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偏りについて。

私の知り合いでは、沈んだり浮いたりという大きく不安定な状態が収まってはまた現れているということが、ずっと続いているご家族がいる方がいます。


また、主人の会社の部下はアルコールに溺れ、自らのいのちを失ったような最後を迎えた人がいます。

直属だったのもあり、気持ちをかけ、なんであんなヤツに。というまわりの意見を聞かず、毎日のように話を聴くというようなことを年がかりでしていて、良くなっていく様子もありました。


会社から、発達障害の認定を貰ってくるように。という働きかけがあったことがきっかけで、また崩れるようにお酒に逃げこんでしまいました。

自分の力で救えるかと思ってしまっていた。何が懺悔だと言ってこれ以上のことはないと言います。


一方で、時間をかけながらも、穴から抜け出してきた人もいます。娘です。

高校時代、可愛いとか可愛くないとかというグループに身を置いていて、人を信じることができなくなりました。

ある日、学校に行こうとしながらも、鞄を持てず、泣き崩れました。

学校に行かれなくなった自分を責め、半年は引きこもりました。眠っている娘の髪の毛は白髪が目立っていました。

今はやっと、穴から出てきて、未来に向けて、力強く歩きはじめています。

私はまだなのかと思っていました。時間が必要ということを学びました。


また、号泣をして、今までの自分を振り切った人の瞬間もみてきました。
何度も引っ張られながらも、自らの力で引き戻していくんです。


身体は心に順応していきます。失った腕は生えてきませんが、身体もずっと変わり続けるもので、固定されてはいません。


本来の人はどうであるのか。ということを知っておくことは大事だと思います。

そのためには、自分の偏りにもひとつひとつに気づき、向き合っていくことだと考えます。


引っ張られ、引き戻す。

この力や感覚があると思います。

一方で、これはよいか。とやってしまっているうちに、違和感も感じづらくなっていることもあります。心の傷も感じづらくなります。


偏りは程度の差だけであって、誰しもにあります。千差万別。

様々な偏りがあります。
気が遠くなる作業にも感じられます。


だけどそれが、人をみる目線や人の力を信じるということに繋がっていきます。


生きることは厳しい。


だけど、だからこそ、生きているといえるのだと思います。


複雑になってしまっている世の中で、誰かが作った価値観に負ける必要はなく。

自分はどれだけ素晴らしい、いのちの一つなのかということについて、認識していってもらいたい。

たくさんの人が自分とは何か。人とは何か。を、わからなくなっているように感じています。


何をやっているかに捉われすぎてはいけない。
背筋を伸ばすように、どんな状況をも信じて、美しく生きるということがよく、それは、今からできること。


条件つきなどではなく、自分を愛しきり、互いを愛しきれることを願っています。





その状態が一つの安心場所となっていきます。

自分を信じ抜きながら、励まし続けながら、何度も何度も何度も、負荷をかけ続けていきます。

その偏りを無くしていっている人は、そのぶんだけ、偏りを無くせる。。と、人のことも信じきることができます。それは、人への大きな力になります。

偏りに気がつき挑戦すること。できると決めきること。しつこく、諦めないことが肝心になります。

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