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【街歩き】色々と話題の大阪 お初天神の再開発について考えてみた

はじめに

倉本圭造さんが書いた大阪梅田のお初天神の住友不動産タワーマンションの記事を読んだ。記事はとても面白く読ませてもらった。再開発というものの難しさと今後に繋げていけるヒントを含んだものだった。
少し余談になるが倉本さんの川口市のクルド人問題についての記事も読ませていただいた。
対立する二つの事項を一刀両断で切り捨てることなく対立軸の明確化、
そもそもの対立のルーツ、論理的整合性、倫理性を検証し常識的かつ前向きな解決策を少しずつ探っていくその姿勢
には(あくまでも私の感想です)私自身とても共感している。

過去の経緯

この場所はもともとは、大阪北小学校があり作家の宮本輝氏の母校ということだったが児童数の減少により2007年3月に廃校となった。廃校となった後は住民のコミュニティセンターとして機能していた。
2014年3月27日の産経新聞の記事によると(抜粋・要約)
2024年1月 地域活性化の提案を事業主かせ受けるプロポーザル形式で活用方法を募集外部有識者の意見も参考に事業者を選定した。
●入札予定価格派約67億円(安い   私の感想です)に対し住友不動産の提示価格は約145億円で決定当時の計画では52階建て 900戸のタワーマンションの予定
●商店街会長は「商店街が賑わうような劇場を作って欲しかった」という要望に対して住友不動産側は「複合施設」として提案し、「賑わい空間を1階に用意する」→実際は2階にある


実際に現地に行ってみた

お初天神は自分にとっても馴染みがある街。
阿み彦」の焼売は大好物だった。
露天神の夏祭りも梅田にこんなお祭りがあるのだと驚き、また風情を感じた。
梅田の東通り商店街ほどの喧騒と猥雑さはないが、飲食店街であることには間違いはなく、程度の差はあれど夜になると多くの酔客が行き交う街だ。

最近は訪れたことがなく、今回の件で久しぶりに行ってみてそのタワーマンション(分譲・賃貸・ホテル)ができたことによる変わりようを眼前にしてまあSNSで叩かれるのもさもありなんという第一印象だった。

不評の原因は住民に賑わい交流施設をつくると言いながら、実際はかなりわかりずらい場所(建物の2階部分)にそのスペースを設けてお茶を濁しました感が凄まじいということになるのだろうか
また1階の道路に面した公開空地(だと思う)についても白いフローリング調の地面に植栽が一つ。金属製のコーンが結界をはるかのように置かれている。

現地にて撮影


いわばこのマンションの敷地は聖域であり、周囲のややうらぶれた飲食街とは別の世界なのだということを強く主張しているように思えた。
これについては、せめて地面をレンガ調のインターロッキングにしてはと素人ながら言いたくなるし、この場所だけなんか他とは違う印象を感じる人も多いだろう。
倉本氏も「「街の賑わいを意図した再開発」みたいな視点では「零点」というか「最悪of最悪の再開発だと言われてるのもわからんでもない(笑)」と述べられている。 

以下 私の感想として

まずはそもそもの前提が違う。商店会側は「劇場」のような賑わい施設を求めていたが、プロポーザルで採用されたのは、居住用の分譲マンションだ。

分譲マンション全体の権利は全て入居者及び入居者が結成する管理組合にありマンションの運営自体は管理組合の意思決定による。住民の権利は区分所有でありマンションの共有部分についてもすべて権利を有している。(実際はその感覚は薄いかもしれないが、法的にはそうなっている)

例えばこのマンションの道路に面する部分に道ゆく人達のために「賑わいと憩いのための共用スペース」を作ったとしよう。ベンチを置いたとしよう。潤いスペースとして豊かな植栽を植えたとしよう。

日本人の最大公約数的な民度については、信用に足るものがあると信じたい私であるが、ここは性悪説を採用してみる。
盛場では予測不能な事態も起きるのだ。

週末の夜など酔払いが周遊し、ベンチに腰掛けてコンビニ等で買った酒類を飲み散らかし騒ぎ、挙句には嘔吐し、放尿し、その場で眠ってしまう輩が出てくるかもしれない。翌朝の惨状は目も当てられないことになり、しかしその清掃と後始末は、住民及びその住民から業務を委託された管理会社が請け負うことになるのだ。
しかもそれが毎週末ごとに繰り返されたとすれば。

当然そういうことが続くとそのマンションの評判、資産価値は下がり、ん千万円以上(億の単位の住戸もかなりある)の住戸を購入した住民の立場からしてみれば、それはたまったものではなくなる。

下手をすれば周囲からも「あのマンションの「賑わい共用スペース」ができてからこのアタリの治安が悪くなった」と言われかねない。

事業主である住友不動産はプランニングの前にこの事態は想定しており、管理会社とも協議を重ねまたかつてより住民から要望の出ていた「賑わい交流施設」との兼ね合いをどうするか検討した結果「落とし所」として今の設計プランニングになったのではないかと推察する
(あくまで私の推察ですよ、事実はどうかわかりませんが)。

 そもそもお初天神というこのエリアにおける「マンションの資産性」「賑わい交流施設」「地域と共存するマンション」を満たす条件とは何かと考えた時、この立地の利便性を活かした、しかし周囲からの喧騒や治安から隔絶された
「ラグジュアリーなシェルター」の中にそれを作るしか手が無かったのではないかとまたまた推察する。

 さらに言えばこうなったのは、そもそもの前提に無理がありその合意形成の過程に問題があったと思わざるをえない。

 三井不動産や三菱地所が開発すれば別のものができたと言う意見もあるかもしれないが、結果は似たようなものだったかもしれず、また両社ともこうなることは判っていたためあえて入札に応募しなかったとも言える。逆に住友不動産はあえてここに手を上げざるを得なかった事情があったかもしれないが、まあ、そこのところは私もわからない。

結論として

結論から言えば私としては、この開発はなるべくしてこうなったとも言えるし、 
ただそれは「最悪of最悪な開発」でもないだろうということだ。

うがった目で見れば、大阪の昔からの盛り場に全く場違いなタワーマンションを唐突に建てることにより、その場所の清濁合わせ飲むカオスがより顕著になり街としての魅力が深くなり昭和でも平成でもない、
社会全体の格差の拡大を反映した令和の大阪の街のかたちを創出した 

とも言えなくもない。

なんかディストピア的な感じだが。

以上が私の感想

ただしこれはこの場所に限ってのもので、他の場所での無制限なマンション開発や再開発を無制限に許容するものでは全くない。

ここは理解しておいてくださいね。














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