デジモンアドベンチャーtri.を六章まで見ての感想【ネタバレあり】


◆はじめに

 note登録後最初の記事がこれか、と思うと気が重く、インフィニティ・ウォーの感想でも書いておけばよかったかな、と少し後悔しています。

 私は『デジモンアドベンチャー』はリアルタイムで観ていました。あの頃、デジモンアニメは四年間毎年新作が作られており、私はその三作目『デジモンテイマーズ』まで視聴していました。映画は『ぼくらのウォーゲーム!』をこの間Youtube公式動画で観た以外は、一つも観ていません。

 三作の中では『テイマーズ』が一番好きでしたが、かといってどの作品も見返したりしたわけではなく、当時の記憶しかないことを先にことわっておきます。

 その後、つまりは『デジモンフロンティア』以降に関してはほとんど知りません。直撃世代ですが、育成ギアも持っていませんでした。ああいう「たまごっち」的なものは、どうも面倒そうに見えたので、あまり欲しいと思わなかったのです。

 私にとってのデジモンというのは、子供の頃に流行ったゲームの一つでしかなく、大して特別な感情を抱いているわけではありません。

 そんな私が何故『デジモンアドベンチャーtri.』を観に行くことにしたのかと言えば、「懐かしい」というノスタルジー的な理由でしかありませんでした。

 そうやって気軽に触れるには、『tri.』は色んな意味で「重い」作品だったように感じます。六章まで付き合ったのは、ほとんど意地のようなものでした。


◆六章までの雑感

 ほぼ当時の記憶しかない中で観たので、「キャラクターの違いがどうこう」とか、大層なことは言えません。それでも「ちょっとおかしいんじゃないのか」というようなところがたくさん出てたし、はっきり言って面白い作品だとは思えませんでした。

 一章はよかったです。新しい声優さんも、記憶の中にある「選ばれし子供達」の声に近いようで、すごく頑張っているという印象でした。黒い騎士のようなデジモンも出てきて、「これが噂のアルファモンか」と興味深く観ていました。

 おかしいな、と思い始めたのは二章でした。新キャラクターの望月芽心とメイクーモンを馴染ませるための日常回が主眼で、前章よりもアクション的な部分が弱いのはしょうがないにしても、楽しみにしていたゴマモンとパルモンの究極進化も薄味で、レオモンも雑に扱われて……。ただ、終盤に登場したデジモンカイザーに「おおっ」となったので、まだめげてはいませんでした。

 三章は光子郎がえらく焦ってた回という印象が強いです。タケルとパタモンのくだりもウェットでよかったのですが、感染やリブートがこの後の章で「大した意味はない」ということがわかった今となっては、茶番感がすごいです。

 四章はリブート後なので、子供達とデジモンの違った関係性が描かれるのかと思いきや、そういうわけでもなく、ちょっと空とピヨモンがグダグダしただけで、大した積み重ねもなくホウオウモンに究極進化してしまうという、「リブートで大騒ぎした意味あったの?」と疑問符が付く内容でした。ただ、冒頭の最初の「選ばれし子供達」の戦いは興味深く観ました。四章ずっとこれやってほしかったぐらいです。

 そして、五章。正直、「???」が飛び交っていました。全六章構成なのに、無駄が多すぎる。もう次で終わるということを理解していないような作り、「もしかして、全七章だったのか」と思うような内容でした。必然性のない怪談大会、気が付いたらメイクーモンにやられてる究極体たち、兄は地に落ち妹は闇落ち、唐突に緑の人になったニャロモンが、メイクーモンと合体、と謎展開のオンパレード。しかもヤマトの声優ネタみたいなセリフで終わるという……。

 そんな中迎えた六章なので、まったく期待していませんでした。「ああ、やっとこの作品は終わるんだな」という感慨だけを持って、劇場へ足を運びました。そして六章は、ある意味で、期待を裏切らない出来でした。


◆第六章「ぼくらの未来」

 巨大スクリーンで黒バックにクソ長い文字列を読まされる、といういつもの始まり方をします。更に今回は、直後にその内容を丁寧に復習を入れるという豪華な無駄仕様、さすがに力が入っています。

 五章終盤で、ジエスモンの起こした地割れに太一と西島先生が巻き込まれ生死不明になり、そのことで錯乱したヒカリの影響を受けて唐突にニャロモン(テイルモン幼年期)が進化したオファニモンフォールダウンモード(名前長ッ)と、メイクーモン(ラグエルモン?)が合体して白く巨大なデジモン(オルディネモン)になって、どこかに消えたところから始まっています。

 デジタルワールドに取り残された子供達は、ご都合主義的に開いたゲートで、ひとまず人間界に帰ります。その際に、「オルディネモンの居場所はわからない」というようなセリフがあるのですが、それから割とすぐにオルディネモンは人間界に出てくるので、このセリフを言わせる必要があったのかは、やや疑問です。

 光子郎のオフィスに戻った面々でしたが、ヒカリが発熱してダウン。芽心は強く責任を感じているようですが、空もミミも場当たり的な慰めしかしません。

 ベランダに一人出たヤマトとガブモンの絆的なシーンがあるのですが、これがちょっとウェットすぎるというか。ガブモンがすごく重いんです。こんなこと言う子だったんだ、という感じでした。それもリブートで記憶がないのに。ピヨモンの「変なラブソング」発言もあって、「リブートってなかったことになったのかな?」とちょっと思いました。

 むしろ、記憶がないから口に出さなきゃいられなかったのかもしれませんが、リブート後にそんなに絆を積み重ねるようなシーンも暇もなかったので、そう考えても違和感があります。

 そして出現するオルディネモン。タケルとパタモンにヒカリを任せ、残るメンバーでオルディネモンを迎撃に向かいます。ここで画面五分割による成熟期→完全体→究極体の進化バンク三連発が挟まりますが、正直言ってだらだらした印象しかありません。

 五章でも似たようなことがあって、その時は進化後の名乗りが全部被っていて聞き取れなかったのですが、その反省からか今回は名乗りのタイミングはズラされています。ただ、反省するなら『アドベンチャー』の頃にあったワープ進化を取り入れてくれてもいいのでは、とも思いました。

 こうして限られた尺を取って出現した究極体ですが、結局五章と同じくよく分からない内にやられていきます。デジモンって元のデザインからして線が多いし、究極体ともなればかなりのものなので、作画コストの問題かもしれませんね。

 吹っ飛んで幼年期まで戻りましたが、アグモンの差し入れ(どこから持ってきたのか)で成長期まで戻ります(雑とは思ったけど、昔から食事で戻れていたかはちょっと覚えていないので何とも)。

 するとハックモンが姿を現し、「人間界とデジタルワールドが融合を始めてるから、人間界ををリブートしてそれを防ぐ」と渋い声で言い出します。

 どうやら三章でのリブートは、メタ的な意味では予行演習だったようです。「前にリブートして大変なことになったよね。今度は人間界もリブートするんだからもっと大変だよね」と観る側に思わせるための仕掛けだったんですね。ただ、別にデジタルワールドのリブートが大変だったようには感じないので、その目論見が成功したとは思えませんが。

 人間界のリブートは「デジタルデータ」だけですが、全部が初期化されてしまうとこの情報化社会、大混乱が起きる! と光子郎は懸念を表明。それ以外の可能性を探る、とテントモンと共にオフィスに戻ります。

 残りのメンバーはハックモンの提案で、オルディネモンを市街地から海へ誘導する作戦に参加します。ハックモン曰く「オルディネモンの中にはまだメイクーモンの意識が残っており、芽心を求めている」そうです。もしかしたら、「どこにいったのかわからない」オルディネモンが、突然ご都合主義的に人間界に現れたのは、芽心を追いかけてのことかもしれません。まあ、そういうフォローはなかったですけども。

 ハックモンは西島先生や姫川さん、芽心のパパが属している組織と通じているので、子供達はその車で移動します。オルディネモンが芽心を求めているのなら、芽心の移動に合わせて動くと思うのですが、何故か海に移動完了してから追いかけはじめます。

 上手く海上に引きつけて何をするのかと思えば、自衛隊の戦車やヘリ、艦船による攻撃でした。

 完全にこれ『シン・ゴジラ』の影響じゃないですかね。オルディネモンが人間界に現れたことで、お台場周辺には非常事態宣言が出され、それにまつわる報道もされているのですが、その際に「巨大不明生物」という聞き慣れた呼称が使われているので、意識したように思えてならないです。このアニメでこういうのはいらなかったのでは……?

 子供達も、パートナーを進化させて参戦します。バードラモン、トゲモン、イッカクモンの成熟期三体と、ワーガルルモンというさっきよりも劣るメンバーでしたが、究極体五体がかりよりも善戦します。近代兵器の援護のお陰でしょうか。だったら、子供達が戦う必要性はないように思うのですが。

 一方、太一はというとデジタルワールド地下の謎の施設で目を覚ましていました。

 一緒に落ちた西島先生が、重傷でもうすぐ死ぬレベルの血まみれだったのに対し、太一はまったくの無傷で乾いた笑いを誘います。

 西島先生曰く、ここは「イグドラシルの施設」らしく、向かいの部屋にある謎のカプセルの中には人間のシルエットが見えています。顔が描かれていないのですが、太一は一目で「大輔!」と理解します。一章の冒頭でアルファモンにやられて以降、まったく生死不明だった02組がここに閉じ込められていたのです。イグドラシルの企みに気付いて探っていたところを囚われた、とのこと。

 簡単に「実は君たちには言っていなかったが、行方不明だったんだ」で済まされた上に、顔も出ない02組が哀れでなりません。多分、tri.版のデザインすらないのではないかと思われます。

 西島先生は他にも姫川についても触れ、後悔を口にします。姫川は結局、これ以降登場しないのですが、結構重要キャラっぽく引っ張っておいてこの末路はちょっとどうなの、という感じです。

 そんな中、黒ゲンナイが現れます。この黒ゲンナイも、結局のところ何だったのかわかりません。人間界だとデジモンカイザーの姿で、どちらも仮の姿のようですが使い分けている意味が謎です。イグドラシルの化身的存在というわけでもなさそうだし、この前のシーンでハックモンも対面しておきながら攻撃しなかったりで、完結したクセに謎です。

 黒ゲンナイは「大輔たちの生命維持装置は切った。人間界に転送したら助かる。転送したらここは爆発する。転送装置は一人分だけある」と告げます。つまりは、「西島先生だけを都合よく殺す仕掛け」です。

 案の定、太一と02組が人間界に転送され、西島先生は溶鉱炉に落ちたアーノルド・シュワルツネッガーのごとく、死んでいきます。

 太一が戻ってきた影響か、ヒカリが目覚めます。タケルと二人で外に出ると、イビルモンの群れが。パタモンが二段回連続進化でホーリーエンジェモンに。対イビルモンということで、『アドベンチャー』最終回のヘブンズゲートが再現されるかと思いきや、エクスカリバーで斬りかかるだけでした。

 何でしょう、この舐めプは。そう言えば最初の究極体ラッシュの時にも、バイクモンとロゼモンはちょっとわからない(知らない)けど、ホウオウモンもヘラクルカブテリモンも必殺技使ってる中、メタルガルルモンだけガルルトマホークでした。兄弟揃って、懐かしのデジモンカードで言うところのBの技が好きなんでしょうか。

 それとも、ヘブンズゲートやコキュートスブレスは名称が使えないのでしょうか。マグナモンの必殺技がエクストリーム・ジハードじゃなくなったという話は聞いたことがあるので、宗教がらみの名前は使わないようにしているのかもしれませんね。

 すると黒ゲンナイがデジモンカイザーの姿でヒカリとタケルの前に登場。デビモンを呼び出し、やられるホーリーエンジェモン。完全にやられたわけじゃなかったけど、ファイル島ではエンジェモンで倒してたのに、ちょっとそういうの……。

 デビモンの攻撃の余波で気絶したヒカリは、ウィザーモンに導かれてオルディネモンの中に精神が飛びます。そういう入り方はよくあるものだとしても、ちょっと唐突過ぎやしませんかね。ウィザーモンの魂的なものはリブートの影響受けてないのかよ、とか、ここで出す意味ある? とも思います。

 精神の中で、テイルモンは「メイクーモンは優しくて云々で、誰よりも苦しんでる」とヒカリに告げます。いやいや、そんなこと今更言われても、メイクーモンがヒステリック虐殺ネコの印象は変わらないので……。さすがにネコ姐さんの言葉でもこれはノれません。

 「すべての光はメイクーモンの中に」という言葉を聞いて目を覚ますヒカリ、これをすぐに光子郎に伝えるタケルはGJ。困ったときは光子郎はんですわ。

 ホメオスタシスの人間界リブートのカウントダウンが始まります。残り10分。ハックモンは秒で言ってたけど、一日ぐらいの猶予あった気がするんですが、私の勘違いでしょうか。

 テイルモンがヒカリに伝えた言葉の意味は、「リブート前のデータも全部メイクーモンの中にバックアップされています」でした。だからリブート後もメイクーモンだけ記憶があったのか、って光子郎は納得してますが、他のパートナーデジモンも記憶あるみたいなムーブしてるので、もやっとします。つくづく、リブート前と後の差が分かるような明確な描写が必要だったと感じます。


 光子郎が、メイクーモンの中のデータにロックされてるファイルを見つけます。観ていて、このパスワードが「dandan」なのに即思い当たった辺り、私は結構このアニメを真面目に見てたんだな、と我ながら感心しました。

 パスワード入力でオルディネモンが白いのと黒いのに分かれ、リブート前のデータがデジモン達に還っていきます。それはもちろんパートナーにも。シチュエーション的には感動のシーンですが、リブート前後であまり差がなかったせいで薄いです。

 オルディネモンは苦しんでデビドラモン的な何かを伸ばして攻撃してきます。テントモンやパタモンらも加え、みんな究極体になって応戦します。

 自衛隊と一緒に攻撃していたシーンで、ミミが「究極体にもなれないし……」みたいなこと言ってましたけど、あの時ダメで今は行ける理由がメタ的な事情以外に見当たりません。記憶が戻ったボーナスでしょうか。だったら、リブート後は究極進化封印ぐらいはするべきでした。

 何かいけそうな感じになったので、光子郎が「リブートのカウントダウン止めてください!」と、言いましたが、何も答えないハックモン。いや、何か言えよ。

 無言で去ったかと思ったら、オルディネモンの背後に突然ジエスモンになって現れて、翼を斬り落とします。その影響か、テイルモンがオルディネモンの外に出られました。

 いやいや、ハックモンさん。そんな強いんだから傍観せず参戦してくれよ。ハックモンのお陰だね、って丈先輩か誰かが言いましたが、あんまりそうも思えません。ともかくリブートは避けられたようです。

 しかし、オルディネモンにデビドラモン的な何かが集ってきます。光子郎曰く「データの空きに侵入している」そうで「進化ではない現象」らしいです。

 メイクーモンはオルディネモンのまま苦しみ、駆け寄る芽心に攻撃してきます。そこを助けるように、颯爽と現れる太一。みんな再会を喜びます。

 で、この太一とヤマトが再会を喜び合う感じのシーンなんですが、微妙な作画の顔のアップが多くて辛いです。これは六章の全体的に言えることではあるんですが、特にここの「動かない太一単体」→「動かないヤマト単体」→「動かない太一単体」→「ゴーグルを外すヤマト」の流れは、シュールギャグ四コマみたいでした。

 西島先生から姫川の顛末と「パートナーの存在は毒にも薬にもなる」みたいなことを言われたこと、そして五章での芽心とのやりとりもあって、太一はオルディネモンを殺す覚悟を決めてしまっています。

 それに当てられてか、ヤマトも「選ばれし子どもじゃなくて選ぶんだ」とか言い出す始末。で、ヒカリ以外の子供達は特に発言なし。芽心も何も言わなかった様に思います。印象に残ってないだけかもしれないけども、だとしてもねぇ。君のパートナーだろ。

 何かここの太一が、「メイクーモン絶対殺すマン」になってて、もやもやします。

 光子郎の言い方的に、空きデータに入ったヤツを抜いたら何とでもなりそうじゃない、冷静になれよ、と思います。ホントにここで殺す必要があったのかは、疑問です。

 唯一のメイクーモンを生かしておいてほしい派のヒカリも、「一生お兄ちゃんを許さないために自分も参加する」と言い出し、病み上がりのテイルモンがエンジェウーモン、ホーリードラモンと究極進化します。

 ホーリードラモンなのかよ、とちょっと思いました。じゃあ何であのオファニモンとかいう緑の人を前章で出したのか。黒いホーリードラモンとかにしといたらよかったじゃないか。プレシオモンとバイクモンみたいに進化先が変わったのかと思ってました。

 というか、私の記憶違いかもしれないんですが、『アドベンチャー』放映当時の、パタモンの設定上の究極体ってゴッドドラモンじゃなかったでしたっけ? 調べると02の映画でセラフィモンが出てきたそうで。この時オファニモンはいなかったから、ホーリードラモンはそのまま残ったんですね。変えてもよかったんじゃないかなあ……。

 ウォーグレイモンとメタルガルルモンは合体してオメガモンになり、七大究極体とオルディネモンの闘いが始まります。今までにより動いてて、最終決戦にリソースを割いたのは正解だったと思います。特に、活躍の少なかったホーリードラモンが頑張ってたのがよかったですね。

 そして、オメガモンに残りの六体が何か合体、噂のマーシフルモードになります。慈愛のモードだからメイクーモン助かるかと思ったら、普通に死亡。真っ白い心象空間で、メイクーモンと芽心がお別れします。芽心の泣き顔が妙にリアルで超作画でした。

 海を見る9人の子供達と8匹のデジモン。座り込んだ芽心にだけ、パートナーがいない構図が寂しさを誘いました。芽心は正直、好きでも嫌いでもなかったんですが、ここはちょっと可哀想でした。

 黒ゲンナイ(偽デジモンカイザー)は野放しです。謎の箱を回収して「次はデーモンか、アポカリモンか」とかいって消えます。

 個人的に、02組がこっちを相手するものだと思ってたけど、病院に運ばれた時点で「ないな」ってなってました。偽デジモンカイザー(黒ゲンナイ)なんだから、一乗寺賢が倒すべき案件だと思うんですが、もしかして続編……? やめて!

 そしてエピローグ。三か月後に飛びます。タケルが芽心に送ったメール(そんな仲に思えないんだが)によると、ホメオスタシスがイグドラシルをシャットダウンしたとのこと。それができるなら、対立した時点でしといてほしいところです。

 また、タケルのメールでは「デジモンに対する風当たりは強く、パートナーはみんな帰った。D3を使わなくても行き来できるゲートを光子郎が開発中」とのことでしたが、パートナーみんな人間界にいました。一瞬で矛盾しつつ、締まらない感じでエンディングに突入していきます。

 エンディング曲は「Butter-fly」をキャストとデジモンの挿入歌やエンディングを唄っていた歌手の方で合唱したバージョン。いい感じではあるんですが、この六章で「Butter-fly」が酷使され過ぎていて感慨がありません。

 覚えてるだけでも、太一帰ってきてからのアグモン進化シーンで一回、ヒカリが自分もオルディネモンを攻撃することを決めてからの流れで、インストゥメンタルが一回、エンディングで一回。とにかく使いすぎです。切り札というのは、ここぞという時に使うものではないでしょうか。

 このように、六章はえらく詰め込んだ感があってお腹いっぱいです。

 二章のようにスカスカだった章もあったので、もう少し配分を考えてもよかったのでは、と思います。

 特に02組関連は「無理矢理ぶっ込んだ」感がすごかったです。デザインすらなさそうなのが、また……。

 子供達の安否はわかりましたが、パートナーは大丈夫なんでしょうか。ブイモン、ワームモン、ホークモン、アルマジモンの四匹は、リブートをどういう状態で迎えて、今どうなっているのでしょう。言及がないということは無事なんでしょうか。

 そう言えば二章で、偽デジモンカイザー(黒ゲンナイ)がインペリアルドラモンを使っていたんですが、あれってもしかして……。

 それから上でも書きましたが、微妙な作画でのキャラクターの上半身アップでの演出が多く、映画館で観るのに適したアニメになっていないように思いました。上映後のメディア展開が主眼なんでしょうか。

 また、これは『tri.』全体で言えることなんですが、ギャグシーンらしきものがお粗末で寒いです。

 ガブモンとヤマトのシーンの後の、ベランダの様子を見ているパートナーたちの反応。アグモンの差し入れを食べてる時のテントモンの新妻みたいなアレ。ヒカリが起きたくだりでのパタモンの反応など、重いシーンが続いたから軽くしときます、ぐらいの意図だったらなくていいと思います。

 そして、メイクーモンを殺すべきだったのか問題。

 正直言って、メイクーモンを私は好きではありません。ヒステリック虐殺ネコという印象しかなく、五章の時点では「殺してやれよ」と思っていました。

 しかしながら、今回「ここで手を下す必要はあったのか」という気になりました。

 多分それは、「ヒカリが聞いたキーワードからヒントを掴み、テイルモンも助かり、人間界のリブートも食い止めて、さあ一転攻勢!」みたいな雰囲気の所に、突然現れた太一こと「メイクーモン絶対殺すマン」のテンションの落差に耐えられなかったからです。

 いきなり駆けつけて、訳知り顔で「メイクーモン殺す」みたいな態度の人の言うことをみんな聞いちゃう感じだから、違和感があったのだと。ここはずっとオルディネモンを分析していた光子郎が、もう少し踏み込んで最後通告してもよかった場面でしょう。

 不満点は多いですが、終わってくれたことは素直によかったです。


◆『tri.』って何がしたかったのだろう

 まず、全体を見て感じたのが、「子供と大人」という対立構造が取り入れられている点です。それはヤマトの「俺たちは選ばれし子供じゃない、選ばなくちゃいけないんだ」や、黒ゲンナイ(偽デジモンカイザー)の「誰にだって子供の部分がある」発言から見て取れます。

 黒ゲンナイ(偽デジモンカイザー)と言えばもう一つ、ハックモンに「思想なんて知るかよ」と宣うシーンがありました。ただ自分が壊したいものを壊そうとするそれは、子供染みた思考に見えます。ハックモンは世界の調和と安定を望む側で、そういう思想・主義の下に動いています。思想や主義というのは、どちらかと言えば大人の世界のものでしょう。

 また、姫川は自分のパートナーと再会したいというワガママのために、イグドラシルと手を組んでリブートを仕掛けました。子供の頃のトラウマに囚われているとも言えるし、子供染みたワガママだとも言えます。西島との関係を進めなかった(進めたけどダメだったのかもしれないが)のも子供であろうとする態度の表現かもしれません。

 そもそも、一章の制作発表当初「八神太一、17歳」というコピーが打たれていました。高校生というのは、子供と大人の狭間の年齢です。「子供達」から大人へと変わっていく部分を描きたかったのではないか、と読み取れます。

 子供達が仲間のパートナーを殺すという経験(し難い決断を下す)を通じて、大人に成長するというところを描きたかったのではないでしょうか。現に、ヤマトがハックモンに啖呵を切った「俺たちのやり方(=『選ばれし子供達』のやり方)」は、テイルモンは救えたものの、半端に終わってしまいました。

 一方で、パートナーデジモンについても、「子供と大人」の対立構造の中に置かれています。今作の制作陣はパートナーデジモンが「子供のためにいるもの」だと解釈しているように思えます。「子供の時の全能感の象徴」のように考えているのかもしれません。

 『tri.』のパートナー達は、記憶の中にある『アドベンチャー』の彼らよりも、どこか子供っぽく見えます。「太一達が大人になった」表現のために敢えて下げているだけでなく、子供の象徴のように描こうとしているのではないか、と。

 典型的なのが、新キャラクターの望月芽心とメイクーモンの関係です。メイクーモンは成熟期という設定ですが、明らかに幼いです。自分の力をもてあまし、コントロールすることができない。そんなメイクーモンを芽心が世話するという関係性は、既存の8組とは違ったもののように映ります。

 『デジモンアドベンチャー』をリアルタイムで観ていた時、私はパートナーデジモンと子供達は与え合う関係だと思っていました。互いに足りないところを補い合うというか、今思えばデジヴァイスや紋章による進化は、その象徴のようです。子供達はパートナーの性格や性質から自分の知らない面を学び、パートナーは子供達の心の力や影響を受けて進化することができる、というような。

 しかし、芽心とメイクーモンに関しては、メイクーモンが一方的に与えられているように見えます。「本当はメイクーモンはパートナーじゃなかった」というような展開が来るのではないか、と思うほどに。

 子供と大人という対立構造で、且つ子供が大人になっていく物語をとるなら、子供の象徴であるとされたパートナーデジモンたちは、大人になるために捨てるものになります。

 そういうキャラクターの配置は、失敗だと思います。

 だってデジモンの映画を見に来ているのに、デジモンが「捨てるもの」だなんて、そんな物語を観たいでしょうか。大人になる物語を描こうというのはわかりますが、「子供達とパートナーの関係は対等」という部分は動かしてはいけなかった、そう思います。


◆おわりに

 エンディング後、「新プロジェクト始動」の文字と共にアグモンが「また映画館で会おうね」というようなことを言った後、劇場が明るくなっていく中で客席にいた誰かが「もう二度と会いたくねーよ!」と割と大きな声で叫びました。

 概ね私も同じ感想です。

 新プロジェクトを観に行くかどうかは、以降の展開を注視して決めようと思います。

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