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『物語の作り方』第1章
■ストーリーとは何か?
○人を感動させるストーリーを作るのに必要なもの
人を感動させるストーリーを作るために必要なものは何でしょうか?多くの人が才能やテーマと答えるかもしれません。
もちろん、それも正しい答えだとは思うのですが、私はもっと手前に必要なものがあると思います。それはストーリーを作る型であったり、そもそも人が感動するとはどういうことかを正しく理解していることです。
少なくとも、商業的かそうでないかに関わらず、人を感動させるためにストーリーを作るのに、ただ感性のままに作ればいいものではないのは明らかでしょう。
ストーリーと言っても、映画や小説、マンガ、ゲームなど、様々な形がありますが、それぞれの表現に基礎的な技術があり、その表現に適した型というものがあります。
また、人が文章や絵といったものをどのように頭で認知しているかという人間のメカニズムを知ることも必要になってきます。感動させるという目標を達成するためには、人が感動する時、生命的にどのような現象が起きているかなども、正しく知る必要があるのです。
ストーリーを作るというと、感性のままにイメージや言葉を書き連ねていくというイメージがあるかもしれません。私は、そういった創作活動を全く否定しないですし、時にはそのようなものが多くの人の心を動かすのは事実です。
しかし、時間軸を伴うストーリーは、長くなればなるほどに、きちんと整理しないと相手に伝わりません。短いストーリーであればきちんとしたストーリーになっていなくても想像で補い楽しめたり、むしろ色々な解釈を楽しめるということもありますが、1時間、2時間と長くなっていくとそうはいきません。それなりに意図をもって構成しないと、見る側には苦痛な体験となってしまいます。ストーリーとして成立するために、あるいは伝えたいことを感じてもらうためには、どういう順番で情報を出し、その変化をより効果的に認識させるかという思考になるのは自然なことです。
ですから、この本ではできるだけ論理的にストーリーや人間の感情などを捉え、再現性の高いストーリー作りを意識していきます。
多岐に渡った領域から必要な知識を学び、人を感動させるストーリーを作る。そういう意識でこの先を読み進めてもらえたら嬉しいです。
○ストーリーの定義
ストーリーとは何でしょうか?wikipediaによると以下のように書いてあります。
「主に人や事件などの一部始終について散文あるいは韻文で語られたものや書かれたもののこと」
誰が見ても、まあそうだろうと思える内容です。“一部始終”という言い方から、「始まり」と「終わり」があることが条件になっていることが分かります。ちなみに、散文は普通の文章で、韻文は詩・短歌・俳句のことです。
上記の定義には誰も異論はないのですが、映画やドラマなどをメインに考え、また再現性を高めたストーリーメソッドを目指す意味で、私はストーリーを以下のように定義しています。
「主体がある時間を過ごし変化する」
主体というのはいわゆる主人公のことです。厳密にいうと、主体と主人公を使い分けていて、これは後で詳しく説明します。wikipediaの定義でも、主体がある時間を過ごして経験した一部始終がストーリー、という意味では同じことを言っているように思えるかもしれませんが、そこに変化があることを明確に定義しているところが一番の違いと言えるかもしれません。
実際、変化のないストーリーはあり得ると思うのですが、多くの場合は、主体が変化するか、主体が何かを変化させることがほとんどです。
この本では「変化が意味を生み、その重なりがストーリーとなる」というのを基本の考えとし、人を感動させるストーリーをどうやったら作れるかを考えていきます。
○コラム:ストーリーの定義に対する反論
「主体がある時間を過ごし変化する」という言い方をすると、こういう反論があるかもしれません。「主体がないストーリー」「時間がないストーリー」「変化がないストーリー」というものは成立しないのだろうか?
例えば、とある監視カメラが記録した2時間の映像があったとします。人が入れ替わり立ち替わり通りすがるような映像だとしましょう。確かにそこには主体はないと言えます。しかし、ぼんやり2時間通して見た時に、なんらかのストーリーを感じることはあるでしょう。そう考えれば、主体がないストーリーというのは成立すると言えるかもしれません。
また時間がないストーリーとしては、絵画などのアート作品が挙げられます。時間は流れていませんが、静止しているその作品からストーリーを感じるという経験は私にもあります。
では「変化がないストーリー」はどうでしょうか?何を持って変化と呼ぶかという定義の問題はありますが、2時間を通して成長もしていなければ、その世界に変化が全くないというようなストーリーはありえるでしょう。
結論として「主体がないストーリー」「時間がないストーリー」「変化がないストーリー」は成立すると言えます。もっと言えば「受け手がストーリーを感じれば全てストーリー」というのが真に正しい定義だと思います。
これは芸術とは何か?という議論に通じるものがあるでしょう。例えば、道端に転がっている石をアートと呼んでいいのか?猫がピアノの鍵盤の上を歩いた時に流れたメロディは音楽と呼べるのか?などといった問いと同じだと思います。
おそらく、ふと目に留まった石ころも、偶然に奏でられた音楽も、受け手がそうと感じればストーリーであり、芸術と呼べるのだと思います。ただ、この本は作り手に向けて書いていますので、受け手次第のことはなるべく減らして考えたいと思っています。
最終的には、受け手によって完成するものではあるでしょう。しかし、多くの受け手をできる限り感動させるという目的の中で、その足がかりとなるような設定を作ることが必要です。そのため、ストーリーというものをできるだけわかりやすく分解した時に、主体を設定し、ある時間の中で、なんらかの変化をするということを、ストーリーの基本とすることにしました。
しかし上記のような、「主体がないストーリー」「時間がないストーリー」「変化がないストーリー」が成立するか?というような問いは重要なものです。
そういった素朴な疑問から、ストーリーというもの自体への理解が深まり、結果、人を感動させるストーリーとは何か?それはどうやったら実現できるのか?という問いに対する答えが分かってくるのです。
○CQ(セントラル・クエスチョン)について
「人を感動させるストーリー」を作る上で、最も重要なことは何かと聞かれたら、私は「CQ(セントラル・クエスチョン)」と答えます。
なぜならば、人を感動させる構成を作るために必要で、かつ、CQが魅力的であることで、より多くの人に見てもらえるようになるからです。
CQは、例えば映画で「果たして主体は迷宮から脱出できるか?」とか「果たして主体は片思いの相手と結ばれることができるだろうか?」などのように、受け手が何を期待しながら見ればいいかを表しています。CO(セントラル・クエスチョン)は「中心的な問い」と訳すとニュアンスが伝わりやすいかもしれません。
映画の予告編などは、このCQを伝えるものと言っていいでしょう。予告というものは、それ以外にもキャストなど作品の情報や映像の質感などを伝えるものでもあります。しかし、一番重要なのはCQを伝えることです。
何を期待して見ればいいのか?ストーリーの「ヘソ」とでも言うものをCQという形で伝え、受け手にこれは見なきゃと思わせることが重要なのです。
今の時代は、情報に溢れています。たくさんの選択肢から選んでもらわなければいけません。そのためには魅力的なCQで人を惹きつけることが重要です。いくら素晴らしい本を書いても、目に止まらなければ一生手に取ってもらえません。ストーリーも同様にまずは見てもらわなければいけませんので、そのための訴求が大事なのは言うまでもありません。CQはまず相手の心を掴む第一歩でもあるのです。
また映画館や演劇などの劇場においては、途中で席を立つことは少ないと思いますが、テレビやネット配信、あるいはマンガやゲームなどでは、つまらないと思われたらすぐに切り替えられてしまうものです。最後まで見てもらうのがままならない時代ですが、CQが魅力的であれば、見始めるきっかけになるだけでなく、最後まで見ようという気持ちになります。なぜならば、ストーリーのクライマックスというのは、基本的にCQの結果が提示される瞬間でもあるからです。
「果たして主体は迷宮を脱出できるのか?」で言えば、迷宮を脱出する瞬間がクライマックスになり、「果たして主体は片思いの相手と結ばれるのか?」で言えば、片思いの相手と結ばれる瞬間がクライマックスになります。ですからCQに魅力を感じ、期待が高まれば、最後まで見届けたいという気持ちが強くなります。
つまりCQは、人を感動させるストーリーを作る上でも、最終的な満足であるクライマックスを予告し、期待させ、まずは見始めてもらうために、重要なのです。
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