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    それぞれの桜

 今年の桜の開花は今までになく早いようです。新型コロナウイルスに世界中が脅かされている最中皆んなが心待ちにしております。

 自宅から近い六義園の枝垂れ桜は30年以上前から、その気高い勇壮な姿に心を和まされていましたが、年々樹も年取り、以前の姿にであえません。最近はツアー客も多くなり、近隣の住民は寂しいかぎりです。

 桜といえば上野ですが、並木をぶらぶらと散策するのは楽しいものでしたが、ここ何年かはブルーシートを敷いての賑やかな宴会と飛び交う外国語とで、花を愛でることは難しくなりましたが、5月になるとこの並木は緑に覆われ、雨の後は光輝き、大いなる生命の息吹を感じることが出来ます。

 ホームにいる友人は六本木のさくら坂のオープンカフェで散る花びらのなか、お茶のひとときを過ごしたことは忘れられない、歩けるようになったら、また連れていって、と小さい声でいいました。そんな時もあったなあ、、、、、

 飛鳥山の桜、ここは子供が自由に遊べる公園なので家族連れで賑わい、新しい1万円札の肖像になる渋沢さんのゆかりの地でもあり、孫を連れては何度もゆきました。その孫も21才になりました。音無川沿いの桜は万朶のさくらとなり、川面に花筏となって流れている様は春の神様に会ったような気がします。

 駅の構内には春には桜の名所の大きなポスターが貼られます。私が気になっているのは角館の桜です。佐竹家に京都から嫁いできた奥方が持参したのがは始まりとか。
角館には秋、冬には行ったのですが、やっぱり黒塀に枝垂れて咲くうすべに色の桜がみたく、入念に時期を調べ、新幹線の切符を用意し昨年行ったのですが、季節の悪戯でしょうか、急な寒さで咲いてくれませんでした。

 歳を重ねる度に今までのことが出来なくなっていくことに気がつきます。
若い人とゴスペルを唄っていたのですが、リズムに乗れなくなったのもその一つです。目黒川沿いのレストランで食事をした時でした、川沿いの桜並木は赤や黄色に色付いて、秋真っ盛り。自分の老を認め、唄うことをやめました。
そのレストランの名前も桜の紅葉も今でも心に残っています。

 若くして軍人の叔父と結婚した叔母はいつも凛として、叔父亡き後も88歳まで読書をしパソコンで手紙をくれるほどでした。
床の間には「敷島の大和心を人とはば 朝日ににほう山桜花」の掛軸が掛けてありました。
叔母の桜はこの山桜と大和魂なのかもしれません。

 桜はそれぞれの場所で咲き誇り、人々は日常から離れて、心を癒されたり、桜に未来を託したり、来し方を懐かしんだりと桜とともに時を過ごします。

 今年のお花見は何処がいいかしら、誰と行こうかしら、考えているだけでも楽しいものです。



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