かぞくの国、スープとイデオロギー、マルモイ(ことばあつめ)

ヤン・ヨンヒ監督の映画「かぞくの国」を見たのはもうずいぶん前だ。出演者の安藤サクラさんが好きで何となく見ていたが、何の知識もない「あの国」が初めて目の前に広がってきた感じがした。当時、映画にすることさえ大変だったのではないだろうか。見終わったあとはソンホを「あの国」に行かせた父に対しての憎しみだけが残った。
今回、ヤン・ヨンヒ監督の新作「スープとイデオロギー」を映画館で見ることができた。最初のほうで「人間プレゼント」という言葉がでてきて背筋がぞっとした。そして知らなかった4.3事件。壮絶な場面はアニメーションとなっている。今や観光の島となり韓国ドラマにもたびたび舞台となっている済州島のイメージが大きく変わった。ヨンヒさんが涙するところ、一緒になって泣いた。果たして最終場面、母は本当に忘れたのか?忘れたふりをしているのか…言葉にもしたくないのか…。「かぞくの国」でのこった父への憎しみが少し揺らいだ。さらに父の本心は?という問いが残った。映画の中の音楽もよかった。何より作ってみたいスープ!(参鶏湯?)が重いテーマを和らげて大切な命、生活、家族、日常を映画の中で訴えている。
そして、統治時代の社会を描いた「マルモイ」は俳優ユ・ヘジンの演技が見事だ。日本人こそ見るべき映画と思っている。言葉と関わる仕事をしている表現者こそ自国の言葉を失う辛苦を感じなければならないだろう。

韓国の人々は映画やドラマを「娯楽」として享受することを通じて、自国史の「かさぶたをはがすと血膿がにじむような経験」をあえて直視しようとしています。日本人は77年にわたってその時代については「知らないふり」をしている。この非対称性はいずれ致命的な知的格差に帰結するかも知れません

内田樹さんのTwitterより。

読みかけの柳美里『8月の果て』
松本清張の『北の詩人』から引き続き学びたい。

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