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コロナ禍による失業について

北海道は依然としてコロナ患者が減りません。
おおらかな気質というか、危機感が足りないというか、やはりどこまでいっても北海道は田舎なんだなと思い知らされる日々が続いています。

自分は去年まで商業高校で働いていたわけですが、常に生徒には「自分にしかない武器、他の人にこれだけは負けないということを作っておきなさい。」と授業中よく言っていました。
もちろん、それは、今後、単純作業がAIに取って代わられることを危惧しての発言だったのですが、今回のコロナの影響で、そのAI化も時期が早まったような気がします。

『対面』というものが、ここまで意識された時代はあったのでしょうか?
商売は対面が基本。これが今後、常識としては通用しなくなるかもしれません。
OTC形式で売られている薬や化粧品なども、今後はネット越しに説明を受けたり、某靴通販サイトのように、試してみてから支払いができる返品制度が横行してしまうと、途端に個人経営の薬局や百貨店などは、大打撃を受けて倒産してしまうことでしょう。

昔は、電化製品などの生活品は、地元の電気屋さんなどに説明を受けながら、買っていたはずです。現在ではネット通販が横行し、安ければそれでよしという感じで購入する人の方が多いでしょう。
今現在の若者が、「あの電気屋さんの店員さんが気に入っているから、少々高くてもあの人から買ってあげよう。」なんて前時代的な発想は、もはや皆無なのではないでしょうか?

やはり不景気で、生活するお金すらひっ迫している現在、これからどうやって生き延びていくのかということを、本格的に考えなければなりません。

先日も私用でハローワークに行ってきたのですが、今までなら手に職もないくせに、あの仕事は嫌、この仕事はダメなんて言っていた常連勢(汗)も、今や本当に生活ができなくなって、必死に仕事を選んでいる風景が見て取れました。ずいぶん勝手だなと一瞬思いましたが、失業率が上昇すると、それに比例して自殺する人も増えていっている統計があります。
生活できないからあきらめて死を選ぶなんて、これ以上愚かなことはないのですが、そうなる前に、『あがく』というのは絶対に必要。

自分なんかは、しょっちゅう入院が続いていますし、身体障碍者の認定はされているものの、消えた年金問題のとばっちりを受け、障害年金がもらえない状態です。透析も週3回5時間という時間を取られるため、時間帯的にも合致するような仕事はそうそう見つかりません。
透析から解放されるために、現在、腎移植に向けて本格的に準備をしています。

自分はパソコンだったり他の人が経験してきたことのないような仕事もしてきましたし、自営業をやっていた時期もあります。
今までの経験が何かしら自分のこれからの人生に役立つと信じて、今も必死に生きています。

目の前の現実に悲観することなく、結果が出るまで努力を続ける。
これは何事にも通じる人間の姿ではないでしょうか?

これを読んで何か感想など頂けると嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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