見出し画像

桜をみてなぜ喜ぶのか

秘すれば花
隠すということの中にこそ、感動がある、ということ。

室町時代の能の役者・作者、世阿弥の「風姿花伝」に出て来る言葉です。

「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず(秘密にすれば花となり、秘密にしないと花にはならない)」のしばらくあとに、観客に思いも寄らぬ感動を与えることこそが「花」である、と述べています。

今年も桜が咲きました。去年の桜と今年の桜は違いません。いつも同じ桜です。なのに、僕たちが毎年、新鮮な気持ちで桜を喜ぶことができるのはなぜか。

桜は散ってしまうからこそ、次の年にまた花を咲かせることができる。桜は春の短い間しか咲かない。だから人々は桜を楽しむことができます。真夏に桜の花を咲かせてみても、人々は喜ぶことはできません。

世阿弥は舞台もそれと同じだと言います。あらゆる花の種を持っていて、観客が一番見たいと思う花を、見たいと思うときに咲かせなければいけないと言います。

人にどんな花をみせて感動を与えていくのか。そこに仕事の極意が詰まっている気がします。そのためにはいつ使うかは考えずに、いつでもすぐに取り出せるように技を日ごろから磨いておかなくてはならないという心がけを世阿弥は説いています。

玄人はどんな状況でも、即座に反応して適切な演じ方を取り出してみせる必要がある。僕もチームビルディングのプロとして、僕に会うことで思いも寄らぬ感動を与えるために修練をより重ねていく必要があるなと感じます。

芸能に限らず事業には「秘事」ということはあります。それは秘めておくこと自体に大きな意味があります。

秘事といっても、その内実を知れば「なんだ、そんなことか」というようなたわいのないことが多かったりします。

大事なのはそれをどこにあるかは知らせないで、ベストのタイミングにみせることです。その花に観客は驚き、感動するのです。

マジシャンがマジックの種を公開してしまったら、もはや仕事になりません。どんな事業にもそんな種があると思います。

人の心に意外な、思いも寄らぬやり方だ、という感動を与える手法、これが世阿弥のいう「花」ということです。