y.grandma

昨年80歳の峠に辿りつき、今年からは麓までゆっくりと降ってゆくつもりです。今という時を…

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昨年80歳の峠に辿りつき、今年からは麓までゆっくりと降ってゆくつもりです。今という時を感じ、楽しみながら。

最近の記事

     老いを見つめて

 歳をとることは,誰にも平等にやってくが,その時の各々の身体や精神の具合によって 感じ方はさまざまのようである。  私も80歳になった時から,身体の不具合がやってきた。歯の具合,目の見え方,手足の 不自由さ,ビニール袋が開かない,プラスチックの袋の入った食品が簡単に出せない。 料理のレシピをよんで、いざ作り始めると,突然何だっけということになったり、覚えることが苦手になってくる。  本を読んでいても,登場人物がわからなくなって,前のページに戻ったり,有名な作者の名前が思い出

    •     それぞれの90歳

       私の友人の中の90歳代が3人おります。  Aさん97歳,私の親友のご主人です。親友は三年前に90歳で 他界しました。その後お一人ですが,介護の方がきてくれています。 年齢もきてますので、運動機能は衰えをかくせませんが,頭脳は明晰で人との会話が大好き なので,時々私は話を聞きにいってます。戦中,戦後の苦しかった話を聞かせてくれるのです。 最近歩行がうまくいかないことを嘆いてますが,泳ぎはシニアのチャンピオンなのです。  Bさん92歳,私と区民教室でしりあいで、25-6年ほ

      •    リックサック

         昼下がりの車内の涼しさにほっとした。隣りには大きいリックを前に抱えた70代の男の人急いで乗り込んで来た三人の中年の女の人たちも,リックを背負っている。 やっぱり,リックは便利なのかもしれない。  私は買い物用のカートを横に転がし,歩行の補助にしているが,家族や友人から「リックがいいわよ,両手が空くしさっさと歩けるからと」と言われていつが、私はリックが好きでないのです。  私は終戦の時に小学校一年生あった。戦中、戦後と食糧難の時代のなかであった。 復員して来た父と二人で,近

        •     ビールグラス

            十年に一度の暑さにクーラーの効いた部屋で,テレビに映るビールのコマーシャルに涼を感じていた。細長いビールグラスについだビールを一気に飲んむさまに、今日はビールを飲もうかとグラスを用意する。夫は近頃あまり飲まなくなり,晩酌をするとこが少なくなった。 夫には小さめのグラスをだし、私は何年か前に友人に貰った大堀相馬焼のカップを使っている。  大ぶりでなく,手に馴染んでビールが美味しい。あの3、11の災害で殆どの窯が崩れてしまったが,最近復活したというニュースがあった。 青磁色

             老いを見つめて

          麓までおりてきて

           麓に降りて三年が経ちました。登っている時と,景色がまた違って,体調不良がが続いています。麓の景色は登っている時と違い,友人達との別れという悲しい景色もあれば、孫娘が良き伴侶得て,素晴らしい結婚式に出会えました。86歳になったいま、12月には曽祖母になる 嬉しい出逢いますもあります。 7、8年前人間の寿命が百になるということなど信じられませんでしたが、それが現実になりました。しかし身体の衰えは,一年毎にやって来ます。 それに打ち勝つ術を持たなぬてはなりません。毎日の鍛錬が出

          麓までおりてきて

                麓がちかくなって

            峠の上からゆっくりと、あたりの風景を観ながら麓まで降りてきて、四年が過ぎ、麓が、見えてきました。上りと違って、喘ぐことなく、あたりをながめられました。それだけ年齢がいったのかもしれません。  孫たちもそれぞれの社会人としての生活も始まり、その一人が昨年結婚しました。夫婦揃っての結婚式への参加は夢のひとつでした。娘は孫のため心を込めて ブーケをつくり、会場の花に心を配り、幸せの華に纏われました。  今まで歳に抗っていましたが、医者からの「加齢です」という言葉もうけいれら

                麓がちかくなって

              十一月の空

          早朝の空は白い雲を漂わせた青磁色のそらで、やがて浅葱色の空へと変わってゆく、 この一月晴天が続き、毎日の空の変化に心躍らされている。   やがて、冷たい風が吹き、色づいた樹々の葉がおち、地面は朽葉色にかわり、秋が 深まっていく。この頃になると何となく人こいしくなる。 特に、この2年ほど友人、知人の訃報を人づ手に聞いたりして、都会って寂しいなと感じることがある。  明け方の空、真昼の青い空、夕方まだ日も暮れないうちに、白い月の出ている空を見ては 来し方を思う。  一方 結婚式

              十一月の空

          84歳になって

          大雨続きの後、いきなり猛暑が続き、コロナは爆発的に増え、そのうえ社会において、大事件もあり、全て今までに経験のないことでした。 こんな中で、84歳の誕生日を迎え、いいんだか、悪いんだか、わからず、孫の用意してくれたケーキのろうそくをけしました。 現在引き算の人生で、過ぎた日のこと、日常のことなど、消えてしまうことがおおいのです。  筋力もなくなり、歩幅もせまくなり、身体も心もへっていくようです。 足し算は顔の皺にしみばかりです。 毎日山のようにくるサプリメントのこうこく

          84歳になって

                春を待って

           何ヶ月振りかでデパートへ足を運びました。 売り場は春一色でした。 入学式に着る服を選ぶ親娘の姿を見かけ、心が和みます。 書籍売り場をひと回りして、隣のメガネ売り場によってながめ、いろんな色と形のフレームを手にとり、その中の赤いフレームを合わせてみました。派手かしら? 80すぎたのに…………  ふと、逝って10年近くなる叔母からの手紙のなかの短歌を思い出しました。    八十路なれば せめてはなやぐ色欲しと      眼鏡のフチの朱をあがなへり    聡明で、軍人の妻であっ

                春を待って

                麓までまで

           麓まで坂を降りるにつれ、ちょっと違った景色がみえました。 この二年大きな岩に道を阻まれ、日本中、世界中が困惑しました。 戸惑いながらもどうにか回り道をして進むことができました。  孫娘が年あけて、結婚すると満面に笑みを讃え報告にきました。 嬉しい話しが聞かれ、素晴らしい景色に心がなごみました。 薬指のダイヤの指輪が辺りを輝かせているようでした。  この時期に毎年孫達にアドベントのカレンダーをおくってました。 一日ごとに25日まで窓を開けると、チョコレートが出てくるもので

                麓までまで

                   抗う

          電車のシルバーシートのとなり、年恰好は同年輩かと思われる人は、膝の上のバックに手を置いていた、その手がとても美しく、私の色黒く、しみだらけで、血管の浮き出た手を思わず引っ込めてしまった。  私八十になった時この先は歳をとらないと年齢に抗ってきたが、一年、一年音もなくやってくる老化を自然に受け止めなければいけないらしい。  膝の違和感、脚腰の関節の衰えを自分で感じ、やっぱり年齢には勝てない事を感じるようになった。 膝にはヒヤルロンサン、コンドロイチン、グルコサミンがいいと

                   抗う

             二度目のオリンピック

                 57年前、下町のアパートの窓から、ブルーインパルスが青い空に描いた五輪マークをはっきり見ることが出来ました。 今回は駅前広場では高いビルの隙間にスモークをたなびかせたジェット機は、あっという間に消えました。 人生で二回の自国でのオリンピックを観る光栄にあずかり、83年 生きていることに感謝です。  今回は人類史上初めての世界中が新型コロナウイルスの感染の中の開催で、無観客という異例の状態でしたが、そんな中でのアスリートの頑張りに連日感動しております。  コ

             二度目のオリンピック

              転ばぬ先の杖

                                           夫が退職後初めて買ったものは杖であった。二十年も前である。 買って何年も使う事がなかった。と言うよりしつようでなかったのである。 やっとこの五、六年前から使うようになり、外出には使っているが、時には寄った店に忘れてくることもある。 娘から「お母さんもそろそろつかたほうがいいよ」私はまだ歩行は普通で、自分としてはまだ、いらないとおもっている。 杖は四つ足があるのがいいわよ、とにかく年齢から考えても杖持って歩い

              転ばぬ先の杖

                 今年のさくら

                    おちつかないコロナ禍の三月、さくらが例年より早く咲き出しました。 開花宣言があってから、今年はどこのさくらを見ようか、いつ頃満開かしら あっち、こっちを下見をしました。なにしろ庭園が閉鎖されて、枝垂れさくらは 見ることができません。業平の「………春のこころはのどけからまし」の心境でした。 上野のさくらは樹下のブルーシートは無く、食べ物のにおいもなく、タンポポが咲き乱れていました、一方通行でゆっくり眺めることができました。  翌日、近くのお寺の紅枝垂れさく

                 今年のさくら

          青天の霹靂

           買い物をしていて、お米を買わなければと売り場へまわると、棚にはいくつもの米袋が並んでいた。ここ何回かは復興の助けになればと福島のお米「月あかり」名前も気に入って買っていた。 今回は何にしようかと考えるくらい、棚にはいろんな名前のお米が並んでいる。 コシヒカリ、ひとめぼれ、あきたこまち、ささにしき、どまんなか、ゆめぴりか きぬひかり………スパーにはこなものかな。 それぞれ生産者が思考をこらし、心を込めて名付けたものらしい。 今は、性能の良い釜や土鍋もあり、美味いご飯が食べら

          青天の霹靂

             八十年前の自分に会う  

           古びた茶封筒の中から何枚かの古い写真がこぼれ落ちてきました。 生後4−5ヶ月から3、4歳までの私の写真でした 写真館で撮った何枚かと父が撮った大きさ3×4㎝ほどの写真が20枚ほどでした。 前はアルバムに貼られたものだろうか、剥がした黒い紙が残っていた私一人の写真である。 思いがけなく八十年以上前の自分に出会った。  おすまし顔の私、踊ってる私、仔犬と私、ブランコの私、あまりにも昔で、あの頃はと振り返ることも出来ない。紙の写真って昔の自分に会えるなんて感動ものであるが、その

             八十年前の自分に会う