癖と咳

風邪と体調不良から回復に向かう中での自己観察メモ。2020.12.20

(追記あり)

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横になって休みながら起きるでも眠るでもなくぼんやりと、いつも通りの思考を巡らせていたら、ある所に到った瞬間急に咳き込んで、其処が体調を崩した原因だと理解したのです。ただ、咳き込んだ途端に何を思考していたのやらすっかり消え失せてしまい、どんな思考が自分に負担をかけているのかを意識上で把握するには至りませんでした。とはいえ、その思考で起きる身体反応は分かったので、受け身もしくは回避なら、今までより上手くできるような気はします。これは症状の否定や拒否ではなくて、受容や許容の類いになります。どんな思考に拒否反応を起こすかは、また同じ流れを体験したら、分かるかもしれません。

今日人と話していたところ、野口整体の体癖の話題が出て、私はメインの体癖が4種だろうとのこと、ネットで調べてみました。(🖌末尾に記載)

さて、咳を引き起こすネガティブなポイントをぼんやりとはいえ認識できたので、横になったまま引き続き内省しながら、体癖4種の特徴を思い返して体で捉えようとしていました。するとこんどはポジティブに体が喜ぶ感情の動きに気付きました。どうやらネガ、ポジともに、太陽神経叢に関連していそうです。

いま、忘れないうちに振り返るために記していました。記録は一旦終わります。寝るときに再び実践してみるつもりです。

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治癒方向へ切り替わった夜から(翌日は元気でした)2日目と3日目、大量の鼻水を排出しながら、既往症でもある咳喘息のような空咳が時折頻発しています。単純に好転反応だろうと片付けてしまうのには違和感があり、もっと受容する姿勢があるのではと思って試しています。

思考の癖が自分に負担をかけているのが大半にあり、また、家族に話しかけられた途端に咳き込むこともあって、これについては、私の家族への向き合い方によるもののようです。怠惰な諦め、そしてそのエゴを保護しようとする心理的動態かと…たぶんそんなところです。

それでは、おやすみなさい🌙


🖌以下は体癖4種についてのツイートです。

画像1


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(追記 2020.12.21)

昨夜、就寝時横になり、咳を宥める気もちで太陽神経叢(鳩尾の左だそうです)と感情に注意を向けました。
すると大喜びで感情が発散しはじめて、奥から生命力のようなものが溢れてきました。まるで長年繰り返し膿んで治らない深い傷に厚い瘡蓋が覆っているような箇所、その内側から湧き上がり、みるみると治していき瘡蓋が剥がれていく心地がしました。
この湧き上がるものを適確に表す言葉は、ただひとつ「愛」しか思いつきませんでした。決して特定の誰かや何かや、そして自分にさえも向けられたものではない、私が人間愛と称するものとも別物の、ただ愛でしかないものでした。

気づくと、赤ちゃんみたいに握り拳を握っていました。そのままに身をゆだねていると、徐々に放出が緩やかになって、その頃になると手は自然と大きく開いていました。

肺に向かって侵入してくる苦しくて不安な空咳は治まり、喉仏より上の浅いところのヒリヒリする風邪ひきの咳になっていました。太陽神経叢の背中側も治ったばかりの傷跡の感覚となり、腎臓から上の半身、特に肩甲骨周りが柔らかく解れていました。

私は最近、「私」なんてものは幻想であって居ないんだ、居るフリをしてるだけだ、と考えていました。けれど身体は言いました。「私は居る!私は居るよ!!」って。

しばらくは目が冴えていたのですが、知らぬ間に眠っていました。

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朝目を覚ましたら、眼は澄み頭の靄がすっかり消えています。起きていれば再び癖が出て戻ってしまうのでしょう。身体は魔法のように一瞬では変われないから。知る、そしてまた向き合う。上手になれるといいな。

身体が「私は居る」と言ったのは、生命力なのでしょうか。ともすれば離散してしまう粒子を「私」としてつなぎとめる力。生きることが正しいかなんて、いまだに全く分かりません。でも、これがあるうちは死にそうにありませんね。

ここに書いたことはスピリチュアルみたいに思える人もいるかもしれないけれど違う。言えるのは、身体を通してしか起こり得ないということ。

では、このあたりで筆を置きます。

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最後に

この境地に至る道へと立たせてくれた、表に出たがらないある人に。
体癖のヒントをくれた斑猫さんに。
肘についてツイートしてくださった山口潤さんに。
時には真剣に、時には可笑しく、優しく、暗く、美しく詩を奏でてくれる沢山の人に。
そして、何よりもこんな私と共に暮らして、喜怒哀楽を共にし、笑い、支えてくれる家族に。

溢れる感謝を。

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