『雪岱が描いた夜』米川千嘉子第10歌集

○再読。雪岱は小村雪岱。ネットで見てみると〈グラフィックスデザイナーの先駆者〉〈東京モダン〉などの言葉があり日本画でありながらどこか現代的ですっきりとした粋な画風である。この歌集の装幀にもなっている。

一生は一本の川 主婦として森田童子は死んだと書かれ
おばあさんはまた娘(こ)がたまに来てしてくれること少し自慢すわが母のやうに
湯豆腐を食べればだれかわがうちに温とく坐りまた去るごとき
老いをうたひやがてほんたうの老いに入るほんたうの場所を誰も知らねど
○湯豆腐のうた…身体の深いところがあたたまる感じを比喩ですっきりと表している。

さびしいでせうと言はれたる母ラブレターを読むから大丈夫とこたへたり
一人子ゆゑラグビーはやめてと言ひしこと二十年まへの楕円のボール
左目が見えない母は右目にてセーターを編み娘のうたを読む
○老齢なれど気丈に生きる母の歌がどれもいい。

引きこもりの人も気楽にならむ時代(よ)といふこゑはうすいテレビのなかに
コキア真つ盛りの映像あらはれて赤木氏と赤木夫人をおもふ
一生を肌身離さずもつ物のどんどん減りてはだかにちかづく
ツグミはも茶色のセーター編み込みの模様着たままシベリアへ去る
○引きこもり…の歌、コロナ禍での報道を詠みつつ「うすいテレビ」に批判精神がある。

ミャンマーの映像の血がリビングに溜まるころふと放映の止む
男性大家・結社の時代にひなげしの経血の歌うたへりかの子
古雑誌繰りても繰りてもかの子の歌は取り上げられず 恐れたるべし
○血の歌、二首。かの子の歌はどういう歌なのだろう。三首目があるのでさらに興味深い。




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