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その不安は誰のもの?

ずっと関わってきている友人の息子くんと先日話をしたのですが、結局、「学校に行きたいけど行く気になれない。毎日をなんとなく過ごしていて面白くはない」

ということはあるものの、

「本人は今の時点で、特に困っていることはない。大至急、対処をしないとならないことがある訳ではない。ということのようだ」と把握しました。


それを友人に伝えると、たくさんの想いや心配が膿のように出てきます。

「なぜ、現時点で本人はとりたてて困っていないのに、親が困りきっているのか。」ということを聞くと、様々な「思い込み」が出てくる訳です。
それを確認していきました。



その後、友人が息子に、「私が心配はないのに心配を作っていた。自分の不安をあなたに与えていたんだね。ごめんね」



と伝えると、見たこともない顔をして号泣をしたのだそうです。



その後、息子は母に、


「本当はしたいことがある。反対されると思っていたから言えなかった。やりたいことがあるんだ」と心の内を伝えてくれたそうです。



問題がない子どもはいない。大人だっていないけれど、現時点で、いかに自分がどう思うかではなく、相手に寄り添いきってみる。ということが大切。それからしか、関わることは難しい。



「心配しないでほしい。信頼してほしい」という言葉は、今までも息子から母に伝えてきていたけれど伝わらなかった。

私からも、「心配しないで、信頼してあげたら」とずっと伝えてきたけれど、母の息子への心配は止まらなかったんです。

そこは、私の力不足は否めないんですね。

伝わっている。と思う瞬間は増えてきました。


一歩でも前に。

大きな一歩ができるならそれもよしだけど、着実に、力を注ぐべきところに注ぎきる。自分を中心に戻す。外さない。それを続けていく。

共に歩んでいきたいと思っています。

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