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たらちねジョン『海が走るエンドロール』(書評ラジオ「竹村りゑの木曜日のブックマーカー」1月27日放送分)

※MRO北陸放送(石川県在局)では、毎週木曜日の夕方6:30〜6:45の15分間、書評ラジオ「竹村りゑの木曜日のブックマーカー」を放送しています。このシリーズでは、月毎に紹介する本の一覧と、放送されたレビューの一部を無料で聞くことが出来るSpotifyのリンクを記載しています。

※スマホの方は、右上のSpotifyのマークをタッチすると最後まで聴くことができます。

<収録を終えて>
 
ラジオの中では、何よりもまず、この作品の胸がいっぱいになるようなエモさをご紹介させていただきました。年齢の大きく離れた2人が、「映画を制作する」ことへの情熱で、同じ時間を共有することの美しさを感じていただきたかったのです。

ですが、実は『海が走るエンドロール』の魅力は、いくつかの階層に分かれているのではないかと思っています。

1番上の層は、番組の中でお話した、うみ子さんとカイ君の、映画への思いと友情で紡がれるストーリーです。そこでは、うみ子さんを映画制作の道へと誘ったカイ君が、いわばメンターのような形で描かれています。

ですが、その1つ下の階層では、カイ君の不安定さや脆さが語られています。そこは、創作を続けるために必要なのは、熱意や才能の前に環境であることが明確に示される残酷な層です。自分を取り巻く世界と戦いながら創作を続けるカイ君の姿は痛々しく、彼は見た目の飄々とした雰囲気とは裏腹に、葛藤や苦しみを持って存在していることが分かります。読者はこの層に辿り着くことで、カイ君は決して力強いメンターではないことに気が付きます。

ですが、その下には3層目が隠されています。そこで見えてくるのは、年齢を重ねたうみ子さんが自然と身に着けた、ある種の老獪さです。
一見警戒心が強そうに見えながらどこか無防備なカイ君に対し、うみ子さんは鷹揚とした陽気なおばあちゃんでありながら、決して自分のコントロールを相手に任せない強かさを持っています。

カイ君「そういえば今日聞こうと思ったんですけど」
うみ子さん「ん?」
カイ君「うみ子さんて後悔してることってありますか」
うみ子さん「後悔? うーん」(そりゃあこの歳で いろいろあるけれども 人に言うようなことは)「特に無いかなあ……」

たらちねジョン『海が走るエンドロール』より

後悔してることってありますか、という質問の純粋さにカイ君は気付いていません。その質問をすれば、カイ君自身に非常に後悔していることがあること、そして出来ればどうにかしてそれを癒やしたいという弱さがあることが、相手に伝わってしまいます。無意識にせよ、自分の弱点を露呈する行為なのです。
恐らくうみ子さんは、カイ君より先にそのことに気が付いています。しかし、そこで自らの弱さを取り出して相手に見せることはしません。カイ君の無意識の自己開示に、決して無闇に合わせようとはしないのです。大人の処世術の強さと賢さです。

この3層目で見えてくるのは、1層目と逆転するうみ子さんとカイ君のパワーバランスです。映画制作においては未熟なうみ子さんですが、精神的な安定感はカイ君を遥かに上回っており、今後カイ君のメンターとなりうることが予見されます。(その一方で、うみ子さんは夫を亡くしたばかりという傷を抱えており、その傷はまだ癒えていないことも示唆されています。この傷をケアするのがカイ君の存在なのか映画制作なのか、もしくはその2つなのかというところも気になります)

3つの層がそれぞれの歯車で物語を紡ぐ『海が走るエンドロール』は、まるで細工の美しい懐中時計の内部のようです。歯車同士が噛み合い、どんな時を刻むのか……これからの展開を期待して待ちたいと思います。

それでは、   今日はこのあたりで。
またお会いしましょう。

<了>

記載したSpotifyのリンクから聞くことが出来るのは、番組の一部を抜粋したものです。BGMや、番組を応援してくださっている「金沢ビーンズ明文堂書店」のベストセラーランキング、金沢ビーンズの書店員である表理恵さんの「今週のお勧め本」は入っていません。完全版はradiko で「木曜日のブックマーカー」と検索すると過去1週間以内の放送を聞くことが出来ます。

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