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「AudacityのTシャツ」-2024/2/18

日曜日、9:30に起床。2月にしては暖かかった。人生の価値を証明するような美しい日光が窓から差し込んでいた。1年で数回だけ訪れる、これといった理由もなく元気な日だった。今日は素晴らしいものになると思った。

ちゃんと朝食を作った。パンをバターで焼いて、豚肉とピクルスとトマトを挟んだ。コーヒーを淹れた。シティーボーイの模範解答的な朝だった。

そうしていると「AudacityのTシャツ」のことがふと頭をよぎった。

『Audacity』とはフリーのオーディオ編集ソフト。それなりに旧い(調べたら2000年からあるらしい)ソフトだがシンプルかつ多機能で、いまだに愛用している人も少なくない。僕も以前は使っていた。というか昔はフリーソフトで音声をいじろうと思ったら、これを導入する他はなかった。それぐらい優れたソフトだった。

そしてこのロゴマーク。これがかなり好きだ。時代にあわせデザインはちょいちょい変更されているが、僕が好きなのはこのバージョン。いかにもphotoshopの機能を駆使しましたといった佇まい。チープなツヤと立体感が愛らしい。

ずっと「このロゴがプリントされたTシャツがあったらなあ」と思い続けてきた。もちろんそんなTシャツはない。以前販売していた形跡もない。有名とはいえフリーソフトのTシャツなんて普通は作らないものだ。

「ないんだったら自分で作ればいいのよ」と内なる涼宮ハルヒの声が聞こえた。

その通りだ。自分で作ればいい。Tシャツなんて簡単に作れる。ハルヒはいつだって正しい道を指し示してくれる。

とはいえ無許可で作るわけにもいかない。職業上、人の目に触れる機会も少なくないし、何より自分自身が気持ちよくない。

それなら許可をとればいい。当然の帰結といえばそうなのだが、かえってそのシンプルさが力強い解決策のように思えた。それから猛然と文章を書き、ChatGPTで翻訳し、さらに再翻訳してニュアンスの齟齬がないかチェックする。ロゴデザインが好きなこと、Tシャツを作りたいこと、商業目的じゃないこと、個人的に着用することなどを書いた。

Audacityにはフォーラムと呼ばれる掲示板のようなものがあり、いまだに活発な議論がなされている(っぽい)。基本的にはユーザー同士のやりとりだが、運営が返信をすることもあるようだった。

許諾願いをフォーラムに投稿した。すぐには反映されず一度保留される。内容が適切か否か運営で確認されてから投稿されるらしい。
数時間後、フォーラムに反映された旨を伝えるメールが届いた。つまり僕のメッセージが適切なものだと認定されたことになる。

ものの数分でレスがきた。

高鳴る胸をおさえながら、ページを開く。




うん。

これで全文です。なんか、短いね。

なんとなく意味分かるけど、一応翻訳してみるか。想像と違うかもしんないしね。


"®" = registered trade mark.
® = 登録商標マーク。


そうだよな。

いや、そうなんだけどさ。

そりゃ商標なんだけど。

気持ちじゃん。こういうのって。フリーのソフトだしさ。もっとオープンマインドな精神性で運営されてると思ってたわ。アイコン、ドクロだし。気ぃ悪いわ。

まあ、返信した人は別に運営元でもなんでもないんだけど、客観的に考えてみると隙のない簡潔な正論ですね。運営元だってわざわざ個人へ特例的な許可出すわけない。企業だから。メリットないし。うちの会社に同じようなメールきても断るだろう。

じゃあ、めっちゃ恥ずかしいことしちゃってんじゃん。

「Sure! Great idea!!!」って言われると勘違いしちゃってたかも。だってAudacityのTシャツなんて公式にもないし、ブートですら存在しないわけだし。素敵な考えだと思ってた。「自分で許可取りして作ったっす。まあ、こんなん普通のことっすケド……」と何気なさを装いながらTシャツの説明してる自分、想像しちゃってたかも。

「ネイティブじゃないので文章がおかしかったらすいません」みたいなことを書いたのも恥ずかしくなってきた。それはある種の媚びだから。「英語話者じゃないのに本当の情熱があるから稚拙ながらも頑張って書いてます!」という媚びの腐臭がぷんぷんする。

ああ。

なんでこんなことしちゃったんだろう。

浮かれてた。


遠く離れた海外の人に、しかもドクロのアイコンに、ぴしゃりと必要最小限の文字数で正論を言われたことが恥ずかしい。

心のどこかで喜んでくれるだろうとすら考えていた自分の傲慢さが恥ずかしい。

この感覚、久々に思い出しました。そういえば、こういうものでした。こういう世界で生きてるんだった。表情を持たない強固な社会システムは常に自分をがっかりさせてきたのに。こんな基本的なことを忘れていたなんて。いや、忘れてたわけじゃなくて、本当は違うんじゃないかと思い込もうとしてた。この失意は僕の古い友人です。しばらく見かけなかったけど、全然変わんないね。

その日は21:00に寝た。急いで今日を過去にしないと耐えられそうになかった。

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