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【エッセイ】思い出す人々

皆さんは「傷痍軍人」の方を見たことがあるだろうか?私は小さい頃に見たことがある。
当時50歳くらいの方だろうか?「山田」という
焼き肉店の店主の方だった。
痩身で背が高く、子ども心にも
「ハンサムなおじさんだなあ」と思っていた。
七三に綺麗に髪を分けて鼻筋高く、眼は切れ長の一重。とても愛想の良い奥さんと二人で
店をやっていた。
私は店名にちなんで「山田のおじさん」と呼んでいた。

山田のおじさんは片足が太腿の上部から無かった。
母に聞くと戦争で怪我をしたらしいとのことだった。

山田のおじさんの焼き肉は、ジンギスカン鍋で
焼く方式でとても美味しかった。
おじさんもおばさんも子どもはいないらしく
私も可愛がってもらった。
もちろんお客さんの前だからだろうが
おじさんは穏やかな優しい人だったと思う。

狭い町のことだから、あちこちで山田のおじさんを見かけた。海水浴場でも釣り場でも。
傍にはいつも愛想の良い奥さんがいた。
夫婦仲はとても良さそうだった。

でもある日突然見かけなくなった。
両親に聞いても知らないという。
(本当は知っていたかもしれないが子どもに、言うことではないと言わなかったかも知れない)
店にも行ってみたが、閉められたままだった。

一太郎というおじさんがいた。
漁師町の出身で、角刈りの痩せた小柄なおじさんだった。顔立ちは整っていたように思う。
仕事は、何をしているか知らない。
普段はどうということはないのだが
アルコールが入ると、テンションが爆上がりし
様々な騒動を引き起こした。
警察のお世話になったこともあったと思う。
中でも今でも覚えていたのは、各町内の祭礼で
お神輿を担いでいた大人や子どもが海岸で
お弁当を食べていた。大人は当然のように酒を飲む。一太郎も一緒にどこかで飲んでいたのだろう
突如全裸になり海の方に向いて走りだした。
その日は波が高く、たちまちのうちに酔った一太郎は波にまかれて海岸に打ち上げられた。
全裸のままである。我ら悪童はそんな一太郎の様子を見て残酷にも腹を抱えてゲラゲラ笑った。一太郎は何度も何度も波に突進するのだが
その度に波にまかれて打ち上げられる。
全裸である。
彼はなにがしたかったのだろう。
アルコール性の妄想をみていたのか?

子どもにはそのあたりの事情はわからないのでもう腹の皮がよじれるかと思うくらいに
笑った。その後はどうなったか知らない。「ええ加減にせえ」と周囲の大人に
止められたのだろう。おそらく。

そんな一太郎もある日を境にいなくなった。
大人になった今でこそ入院したのだろうと、希望的観測を述べることはできるが、実際のところはどうかわからない。

智ちゃんというおばさんがいた。
年の頃は40歳から50歳くらいか。小柄で愛想の良いおばさんだ。顔は化粧もしないので、よく日に焼け皺が多かった。髪は赤毛の天然パーマだった。実年齢はもう少し若かったのかも知れない。
仕事は、漁師が獲ってきた魚の加工を手伝っているとのことだった。
その智ちゃんが我々が釣りのポイントとしていた防波堤に頻繁にやってきてはニコニコと釣り人に話しかけてくる。何を話しかけているかは分からない。ただある日友達がヒソヒソと教えてくれたのは智ちゃんは「誘惑」してくるとのことだ。
まだ具体的な知識は乏しかったが、それは何を意味するかは分かった。以来我々は智ちゃんの姿を見かけると釣り場を移動し、話かけられても通りいっぺんとうのことしか答えなくなった。
これは今思えば悪いことをしたと思う。智ちゃんは誘惑ではなくただ話しかけただけかも知れないのに。
智ちゃんの釣り場通いはその後も続いた。
私が高校を卒業して故郷を離れることになる頃も、智ちゃんの頭に白髪が混じるようになっても続いていたようだ。その後の事は知らない。

井田君は小児マヒを患っていた。
思うようにならない手足を懸命に動かして
地元の新聞社の校正の仕事をしていた。
井田君の愛車はゴーカートくらいの足踏み式の
車で懸命に漕いで仕事場へと通っていた。
今の時代だと電動で走る車もあるのになと思う。
国道を通るとたまに井田君の姿を見かけた。
自転車よりも遅い速度で走る井田君の車を
自転車で追い越していく。井田くんはいつもの
ように懸命にペダルをこいでいる。
子ども心にも偉い人だなと思っていた。
まわりの友人にも井田君の事を悪く言うものはいなかった。みんな認めていたのだと思う。今思えば井田君は当時20代だったのではないかと思う。愛車を転がしてスナックなんかも言っていたそうだ。一部揶揄する声もあったらしいが、モノともせずに通っていた。
自分で働いて得た収入を何に使おうが自由だし
私自身は彼の行動に賛成していた。
聞くところによると井田君は新聞社の仕事を
そのまま続けたということらしい。
今はどうされているのかは私は分からない。

小学1年生の時の、同級生に木田君ということがいた。どこかからか転校してきた子だった。
どことなくアニメ「タイムボカン」のボヤッキーを彷彿とさせる風貌だった。
我々は何故か仲良くなり木田君の家にも遊びに行った。木田君の家は街の盛り場のスナックの
2階にあった。陽当たりのあまり良くない部屋だった。木田君のお母さんはそのスナックで働いていた。
当時通っていた小学校には給食が無く、お昼は弁当を全員が持ってきていた。当時は貧困も差別も虐待も世間からまだあまり隠されずに
存在していた。お弁当のオカズが貧しい子は
弁当箱の蓋で隠すように食べていた。
木田君のお弁当を見せてもらった。毎日毎日卵焼きと赤いウィンナー、作り方も盛り付け方も
子どもが見ても雑だなあと思った。
ある日たまりかねたように木田君は僕に言った。「妹の弁当は僕のと違う、野菜も肉もいっぱいだしサンドイッチだって作ってもらってる。僕だけいつも一緒の弁当なんだ」
確かに彼には妹がいた。何故彼だけ、、。
今でも胸が痛いのは彼がまだ小学1年生だったことだ。息子がちょうど小学1年生の時
私の目の前でお昼ご飯を食べている時に
ふいにこのことを思い出した。
あの時こんな小さな子が友達に必死に訴えて。
涙が止まらなくなった。
息子は不意に泣きだした父親を
不思議そうに見ていた。
木田君はその後転校していった。
その後何をしていかは全く分からない。

これまでに沢山の人と出会い
そして別れてきた。
でもここ最近、幼い頃に出会った人を
やたらと思い出す。
そういう人達のことを書いてみた。

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