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私が「宗教は信じない」が「神はいる」と思う理由

私が、神がいると思う理由は割と単純です。
生命は「偶然の産物」というにはあまりにも出来すぎていて、何かしらの意図があって作られたと言う方が個人的には納得できるからです。

生命が誕生する確率を例えるなら
「廃材置き場の上を竜巻が通過した後で、ボーイング747ジェット機が出来上がっているのと同じような確率」
なんだそうです。偶然にもほどがあるし、出来上がるものがボーイング747ジェットであることに意味もないという空虚な出来事。

私はその「空虚かつゼロにも等しい偶然の存在」よりも、「偶然ではない何かしらの意図の存在」の方がまだ信じられます。

で、「偶然ではない何かしらの意図の存在」に名前をつけるなら「神」が一番しっくり来ます。だから神の存在を信じるわけです。

じゃあ「偶然ではない何かしらの意図」とは具体的に何なのか?
それが何なのかは、もちろん分かりません。
ただ、もし生命を創れるような存在がいるのであれば、創られた対象である私達に、その意図を伝えたり、その意図通りに操ることなど容易なはずです。
であるにもかかわらずその意図を伝えないのは、伝えないなりの理由があるからでしょう。
「伝えないなりの理由」というのが何なのかも分りません。
ドッキリの種明かしのように、事前に伝えてしまうと神の意図が達成出来ないからかもしれません。

おそらく、種明かしがされるのだとすれば死後でしょう。

一方で「宗教」は、神から聞いたという伝聞形式で、「無から生命を誕生させた神の意図を教義として種明かしする存在」だと思っています。(誤解だったらすいません。)

生きている内に種明かしをして欲しいと願う人や、教祖が語るそれらしく聞こえる種明かしを真実だと思う人を否定しません。人それぞれの考え方ですから。

私にとってそれは死んだ後のお楽しみに取っておきたいことだから、事前の種明かしは聞きたくないのです。
それが真なのかは死んだ後じゃないと確かめようもないですし、他の人々と答えが同じとも限りません。むしろ人によって答えが違ってる可能性のほうが大じゃないかと。
生命を別々に創れるくらいの存在なら、生命一つ毎に個別の存在理由が設定してあっても驚かないわけです。
統一的な理由(教義)にまとめたいのは人間側の運用上の都合なのでは?と感じてしまうわけです。それが私が宗教を信じない主な理由です。

ただ、この世界のゲームデザイナーは神であり、世の中の出来事が、ランダムで起こそうと決めていること自体も含めて、説明はされないが神による何かしらの意図によって起きていることであると考えるならば、自身に起きた理不尽で不幸な出来事にも何かしら意味があるのではないか?と前向きに考えることが出来る気がします。


死後にされるであろう神による最大のミステリーの種明かし内容を想像しながら、つかの間の現世を精一杯生きていく。
そうありたいと思います。




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