやって角なく、無難に、<参加したかったけどごめーん!>感を残して断れるか”だった。

かつては仲良くやっていた仲間が、今は離れてそれぞれの地で頑張っている。
そして今この状況下で、みんなそれなりに元気でいるかな?なかなか会えないけど顔見ようぜ!というのはとても分かるし、私だってその気持ちある。
それでも、約10人のオンライン飲み会はどうやったって逃げ腰ごめん!なんです。

そもそも、3人以上の輪の中で会話をするということが極端に苦手な私。
なのでそういった場合、基本発言しない、ニコニコ話聞いてるだけ・・・に徹してきた私にとっては、参加したって“話振らないで~”って内心ビクビクしてるオンライン飲み会なんて、これっぽっちも楽しいわけない。
いや、ここらへんが自分でも薄情だなと思いますよ。
分かってるんです。その時の自分の楽しくなさを優先しちゃうなんて、とんだわがまま野郎だってことは。
本来の意図からして、自意識過剰かもしれないけど、みんなに【こんな状況だけど私も元気だよ!】と顔を見せることとか、大切な友達の元気な顔を見たいとか、そういうことが達成できればこのオンライン飲み会は成立するんです。私の薄情なわがままなんて彼女らには知ったこっちゃないのです。

でも私は、断った。体よい理由を作り出し(&ひねり出し)、断った。
小心者の私は、そのことについてやっぱり罪悪感に少し苛まれながらも、反面清々しい解放感を感じている。やっぱり薄情もんですね。

そして、自分のことだから自分でよく分かってるんです。実際やってみたら『なんだ、面白いじゃーん!』てなりがちなこと。
なんでしょうね、日ごろ内へ内へと楽しみを見出して生きてると、たまに外へ行くエネルギーを使うとき、とても燃費悪いんですよね。
正確にいえば、自分が純粋に楽しい!やりたい!と思ったことを実行に移すエネルギーと、それ以外のことへのエネルギーの循環スピードがまるで違う。

友人と話してると、『それ、ぶちおもろいw逆やろ!wななちゃんっぽいなぁ』とよく評されるのは、得てしてそういうことが多い。

例えば、去年のGWは私は念願のペルーへマチュピチュを見に行った。一人で。
それはそれは素晴らしい体験で、とても楽しかったし、また行きたいと思うほどだった。
念願を叶えたから、ずっと私がマチュピチュに行きたいと願っていることを知っている家族や友人に、行ってきたことを伝えるために、マチュピチュと私の2ショット写真のポストカードを作成し送った。(みんな笑いながら喜んでくれた)
対して、旦那さんからは、“どこか一緒に旅行へ行きたい。近場の温泉でいい。二人で行きたい”と2年以上言われている。けど全然行く気がしない。『旅行っていうのは、一緒に行く人が大事なんや!』とずっとその誘いを断っている。
そんで、友人のあの一言に戻るわけだけど。

田舎で長女で生まれて、親や親せき、近所の人の顔色を伺う癖がついてしまって、自分を通すより周りとの調和を考えて生きてきた私が、どうにもこうにも息が詰まってしまって、高校入学と同時に郷里を飛び出してしまった。そして、飛び出してからのほうが長くなり、一人暮らし歴が実家にいた年数と同じくらいになってしまった今となっては、プライベートではもうある程度自分のしたくないことはしたくない人間になってしまったのだ。前は、我慢している意識もなく、人が良ければ・・と言われたことをうんうんと聞いていたし、それがその時は最善でいいことだと思っていた。
けど、今は自分のやりたいことがドーーンとあって、そこにかけれるお金も多少あって、やりたいこと一つクリアしたら更にやりたいこと増えていって、“私の人生、楽しまなきゃなぁ”と実感する日々の中で、それを邪魔するものは何人たりとも許さんぞ!とまではいかないけど、“ちょっと嫌だな”と思うことを『嫌だ』と少し言っちゃえる今の自分。
昔から私を知っている人からすると、“がいになったのぅ”(“がいな”は広島弁で、きついっていう意味です)という人もいるし、自分も自分でなんだか意固地な人間になったようで凹むことはある。

1年ほど前に結婚したとき、母が、
『ななみはいつからか、15を超えたぐらいのときから自分で性格変えたよね。色んな友達が出来るようになって、ここ最近は少し自分の言いたいことを言えるようになったけど、根は変わっとらん、大人しい愛想もよう言わん、人のことばっかり考える傷つきやすい子じゃけんやっぱり心配よ』と言ったとき、『うん、そうね』としか返せなかった。
心ん中ではわんわん泣いた。今もタイプしていて泣きそう。
このとき、この世界に母という私の理解者が一人でもいてくれたことに本当に心強さを感じた。母凄し。

そう、理解者を身近に得た私は、やっぱりちょっと我儘通すこともあるけど、自分のやりたいことを大事にしていこう。(勿論、小さいころから母に口酸っぱく言われてきた【他人様に迷惑かけないように】を胸におきながら)
ということで、オンライン飲み会を断った自分をどうにかこうにか自己肯定してみました。
長い自己肯定だな、おい。というところで長文乱文失礼致しました。


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