8月6日 50㎞+登坂高度1,100m
9時20分出発。今日も天気がいい。景色を楽しみながら、300mほど上ると峠に着いた。今度こそ理塘への最後の峠か。ここからの下りも本当にきれいな景色だった。この景色を見ると、上りの苦労が報われる。いや、上りを含めて、この景色の中を自転車で走ることができる幸せを感じる。
400mほど下るとまた村に着いた。おいおい、まだ上らなきゃいけないのかよ~。上りの途中、12時を過ぎたところで、昼食。昼食といっても、持ち合わせのお菓子と水。これじゃ、痩せるよなあ。帰って15%だった体脂肪を測ってみると、12%まで落ちていた。
今回の上りはたいしたことはなく、200mほど上ると峠に着いた。これが最後の峠だと思うと、もう、理塘に到着したような気分になる。気持ちよく下っていると、標識があった。理塘まで18km。もう、着いたようなものだな、とあらためて思う。すると、ちょっと進んだ先にまた上りになった。100mもない上りだが、やはり、上りはしんどい。頭の中で、あの峠に着いたら写真を撮ろう。写真のタイトルは「最終峠」にしようか、それとも「ラストパス」か。と考えているうちに峠に着いた。
が、その瞬間、目を疑った。なんだあの道は。(゚δ゚)▼※〆 前方遠くにある山の中腹を道が走っている。ここより、200m以上も高い。まさかとは思ったが、200m超は想定外だ。高過ぎる。おいおい、理塘の手前10kmで4,300mの峠があるのかよぉ~~~っ。
でも、がんばって上る。20kgの荷物を積んで、一生懸命上る。呼吸は最大酸素摂取モードに入る。「フッ」「ハッ」、「フッ」「ハッ」。普段はペダル2回転で1呼吸だが、ペダル1回転で1呼吸になる。しかも、口を大きく開け、胸の筋肉と横隔膜を思いっきり使って、一気に空気を肺に送り込み、一気に吐き出す。「フッ」「ハッ」、「フッ」「ハッ」。タルチョまでもうちょっとだ。「フッ」「ハッ」、「フッ」「ハッ」。
やっと峠に着いた。峠を下った先に理塘の町が見えた。ホッとする。峠には遊牧民のテントがあった。テントからは煙が出ていた。無性にバター茶が飲みたくなったので、テントを尋ねてみる。旅の会話集「チベット語」の本を出し、「バター茶」の部分を指さして、飲ませて欲しいと訴える。男はテントの中に招き入れてくれた。テントの中のダライ・ラマの写真に気が付くと、男は仏壇の扉を開いた。こりゃ、拝んどかんといけんなと思い、仏壇の前にひざまずき、手を合わせた。
バター茶を3杯頂いて、テントを後にする。そして再び自転車にまたがる。後は下るだけ。天気もいい。最後の景色を楽しみながら、写真を撮りながら、理塘の町へと下って行く。本当にきれいな景色だ。青い空、白い雲、そして緑の草原と牛やヤク。日本人には、この景色に似合うのは白人よりもチベット人やモンゴル人だと思ってほしい。
峠を下ると理塘の町に着いた。町の入り口には公安(警察)があった。チベットの人たちは自分たちの町の入り口に漢族の公安が居座っていることをどう思っているのだろう?自分たちの町にやってくる人をなんでおまえらが追い返すんだと、思っていないのだろうか?そんなわけはない。2008年チベットで暴動が起きたとき、ここでも暴動が起きた。やはり、ここはチベットで、漢族を快く思うはずはない。
ここまで、新都橋より3日の予定だったのに、4日半もかかってしまった。3日走って1日休み、また3日走って計400㎞ちょっとの距離を走る予定だったのに、4日半かけて200kmちょっとしか走れていない。甘かった。4,000mの峠がこんなにきついとは。道がこんなに悪いとは。アップダウンがこんなにたくさんあるとは。明日からの計画を変更しなければならないが、それよりも、先に、宿を探して、早くシャワーを浴びたい。
理塘の町には外国人貧乏旅行者の宿があったので、そこに泊まった。英語が通じるので、助かる。2段ベッドが4つ置いてある8人部屋(ドミトリー)が25元(375円)、ツインが150元(2,250円)、ここではゆっくりしたかったので、ツインの部屋を頼んだ。自転車から荷物を外し、部屋に運んでいると、ドミトリーから出てきたかわいい女性と目が合う。「あっ、日本人か?」とお互い2秒の間。彼女の方から「日本の方ですか?」「ええ」とぼく。続けて「ドミに泊まっているんですか?」と聞くと「はい」。やっぱ、ドミにしよう。スタッフにやっぱりドミにしますと言って、8人部屋に荷物を移す。
さて、明日からどうしよう。予定ではここで1日休養して、3日走って郷城まで行き、そこからバスで移動する。しかし、ここまで新都橋より3日の予定だったのに、4日半もかかってしまった。休養日を取らずに明日から3日間走って郷城を目指すか?それとも、ここからはバスで移動するか?郷城まで200km、途中4,600mと4,800mの峠がある。新都橋からここまでも200km、峠の標高は4,300m、4日半かかった。やっぱ、3日で郷城まで走るのは無理だ。ここでやめよう。
夕食を済ませて、部屋に戻ると、あの女性(ひと)がいた。ベッド8つのうち5つが埋まっていたが、他には誰もいない。彼女と話が弾み、場所を宿のバーに移し、12時過ぎまで話をした。彼女は大学3年生で休学し、昆明の大学に1年間留学しているとのことだった。「明日の予定は?」と聞いてみた。「稲城に移動します」「何時のバスですか?」「16時です」「それまでは何をするんですか?」「何も予定ありません」「ぼく達は温泉に行くんですが、一緒しませんか?」「温泉ですか。いいですねえ」「ぼく達は自転車で行くので、レンタサイクルでも借りて行く?」「ええ、そうします」
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