いたいのいたいのとんでけー
ピノ子が2才半の頃にコボちゃんを妊娠した。
私は重い悪阻でほぼ布団から出られない状態になり、ピノ子は日がな一日テレビを観ていた。
まだオムツだったピノ子。
悪阻で鼻が犬並みの私は、オムツの臭気に耐えられず、トイレで排泄をしないことを何度も叱った。
授乳が母娘の精神安定に繋がると信じて、自然卒乳まで続けると張り切っていたけど、身体が辛くて、何の説明も無く突然辞めた。
夜泣きするピノ子を大声で怒鳴った。夫が泣くピノ子を連れて外に出ても、どれだけ遠くまで行っていても私の耳にはピノ子の泣き声がこだまして寝れなかった。
生活リズムが不安定になり、毎晩深夜まで1人でアンパンマンを観ているピノ子を横目に、布団にくるまって耳を塞いだ。
愛しているのに、大事な大事な娘なのに、どうしても優しくできなかった。
悪阻が落ち着き、平穏な日常が戻ってきて。
あの頃の私はどうかしてたと何度も心の中で謝った。
「ピノちゃんごめんね、ダメなママでごめんね。」
そこからコボちゃんが産まれる前日まで、母娘の平穏な日常は続いた。
もちろん色々あったけどそれでも出来る限りのことをして眠りに着く日々。
それはとても濃密で、起きてる時も寝てる時も可愛い可愛いピノ子。
***************
でも、コボちゃんが産まれた翌朝、起きてきたピノ子が急に別人に見えた。
昨晩まであんなに可愛い可愛い娘だったのに、どうしても可愛く見えなくなってしまっていた。
それどころか、脅威にすら感じる。
最初は何が起きたのか自分でも分からず混乱した。
8月3日と8月4日の間に違うパラレルワールドに迷い込んでしまったのかと思った。
激しく混乱しながらも、頭にこだまする「下の子が産まれたら上の子のケアを今まで以上にするように」と、方々で耳にした言葉。
もちろんそのつもりで意気込んでいた。
だって可愛いピノ子に寂しい思いをさせたくないし。
ピノ子を傷つけないように、あらゆるコミュニケーションを試みようとする頭。
でも身体がどうしても進まない。産後の傷だらけの身体を律する力は、その時私には無かった。
お願いだから触らないで。
お願いだから離れて。
悲しくて悔しくて辛くて、何度も泣いた。
でもそれ以上に、何度もピノ子を泣かせた。
自分の変化にひどく傷つき、ピノ子を疎ましく感じる自分を呪った。
どうにもならなくて、「誰か助けて」っていつも思った。
態度では、ピノ子を避け突き放し冷たく接するしかできなかったけど、
裏腹に心の中では永遠に唱えてた。
「ごめんね、ごめんね、ダメなママでごめんなさい。」
「優しくできなくて、ごめんなさい」
「あなたを傷つけてばかりでごめんなさい。」
産後のホルモンの影響で、上の子が脅威になってしまうのは仕方のない人間の摂理らしい。
でも、でも、でも・・・。
それは「きっとあっという間に終わってしまうことだから」と、
自分に何度も言い聞かせたけど、たった一晩でガラッと変わってしまったこの世界が心底怖かった。
でもそれは、実はあっという間には終わってしまわなかった。
もちろんながら身体の回復や、下の子の手が離れていくのと同じスピードで、
ピノ子に対する気持ちや態度はどんどん戻っていった。
だけど、だけど、何か分からない得体の知れない大きなしこりが残ったまま。
一言で言うなら、「腫れ物に触るように」接していた。
同時に、ピノ子を心理的に避けている。
***************
先日、ピノ子と些細な衝突をして。
融通がきかなくて、神経質で、気が弱くて、自意識過剰で、
理屈に合わない口応えばっかり達者で、
いつまでも満足しなくて、ないものばっかり見て、
僻みっぽくて、卑屈で、食べることだけ果てしなく貪欲で。強欲な子。
悔しかったら外でも偉そうにしてみろよ。
なんって付き合いにくい人なんだろ!
・・・自分の子供に向けているとは思えないような罵詈雑言を頭の中で呟いて、
そして思った。
これ全部、自分の頭の中で、自分が私に言ってる言葉だ。
それで気がついた。
私、ピノ子を見てたんじゃない。
ピノ子を使って自分を責めてただけや。
ピノ子という鏡に映る、自分を憎らしく見てたんや。
だってピノ子をダメな子として見てたら、自分のことを許さなくって済むから。
ほんまの私は知ってるんやもん。
ピノ子がどれだけ優しくて繊細で、寂しがりやで、賢く、奥ゆかしい女の子であるかを。
でも、頭に住む私が、
私の子だもん、いい子なわけないよねって。
だって私がいいお母さんなわけないもんねって。。。
ずっと囁き続けていたんや。
***************
そしたら。。。
悪阻で苦しかったあの時、そしてコボちゃんが産まれた日にピノ子を悪魔のように見てしまったその時のことを不意に思い出した。
そうか、、、、あの時に自分で罪を背負ったんだ。
ピノ子を愛せない、優しくできない私はひどい、ダメなお母さん。
これだけひどいことをしてしまったんだから、
私なんかがいいお母さんになっていいわけがない。
だから、私は幸せにならないよ。それで償うからね。
ずーっとずーっと心に重りがあって、
いつまでたってもピノ子を素直に愛しく見れない自分が苦しかった。
そして不思議だった。
私の「上の子可愛くない症候群はいつ終わるのだろう?」って。
それがあの時の、罪悪感だったなんて。
罪を自ら背負った私は、心の底では永遠に居た堪れない状態でピノ子と接していたんだな。
もちろん波はあって、一見仲のいい親子関係はできてた。
でも深いところで、ピノ子との人間関係に私の居場所はなかった。
ほんの些細なこと、
例えば絵を覗かれることにすら、監視されている感覚だったし。
今日どこ行ってたのー?という会話にすら批判を恐れていた。
私はいつもピノ子に見張られているように感じて、
いつも窮屈で、逃げ道をいつも探していた。
そして抑圧されて緊張感のある私の心はいつでもはけ口を求めて、
自分を制することができない程にピノ子を叱責することがあった。
そしてまた証明する、「やっぱり私はダメなお母さんだ」と。
***************
そうか、そうか、そうだったのか。。。
その謎が紐解かれて、そして思った。
「もう私を許してあげたい」って。
そしたら久しぶりに、むせび泣いた。声を上げて泣いたのなんていつぶりだったんだろう。
泣いてたらピノ子とコボちゃんが頭を撫でてくれた。
ほら、やっぱりこの子達は優しい子に育ってるやんって思った。
あの頃の私は確かに、優しくなかったと思う。
でも、何も打つ手が無かったわけではないと思う。
もっともっと人に頼ることもできただろう。
苦しい気持ちをもっと吐き出してもよかった。
夫とそのことをしっかり話す機会は今まで何度でもあったはずなのに。でもタブーすぎて、触れられることを恐れていた。
だから「しょうがない」とは思えない。
反省点も改善点も山ほどあった。
でも。でも。それでも。
あの時の私を責めることは、やっぱりできないって分かった。
「よーやったやん。」
あの頃の私にも、今の私にも。
私は私を許して前に進みたいよ。
***************
そしたらふと浮かんできたこの思考。
…でも、私がこの罪を放り出したら、ピノ子はどうなるの?
私ばっかり幸せになろうとしていいのだろうか?
そしたら、すぐ私は答えてくれた。
【あとはピノちゃんが考えること。
だけど私は、罪を背負っていつまでも居た堪れずに素直に向き合えないお母さんじゃなくって、どんなにへなちょこでも自分を許しながら前に進むお母さんになりたいよ。】
私は、なんと頼もしいんだろうか。
***************
人間が自分に罪を着せる時、そこには幻想の罪しかないらしい。
あれが幻想の罪だったとは今はやっぱり思えないけど・・・。
でも裏には「完璧」という名の幻想の正義があったんだろうなと思う。
もしかしたら、ピノ子を授かったあの日にすでに幻想の罪を背負っていたのかも知れない。
「悪い子な私が、いいお母さんになんかなれるわけない」
いやこれは。
ピノ子との関係性の中でだったから「お母さん」だっただけで、
「あなたは悪い子。だからいい子にならないと、とんでもないことになるよ」
という思考は、姿を変えていつでも現れていたんや。
***************
翌日ようやく夫に本音を伝えることができた。
そしたら、ピノ子があの時一番して欲しかったのは、ママのお膝に座ること。
だから、これからゆっくり膝に座らせてあげたらいいんじゃない?
ひとつできたらそれで自分にOK出してあげなよ。
なんでもかんでもできるいいお母さん目指さないでいいから。
そう言ってくれた。
その日寝てるピノ子の顔は、可愛くて愛しくてそして頼もしくって、お地蔵さんみたいだった。
ピノ子はなんって長い間、側で見守ってくれてたんだろうか。。。
こんな小さい身体で受けとめてくれたんだなぁ。
顔を見ながら、「しゃーないお母さんでごめんやで。。。」
ってつい言ったけど、でもこの「ごめん」は、
あの時の「ごめん」とは全然違う感覚だった。
翌朝は、膝に乗せてギュっとした。
それは今までと全く違った感覚だった。
柔らかくって、まだ小さいんだなぁと当たり前のように思った。
今までの私が、どれだけ緊張して接していたか再確認した。
これからどうなっていくんだろうね。
…知らんけど。でも焦らず私を見守ろうと思う。
気にせず行けよ行けばわかるさ。
また朝が始まって、毎日は過ぎていくから。
私の心の「いたいのいたいのとんでけー」
続く。
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