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育児で9年間の活動休止。その時どうだったのかなどなど。

画家・タシロサトミさんとの往復書簡41回目です。
だいぶ時間が経ってしまいましたが、更新です!お待たせしました!
前回はこちらです。

文章も絵も慣れですね。書くことが習慣にならないと、書けないものだなぁと思います。もっとマメに書かないとね。
今回ちょっと書き方を実験しております。文章を書こうとすると考えすぎて硬くなってしまうので、音声入力で書いてみてます。音声入力をして後でその文章を添削して書いてみる。いざ書こうってすると、肩に力が入って書けないのであれば、こういう方法もあるのかなぁなんてね。

さて、今回のお題です。

先日Twitterで小河さん、育児で活動休止していた時のことを投稿されてましたね。作家活動を続けるにあたっては、主に女性が直面することになる、特有の困難がありますね。
パン教室のマスターコースで制作意欲を解消していたそうですが、その時のお話をきかせてください。

往復書簡#40より

私、2浪の後に武蔵美を大学院まで行きまして社会に出たのは26歳。在学中にバブル崩壊、就職氷河期。長く美大村にいたので世間とはちょいとズレていて、バイトをしながら作家活動を続けられればいいなぁとぼんやりと思っていました。
大学時代にバイトをしていた出版社に誘われて、そこでバイトをしながら作家活動をしていたのですが、最初の出版社は私が入ってから1年半で倒産、社長が逃げる等、いろいろありまして、いくつかの出版社を経た後、結婚、そして育児と言うことになりました。
その頃の活動はSNSもない時代で、貸し画廊で発表して知り合いやギャラリーの関係者に作品を見てもらう。それを毎回毎回続けると言うことで、それ以上の広がりを感じず疑問を感じていた時でもあり、自分の中での行き詰まりもあったんですよね。
そして子育となったら旦那は仕事が忙しく月の半分以上帰ってこれない、九州から出てきてるため親戚も近くにおらず、完全にワンオペ。自分の体力にも限界がある。いま中途半端に制作をするよりは、目の前のほったらかしたら死んでしまう赤子を育てることの方が大切だと思い、しばらくの間絵を描かなくてもいいやと思ったんです。でも不思議とやめたつもりはなく、またいつか描くと思ってました。

ということで子育てに専念。ワンオペ孤独な育児の悩みは、その当時にあった2ちゃんねるの育児版相談してみたり、ミクシィが始まった頃には、ミクシィで育児日記をつけて同じ位のお子さんがいるお母さん達と交流したりしてました。この頃にはめちゃネットに助けられた。育児に入ってなかったら、今みたいなSNSの活動も実はしていなかったかもしれません。
育児中は絵を描く事はしなかったのですが、やはり何か手仕事をしたいと言うことで、子供の服や自分の服などをたくさん作りました。手先は器用な方で、小学校の時は手芸部。和裁も洋裁も刺繍も絵も得意な祖母の影響もあり、裁縫はお手のものだったのです。その頃はユザワヤに行って、ものすごくたくさん布を買っていたなぁ。今だと画材を山盛り買うんですけど、それと同じような感じですね。1枚の洋服を買うのには躊躇するのに材料に対しては糸目をつけないと言う変なところがあります。
それとお菓子作りやパン作りにもはまりました。お菓子やパンって、分量をちゃんとはからないと失敗するんですよね。それが理科の実験みたいで好きなんです。特にパンは酵母が発酵して膨らむ所が最高です。イースト菌可愛い。おいしいパンが作りたくてパン教室にも通いました。大人になってから習い事楽しい。毎日のようにパン生地をこねるのが最高に楽しかったです。パン教室はマスターコースまで行って、パン教室で免許を取って先生になろうか〜ななんて妄想しておりました。まぁ、結局はやらなかったんですけどねパン教室の先生は。

あの時期、隙間時間で裁縫やパン作りをあんなにできたのに、なぜ絵を描かなかったのか?という疑問は周りの人から見てもあったと思うのですが、自分で思うのは、絵は私にとって特別なものだったからかなぁと。
実際それまでの自分の制作は、絵を描きだしたら寝食を忘れ時間も関係ない。集中して絵のことだけを考え続けてしまう。そこに子育てが入ってしまうとバランスが取れない。子供を育てることを負担に思ってしまう‥‥それが嫌だったんです。もし子供を保育園に預けられたり、サポートしてくれる人が近くにいたら制作を続けられたのかなあと思う時もありますが、今となっては分かりません。
しかしあの9年間育児に専念したこと自体は良かったと思っています。子供が小さい頃は一瞬です。子供と一緒に悩んだり泣いたり、大変だったこともいっぱいあるのですが、やるべき時にやれることを最大限にできたという自負はあるんですよね。
いま小さなお子さんがいて制作を続けていらっしゃる方々はほんとに凄いと思います。大きな活動はできなかったとしても、発表を続けていったら、全くの活動休止よりはいろんなつながりができて、本格始動したときに飛べると思うんですよね。
私の場合はそれができずに9年間ブランクという形にはなりましたが、それでも活動を再開したときに、以前作品を見ていてくれた方々や、学校関係者などが戻ってきてくれて、私が絵を再開してよかったって言ってくれたんです。そこから現在につながっていったいた事は、周りの方達にとても感謝しています。
それと同時に思うのは、もちろん作品制作以外に大切なものができたら作品制作を止めても別にいいんですよ。その人の人生ですもの。ずっと何か作らなければいけないって思っているのも一種の呪いだと思うので。

なんだかまとまらない感じになってきてしまいましたが、女性のキャリア形成については、色々と考える必要あることだなと思っています。

さて、次のお題です。
作家としてのキャリア形成と生活について、タシロさんはどのようにお考えですか?
タシロさんはまた私とは違ったルートを通って作家になられているわけですが、自分の歩みについてどう思われているのか教えていただけるとうれしいです。

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