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「ゴーストワールド」-2023/11/26


急にスレッズに夢の話を書く。夢の内容を覚えていれば、なるべく記録するようにしている。たしか大学生ぐらいのときから記録しているので10年以上は継続していることになる。といっても覚えている夢は稀なので3、4ヶ月に一度書くかどうかぐらいの頻度だ。明晰夢の経験はない。

簡潔で意外性のある(つまり分かりやすく面白げな)夢をTwitterに投稿することはあったが、詳細に記した夢をインターネット上に公開したのははじめてだと思う。なぜ突然そうしたのか。特に理由はないが、わざわざ書いてるし、もったいない気がしたのかな。あとスレッズなんて誰も見てないしというナメの気持ちもあるか。とにかく急に「してみようかな」と思った。よく言われるように、夢はとっちらかっているし、個人的すぎるし、意味はないし、基本あまり面白くない。でも面白くなくてもいいか、という気持ちが最近はある。

バリー・ユアグローという作家を読んでいたこともあるかもしれない。『一人の男が飛行機から飛び降りる』という本で、ほぼ夢みたいなすごく短い話がいっぱい載ってる。全部夢みたいな話だから、適当に開いたページを読んで「ふーん」と思って、またスマホをいじったりする。何年か前に100円で買ったのを最近本棚からなんとなく手に取った。感想があまりない。でも感想があまりない本というのもそうないので、そういう意味では稀有な本でもある。

ゴーストワールド再上映。こうは書いたけど、正直あまり劇場に行こうかなという気持ちにまだなれていない。何度観てもイーニドが現実の前に打ちひしがれるのが辛いし、あえてぼんやりさせた理由を言うと、再上映にまつわる様々なことにイーニドやシーモアのうしろ姿を見いだせないから。もちろんヌンチャクの人も。言い訳がましいけど、別に批判的なわけじゃないです。個人的に思い入れのある映画だからちょっとだけ色々考えてしまう。

劇場公開は意義深いのかもしれないけど、自分が行く気持ちになれないなら義務感で足を運ぶこともないか。映画館で鑑賞するのが大切っていうのも分かるけど、ちっさなスマホで観た映画だって人にとっては大切な体験になり得るし。実際、ゴーストワールドは最初DVDで観た。

でも、イオンシネマのシネパスというよく分からない制度で観たこともあったな。その時は就活説明会に行くついでに映画館に行った気がする。あまり覚えていないが寒かった記憶がある。新潟の、しかも新潟市ですらない郊外にある、朝っぱらのイオンシネマはがらがらで、シルバー割引を使うためだけに来ましたという感じの老人がちらほらいるだけだった。

なんにせよ再上映はめでたいことで、それはそれとして自分が劇場に行くかどうかは自由だ。当たり前のことだけど。当たり前のことをごちゃごちゃ考えてしまう。

ひとつだけ何か言うとすれば、著名人からのコメントに少しだけ違和感を覚えなくもない。イーニドたちの生き方を思春期特有の“はしか”みたいに扱っている部分に。「痛いけど、自分もそうだったよなあ。分かるよ、その気持ち」みたいな。まあ、そうなのかもしれないけど、イーニドの抱える鬱屈に少なからずの当事者意識を持ち続ける人、あるいは持ち続けざるを得ない人に向けた映画だとばかり思ってたから、認識の相違に少し驚く(あとイーニドはそんなふうに思われるのは嫌だろうし)。みんな心にイーニドがいて、それは社会の中ですり減ったりもするけど、通り過ぎた過去になったりしないものだと思ってた。でも映画なんて色んな感想があるのが当然だ。自分ももう少し歳を重ねたら意見が変わるのかもしれない。結局イーニドだってバスを降りた先で、1番嫌っていたタイプの人間にきれいさっぱり生まれ変わって幸せになってしまうのかもしれないし。

それでも今のところは、やっぱりイーニドの生き方は思春期特有の“はしか”みたいなものなんかじゃないと信じていたい。いまだ「過去の自分のようだ」と俯瞰できないし、自分はバス停に取り残されている気がするし、心のどこかでそれを少しだけ愛おしいとさえ思ってる。気味の悪い自意識だと思う。でも、気味の悪い自意識にこんがらがった人に向けた映画だから。

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