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「フランケンシュタイン」その後の物語

 タイトルの通り、18世紀〜19世紀に生きた女性作家メアリー・シェリーの「フランケンシュタイン あるいは現代のプロメテウス」を読んだ上での、私の思う「その後の物語」を書いてみました。

 何故、今さら200年以上も前の古典をひっぱり出してきたのか?自問してみると、現在大ヒット中の映画「JORKER」を見たことが大きく影響を与えているように思います。

 後にピカレスク的悪役となり「ダーク・ナイト」ではバッドマンと死闘を繰り広げるジョーカーの、始まりの物語。そこで描かれていたのは、社会的弱者であるというただ一点のためだけに、常に望まざる選択肢を選び続けることしかできず、自らを破滅へと追い込んで行くアーサーの姿でした。この文章の主題ではないので感想は控えますが、アーサーの生き様を心に残しながら、偶然手にした「フランケンシュタイン」を読んでみると、フランケンシュタイン博士が作り出した怪物は、(よく誤解されがちですが、フランケンシュタイン、というのは怪物を作り出した博士の名前です。怪物そのものに名前はありません)アーサーと非常によく似ていることに気が付きました。

 物語の中で怪物は、知識や愛を激しく求めながらも、風貌があまりに醜いという理由によって人間たちから激しく拒絶され、その反動から罪を犯し続けます。(もしかしたら人間たちは、「人工的に作り出された生命」である怪物に、一種本能的な恐怖や嫌悪を抱いたのかもしれません。そう思わせるくらい、怪物はありとあらゆる場所で迫害されるのです)

 しかし、私はそれを許したくはなかった。アーサーにも怪物にも、あらゆる存在には尊厳が認められるべきだし、いついかなる時でも人間は高潔に生きる道を選ぶことができるのだと、どうにか証明したくなったのです。

 以下に掲載したのは、光文社から出版されている、小林章夫の翻訳による「フランケンシュタイン」を元にして、私自身が熱病に冒されたかの如く書き殴ったものです。物語の最後の一行の、その次の行から始めるつもりで書き始めました。小林先生の文体になるべく近付けるよう、私なりに配慮を踏まえたものですが、拙いことは重々承知しておりますのでご容赦下さい。また、「原作フランケンシュタインを」「しかも小林章夫の翻訳バージョンで」読んだという、非常にニッチな読者を対象にしているので、果たしてそれに該当する方がこのページを訪れてくれるのかも分かりません。

 それでも、一縷の望みに掛けて。誰かの手にこの物語が届きますように。

※小林章夫訳ではありませんが、青空文庫で原作が公開されていたのでリンクを貼っておきます。

 「待ちたまえ!」
姉さん、信じられるでしょうか。僕はこの、見るもおぞましい穢れた生き物が、まさに船窓の縁に足をかけ、飛び出そうとした瞬間、咄嗟にそれを呼び止めたのです。
「僕の名前は、ロバート・ウォルトン。イギリス人の探検家で、この永久に閉ざされた氷の王国に、人類の進歩のただ一歩を刻もうとする者だ。お前のことは、今は亡き偉大なる友人ヴィクター・フランケンシュタインから聞いている。恐らく、彼がお前について知る何もかもをだ」
 「だったら何だ」
用心深く答える怪物の顔は、ある部分は引き攣れ、ある部分は筋肉と血管とが剥き出しになり、なるほどこの世のものとは思えない醜悪を極めた様相でした。思わず顔を背けたくなる衝動を、しかし僕は捻じ伏せ、その瞳を見つめました。一体、何故でしょうか?しかし僕は、その振る舞いこそが、今まさに、僕の今までの人生(それは決して長いものではないかもしれませんが)において果たすべき、最良のものであると信じたのです。そして、それは正解であるように思われました。黄色く濁った怪物の瞳によぎる不信と警戒は、弱き生き物を蹂躙し飢えを満たす獰猛な野生動物そのものでしたが、それと同時にそこには確かに、最も清く敬虔なる信者そのものと言ってもいいほどの、罪深き自己を恥じ、救いを求める切望の色が窺えたからです。
 「お前が如何に非情な振る舞いで、我が友フランケンシュタインを苛み、そして死に追いやったのかを僕は知っている。お前のした事は決して許されることではない。しかし、僕は一つ、お前への言付けを彼から預かっている。それを伝えることが、数奇なる運命でここに居合わせた僕に託された使命なのだ」
「ならば、早く話せ。その使命とやらを」
「死以外の未来を持たないお前が、何を急かすと言うのだ。僕は僕の話したいようにお前に伝えるつもりだ」
 きっぱりと言い切った僕は、怪物の様子を注意深く観察しました。巨大な体格は獣の皮やボロ切れで覆われていましたが、顕になっている指先や耳は赤く爛れ、皮がぼろぼろと捲れているのが分かりました。如何に通常の人間を遥かに上回る体力や頑強さを持ち合わせていたとしても、氷の女王が余すことなく猛威を振るう北極の世界は、この怪物にとっても過酷なものであったに違いないのです。そしてこの生き物は、その猛烈な苦難を、ただ一心、フランケンシュタインから憎悪という関心を得るためだけに耐え抜いたのでした。
 怪物は明らかに動揺していました。思うに、この哀れな生き物は、未だかつて誰かに呼び止められたことも、会話を求められたこともないのでしょう。
「紅茶を飲んだことはあるか」
「あるはずがない。書物に書かれているのを読んだことはあるが。飲むのはいつも、良くて川の水、雨水を溜めたり、今は雪を口にするくらいだ」
「ならば、今からそれを飲ませてやろう。僕はイギリス人だから、紅茶にはうるさいんだ。人間は、大切な話をするときは、同じテーブルでお茶を飲むものだ」
これを聞いたときの怪物の様子は、今でも忘れることが出来ません。奴は右手を胸の前で握りしめ、醜い顔を歓喜の色で染めたのです。わななく唇は、感激のあまり言葉を発する事は出来ないようでした。
 フランケンシュタインの亡骸が眠る部屋を出た僕達は、共に船長室へと移りました。そこで怪物は、彼のために紅茶を入れる僕の一挙手一投足をつぶさに見つめ、メジャースプーンやソーサーといったものの用途を聞く様子は、まるで幼い子どものようでした。
 十分に蒸らされた芳しい赤い液体をカップに注ぎ、渡してやると、彼はくぐもった声でお礼を述べました。内心、これには驚きました!この怪物には、感謝の心も備わっており、そしてその美点は、かくも困難な彼の人生の中ですら失われなかったのです。
 「何といい香りだ」
 恐る恐るカップを掴み、鼻先に近づけた男は、掠れた声で呟きました。
 「森の中で嗅ぐ花の香りも素晴らしかったが、これはそれとは違う。どこか蠱惑的で、それでいて心安まる香りだ」
  「カップは鷲掴みにするのではなく、持ち手を軽く握るように持つ。テーブルが膝よりも低い場合は、ソーサーごと左手に取り、右手でカップを持ち上げるんだ」
 「こうか」
 そっとカップを握り直す男の姿を見守るうちに、何ということでしょう、私の心には信じがたい変化が生まれたのです。それはつまり、おぞましい外見への驚きは薄れてゆき、代わりにこの男に、何かひたむきな、純粋なものを感じ始め、ともするとそれは何某かの好意めいたものを結び始めたのでした。
 船内に僅かに残された菓子を出してやると、一口口にした男は稲妻に打たれたように動きを止め、次の瞬間には残りの菓子を手掴みにし、あっという間に食べ尽くしてしまいました。決して行儀の良い行為とは言えないそれらも、僕には、新しい喜びを与えられた満足感をもたらしさえしたのです。白状しますと、僕はこの男のおぞましさを理解しつつも、その辿ってきた不幸な人生を労ってやりたいような気分になっていました。それは、男が自死の決意を述べたことで、僕が殺される事はないだろうと信じることが出来たからかもしれません。そうです、この恐ろしい風貌がもたらす恐怖心は、全く根拠のない、まやかしのものです。そう思った瞬間、僕がこの哀れな生き物にかけるべき言葉が決まったのです。
 「我が友、フランケンシュタインがお前に残した言葉だが」
 すっかり平らげて、空になった菓子の皿を名残惜しげに見つめていた男でしたが、この言葉を聞いて、はっとした様子でこちらを見つめました。初めて味わった人間らしい扱われ方にのぼせ上がっていたけれど、自分の本来の目的を思い出したのです。
「彼はお前に、すまない、と言っていた」
 その瞬間、この異形の男は両手で顔を覆いました。不格好な指と指の間から漏れてくる呻き声と涙は、男の苦悩の程を窺わせましたが、しかし十分であったとは言えないかもしれません。全身全霊で愛情と知識を求め、人間に憧れ、その仲間に入れてもらうことだけを考えつつ、何度も裏切られ、絶望の果てに最も愛しい者を手にかける以外に自身の慰め方を持ち得なかった男。そして尚悲劇なのは、この男はそんな自分を嫌悪するだけの知性と純粋さを持ち合わせていたのです。こう思うと、全く、フランケンシュタインの発明は見事でした!彼は、人間の身体だけでなく、その精神すら作り上げることに成功していたのです。惜しむらくは、その偉業をフランケンシュタインその人は受け入れることが出来なかったことです。
 深い嘆きの中で、絞り出すように問いが生まれていました。
「何故だ。詫びるくらいならば、何故そもそも俺をあんなにも嫌悪し、拒絶したのだ。いや、それ以上に、何故俺を作り出したのだ。こんな人生を送るしかないのだと知っていたら、俺は決してこの世に生を持ちたくはなかった」
 「僕が伝えられる彼の言葉はそれだけだ。しかし、お前はもう既に知り得ているはずだ。人間は不完全であるということを」
 長い沈黙が訪れました。男の中に生まれたのは新しい絶望でしょうか。それでも、僕はその絶望の中の一欠片に、彼が初めて得たものがあるのではないかと思うのです。それは、僕たち人間が理不尽な怒りや悲しみに晒されたとき、自らを慰めるために手にするものです。即ち、納得を。
 「俺はもう行かねばならん」
 静寂を破り呟く怪物の様は、毅然として勇壮にさえ見えました。その時、僕は不意にフランケンシュタインを思い出したのです。孤独を恐れず、己の信念を曲げずに、ただ一人運命に立ち向かったあの人を!
 「お前は俺に、人らしい扱いをしてくれた、ただ一人の人間だ。それにどれほど心救われたかは、言葉にするのが難しいほどだ。しかし、お前から掛けられた優しさの分だけ、俺は自らの罪を許すことが出来ないのだ。いくら嘆こうと、俺の残忍な振る舞いは取り消すことが出来ないし、創造主フランケンシュタインが息を吹き返すこともない。ああ、お前にもっと早く出会えていれば!その際は温かい紅茶も甘美なる菓子も必要なかった。また、言葉すらいらなかったに違いない。ただ、今お前が俺に向けている眼差しが、かつての自分に一瞬でも向けられていたら、俺の人生は今とは全く違ったものになっていただろう。だが、時既に遅し、覆水は盆に還らずだ。俺は死を自らにもたらす以外の未来を持たない。ただ一つ救いとなるのは、死をもって償いになればという願いを持ちながら、息絶えることが出来ることだ」
 「なるほど怪物よ、思うままに生きることが出来なくても、思うように死ぬことが出来るのは確かに人間の権利ではある。お前がそう望むのならば、それを止める法はない。しかし、深く自らを恥じ、後悔の念に苛まれた人間がとるもう一つの方法を教えてやろう」
 僕の目には、フランケンシュタイン、そして会ったことはないはずの、思慮深い彼の父や、愛しい妻、そして聡明な友人、無実の罪に処された美しきメイドや、無邪気な天使そのものの幼い弟の姿がありありと浮かびました。人間である以上、数々の欠点を持ち、過ちを犯したであろう一方で、弱き者に献身し、高潔であることに喜びを覚え、時には自らの命を投げ出してまで、何かを守ろうとする者たちの姿が。
「償いきれぬ罪に苛まれ、戻りたくても戻れぬ過去を切望し、自らを力の限り嫌悪し、身を裂くほどの後悔に身を投じよ。それはお前が死後に見舞われるだろう地獄の業火にも劣らない、いっそ死んだ方がましと思える程の苦しみであるはずだ。しかし、最も激しく自らを罰したいと願う人間は、自らの意思を持って、出口のない暗黒の生涯を送ることを選び、ねじ切れるほどの苦しみを抱えて生きるものなのだ。だが、怪物よ。お前が人間になりたいと、我々の仲間になりたいと心の底から願うのであれば、お前は誰にも気付かれず、神の目の届かない所ですら、人間として振舞わなければならない。美しき人間に憧れるのであれば、まずお前こそが、自らが美しいと思える振る舞いをするべきなのだ」
  「おお、何てことを言うのだ。お前は、俺に許された唯一の権利、死という選択肢すら奪おうというのか。既に張り裂けんばかりの俺の魂に安息を与えず、絶望と自己嫌悪の鞭を持たせ、その鞭で自らを打てというのか」
  「そうだ。お前が怪物などではなく、真に人間であるのならば。償いが終わる幻想など一切持たず、許される希望を微塵も抱かず、ただ己と己のした事だけを見つめる日々を過ごせ」
 これを聞くと、男は身を捩り、苦悶の表情を浮かべ髪を掻き毟りました。そして僕は、もはやこの怪物を怪物と呼ぶことが出来ず、いつの間にか、一人の人間としてしか見ることが出来なくなってしまったのです。
 「お前に一つ、誓いを立てよう。それがお前の呪いとなるか、糧となるかは分からないが、僕の人生の一部を、お前の存在によって支えよう。この船は、北極を探検するはずだったが、不運が重なり南へ引き返すことになった。既に多くの命が犠牲となり、勇敢なはずの船員たちがこの先の航海を拒んだためだ。僕自身も、失意のうちにありながらも、イギリスで待つ最愛の姉のことを思えば、家路に着きたいと思ったことを否定は出来ない。自らの命を、これ程までに愛おしいと思ったこともなかった。しかし、お前がたった一人、報われることのない孤独に立ち向かい、心に巣食うありとあらゆる欲望を捻じ伏せ、今この瞬間から気高く生きると言うのであれば、僕は暖かな安寧を与える愛しい我が家に帰ることを選ばず、新しい船を調達し、たった1人で再び最果ての北の地に挑もう。そこに僕の目指すものはないかもしれないが、自らの誇りを失わずにいられるただ一つの方法として、僕はその道を選ぶつもりだ」
 そして僕は、人の傲慢によって生み出され、正しい導きに出会うこともなく、愚かなる衝動で命を使い果たそうとしている男の目を見据えたのです。
 「過酷な旅になるだろう。しかし、お前がどこかで一人、孤独に自らと戦い続けていると思えば、僕も目の前の困難と、どこまでも戦うことができよう。いいか、よく聞け。お前は僕の灯火となり、お前の存在が僕を励まし、救うのだ」
  姉さん、僕を愚か者か、さもなくば気が触れたと思うかもしれませんね。でも、僕はこの目で一つの気高い魂が生まれた瞬間を目撃し、そのことにはっきりと勇気付けられたのです! 如何なる状況であっても、人は誇り高く生きられるのだと、少なくともその可能性の一片に触れたのですから。
 長い沈黙を経て、男は口を開きました。
「いいだろう。船長、ウォルトンよ。俺は俺の考えうるかぎりの気高さをもって、この呪われた人生を全うすることを誓おう。そして、絶望に立ち上がれそうにないと思った時には、お前のことを思おう。一度限り、俺を人間として扱ってくれたお前のことを」
 さあ、僕はこれで家に帰る理由を失ったわけです。この手紙は、いつか姉さんに届くのでしょうか。もしかしたら、誰の目にも触れないまま、僕たちの物語は永遠に失われてしまうのかもしれませんね。
「もう話すことはないだろう。このまま俺は行く。最後に礼を言わせてくれ。ロバート・ウォルトン、ありがとう」
 そう言って部屋を出ようとする彼を、僕は最後にもう一度引き止めました。
 「待て。お前を思う時、ただ怪物と呼ぶのは気が進まない。何か名前を名乗って行け。さあ、お前の名は何だ」
 「ならば俺は、俺の知る限り最も愛しく最も愚かな人間の名を名乗ろう。我が名は、フランケンシュタインだ」


〈了〉

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