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”才能ある者にとってはユートピア、それ以外にとってはディストピア”読書note91「無理ゲー社会」橘玲

話題の本を手に取ってみた。学生と一緒にリスク社会、不安社会について考えるという授業に取り組んだから。

地球温暖化や人工知能の問題など、科学や技術がもらたす課題として「リスク社会」が語られる事が多いが、若者世代からすると、自分たちのこれからの人生に立ちはだかる壁や不安こそがリスクなのだと思う。この『無理ゲー社会』はそんな視点で書かれていると感じた。

インターネット、コロナ、リモート技術などなどの影響を受けて、われわれの世界やつながりは、あっという間にグローバルに広がっている。しかし、脳のキャパはそうではないのだ!

脳のスペックを決める要因で、一人ひとりの個性を見分けることができるのは50人(バンドのサイズ)が上限で、顔と名前が一致するのはせいぜい150人だ。学校のクラスの上限が50人で、アイドルグループが48人なのも、年賀状をやりとりする人数や企業の一部門の上限がおおよそ150人なのもこれが理由だろう。この特徴がよくわかるのが軍隊の編成で、最大1500人の大隊(トライブ/民族集団)を60~250人の中隊(メガバンド/共同体)、30~60人の小隊(バンド/野営集団)、8~12人の分隊(ファミリー/家族)に分け、生死を共にする分隊のメンバーは「義兄弟」にも似た強いつながりをつくる。世界中の軍隊がこのような階層構造になっているのは、西洋式軍制の影響ではなく、脳の認知構造に合わせているからだ。

脳が人間関係を把握する能力に制約があるのに、短期間に世界がいきなり拡張してしまったらどうなるのか?と本は問うている。

『ネットワーク個人主義』「村」「学校」「会社」のような共同体に全人格的に所属する必要がなくなり、ひとびとは多様で分散したコミュニティに部分的に所属することが可能になった。「濃い」人間関係が減少し、その場かぎりの「薄い」人間関係が広がっていく。

これが現代人が抱える「孤独」リスクの正体なのか?

能力に違いがある場合、公平(機会平等)と平等(結果平等)は原理的に両立しない。子どもたちの足の速さには差があるから、同じスタートラインに立たせて公平に競争させると、順位がついて不平等になる。

今回の選挙の争点に、「成長と分配」が上がっているが、まさに公平(機会平等)を優先するか、平等(結果平等)を優先するか、という究極の話なのかもしれない。

統計学で標準とされる正規分布(ベルカーブ)は要素間の相互作用が限定された特殊ケースで、世界の基本は要素同士が互いに影響を与え合う緊密なネットワーク(複雑系のスモールワールド)だとして、これを「フラクタル」という。ベルカーブに対して、フラクタル(複雑系)では分布はロングテール(べき分布)になる。

一握りが富のほとんどを独占するロングテールは必然なのである。

10万円の貯金がある友だち2人がいて、1人(キリギリス)は稼いだお金をすべて使ってしまい、もう一人(アリ)は毎年10万円を貯金し、それを年利5%の複利で運用したとしよう。キリギリス君はいつまでたっても銀行口座は10万円のままだ。それに対してアリ君は、10年で125万円、20年で330万円と複利で増えていく。同じことを子、孫、ひ孫と続けていくと、アリ君一家は80年でほぼ1億円に達する。それに対してキリギリス君一家は10万円のままだから、なにひとつ不正なことがなくても、2つの家族のあいだには1000倍の経済格差が生じたことになる。

世界に平等をもたらすのは、破壊と崩壊である。

なにが「平等な世界」をもたらすかというと、「戦争」「革命」「(統治)崩壊」「疫病」の四騎士だ。権力者や富裕層は富を失って社会はリセットされ、「平等」が実現するのだ。
マカフィーは人類を救う「希望の四騎士」として、「テクノロジーの進歩」「資本主義」「反応する政府」「市民の自覚」を挙げている。「合理的な楽観主義(脱物質化)」か「道徳的な悲観主義(脱成長)」かで人類の未来は決まる。

一見、希望の四騎士を信じ、合理的な楽観主義を選びそうになるが、「反応する政府」と「市民の自覚」が実は困難なのではないか?

わたしたちはいつのまにか、「どんなに嫌でも生きてしまう」未知の世界に放り込まれたのだ。いまの若者たちは、1世紀を超える人生を生きなければならないという途方もない難題を背負わされている。

これこそが、若者がうすうす感じているリスク/不安の正体ではないか?


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