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美術史だったり野望だったり

画家・タシロサトミさんとの往復書簡45回目です。
前回はこちら。

前回のタシロさんの「美術史に名を刻む方法とか」
とても興味深く読ませていただきました。美術史に挑むことというのは現在作品を作っている美術家は、皆考えているのではないかなと思います。
そこについては後ほど述べるとして、まずはお題。

マティス展について

マティス展は1人で1回行って、2回目は家族で行きました。
マティスって教科書にも載っているので、中学生の頃には知ってる画家でしたが、実物を見たのは大学に入って東京に来てからかもです。
マティスのJAZZのシリーズはデザインとしても優れていて、色の響きや形もよく、昔からかっこいい〜と思っていましたが、油彩は図版だと色がくすんでいて、良さがイマイチわからなかったのです。
しかし、実物の油彩作品だと、油絵の具の色が綺麗!あんなに赤を多用してるのに、落ち着いて見える画面構成は何度見ても不思議です。そして今回はデッサンがたくさん来ていたのがよかった。
一見単純化されているように見える作品も、正しい線や形を求めてずっと探っている。
彫刻作品も多かったので、視覚だけではなく手触りや質量に対しても探究しおり、それが平面の仕事にも通じていたことが分かりやすく、とても良い展覧会だったと思います。
最後の教会のプロジェクトの部屋も、実物の作品や写真、映像と共に見れてよかった。
一度でいいから、マティスの教会に行ってみたいものです。

先人たちの作品を見に美術館に行くのはとてもいいですよね。
ヒントがたくさんある。

そして、タシロさんが前回の「美術史に名を刻む」について書かれていたことと同じようなことを、ホックニー展を見に行った時にも感じました。

ホックニーがピカソからヒントを得てキュビズムを自分の中に取り込み展開してゆく様を見た時に、こういうことなんだよーーーピカソやブラックが始めたキュビズムが現在にも繋がって、ホックニーがいる。そしてその先に未来の誰かに繋がってる!って思えた時にめちゃくちゃワクワクしました。

私の中にも自分が敬愛する作家さんや、インスパイヤされた作品がたくさんあります。そういう先人たちにどう繋がって表現してゆくのか、そして後世の人にどう繋がってゆくのか….私もやっぱり美術史に名を刻む、美術史の片隅にでもいいから足跡を残したいと思ったりするんですよね。
だからかもしれませんが。同世代と自分を比べることはほとんどなく、偉大なる先人と自分を比べて、自分の至らなさ、小ささにガッガリすることが多々あります。
私よりも年下の時にこんなに素晴らしい作品を作ってる!とか、年をとってもこんなにダイナミックな作品作ってる!!とか。
これは絵を本格的に学び始めた高校生の時からそうなので、おこがましいかもしれませんが、偉大なる先人たちの偉業につながる何かでありたいとおもってるんですよね。

そのために具体的にどうするのか?ということですが、これは自分1人の力だけではなく、支援してくれる人が必要。作品を売ってくれる画商さん、買ってくれるお客様、批評家、学芸員、多くの方々の力と、時間も必要。本当に良いものかどうかを見極めるには、少なくとも100年は必要。よく美術館の企画である生誕100年展とか、死後100年展って、とても意味がある。でも、その先はあまり展示されることもなく忘れられてゆく作家も多数。なかなか厳しいなーーーでもそんな流れの中に少しでも自分の場所があれば、、、とささやかな野望….ってささやかじゃないわ。歴史に挑む大きな野望だわ。でかいわーーーー。
結局、作家ができることは良い作品を作り、考え続けることでしかないですし、他者からの評価も何もかも作品ありきなのは明白なので、自分のできることをコツコツとやっていきたいと思っています。

ああ….野望をついに書いてしまった。。。超恥ずかしい。
まだそこに見合っていない未熟な自分が恥ずかしい、、、でも仕方ないと開き直ってい行きます。

…なんだか野望開陳の取り止めのない文章になってしまった。文章書くって難しいな〜〜

タシロさんは野望ってありますか?
もしありましたら教えてください。

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