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再生

 気がつくと、わたしは人生の記憶をすべて失っている。自分の名前も思い出せないし、自分が何者なのかも思い出せない。医者の話によれば、わたしは深夜にバイパス道路の路肩を全裸でふらふら歩いているところ発見・保護されたらしい。全裸だからもちろん身分証の類も、身元がわかる手がかりとなるような品も持ち合わせていない。通報で駆けつけた警察に保護され(かなり激しく抵抗したようだ)、一ヶ月にわたって尋問と精密検査を受けた結果、重度の記憶喪失と診断される。前頭葉の奥深くに小さな腫瘍があり、それが脳の正常な機能を妨げているらしいのだ。自分の脳のMRI写真を見させられながら、医者からそう説明を受ける。

 警察は顔写真をもとにグーグルで画像検索をかけ、わたしのSNSのアカウントを特定し、あっけなく身元が判明する。それによると、わたしの名前は松田透、四十二歳、独身。武蔵野市の大手スーパーの社員で、勤続二十年のベテランバイヤーだという。だがそれらの情報を聞かされても、わたしにはそれが自分の人生には思えない。それは誰か他人の人生に思える。

 やがて母親と妹が、警察からの連絡を受けて病院に駆けつける。二人はわたしの無事を知って泣いて喜んでいるが、わたしは泣けない。二人は私にとって見知らぬおばあさんと、見知らぬ中年の女にすぎない。彼女たちはいったい誰なのだろう? わたしは喜ぶ彼女たちに抱きしめられながら、ただただ当惑しつづける。「わたしたちのこと、覚えている?」と、妹だという見知らぬ中年女がきく。わたしは首を横に振る。「生きていて本当によかった」と、母だという見知らぬおばあさんがいう。「生きてさえいてくれればそれでいいの」

 わたしは退院し、実家とは思えない実家(築四十二年の公団住宅の一室だ)に帰り、家族と思えない家族と暮らし始める。惰性とともに日々が過ぎていくなかで、家族との暮らしに慣れていく。最初は腫れ物を扱うように接してきた母と妹とも、次第に打ち解けていき、冗談を言って笑いあったり、口喧嘩をしたり、心を開いて話すようになる。時々、ふとした瞬間に、以前にもこんなふうに彼女たちと暮らしていた、という既視感に襲われる。そんなとき、わたしはいつの間にか泣いている。涙があふれだして止めることができない。「どうして泣いているの?」と母が驚いてたずねる。「なんでもない」とわたしは答える。「なんでもないよ」

 わたしは次第に満ち足りていき、彼女たちとの暮らしが、新しいわたしの記憶となっていく。 

 だがやがて戦争が始まり、わたしは徴兵されて戦地に送られる。この国に徴兵制度なんてあっただろうか? 確かこの国はもう戦争をしないと誓ったのではないだろうか? そもそも、いったいなぜ戦争が起きたのだろう? と思うのだが、実際に徴兵されたのだから、もちろん選択の余地などない。それに、わたしはむしろ、戦うことを喜んで受け入れようと思う。ようやく手に入れた家族とのおだやかな暮らしを守るためなら、命なんて惜しくはない、とさえ思う。

 わたしは人を殺す訓練を受け、最前線に送りこまれ、攻めてくる隣国の敵をひたすら殺し、殺し、殺しまくる。やがて、わたしには誰よりもうまく人を射殺する能力が備わっていることが判明する。例の前頭葉にできた腫瘍によって、五感が超人的に研ぎ澄まされ、撃った弾丸は必ず敵に命中するのだ。わたしは最高の狙撃手として、いくつもの重要な作戦を成功に導く。時の首相から勲章を授与され、一躍有名人となる。街を歩けば周囲に人が群がり、あらゆるメディアから取材を受け、いつの間にかマネージャーがつき、わたしをモデルにしたテレビドラマが制作され、ゴーストライターが書いた自伝がベストセラーになり、銀行口座には見たこともない金額が振り込まれるようになる。

 だが、わたしの手には敵を殺した時の嫌な感触が残っているし、望遠スコープ越しに見える敵たちの、死ぬ瞬間の絶望の表情が目に焼き付いている。毎晩のように殺した敵の悪夢にうなされ、ぐっしょりと汗をかいて目を覚ます。戦争が終わって十年が経っても(どちらが勝ったのかは結局わからないままだ)わたしはずっと悪夢に苦しめられつづける。セラピーに通い、さまざまな薬を山ほど服用するが、悪夢は決して消えることはない。

 やがて、薬の飲みすぎで感情が鈍麻し、わたしはちょっとしたことで母と妹に怒鳴り散らしたり、手当たり次第に物を壊したりするようになる。怯えている彼女たちを見てはっと我に返り、すぐに激しく後悔するのだが、どうしても暴力をやめることができない。いつしかそれがエスカレートし、彼女たちを殴るようになるまで、それほど長い時間はかからない。

 わたしは自分を最低の人間だと感じるようになる。

 何度も自殺を図ろうとするが、いつもあと一歩のところで失敗する。そのたびに、「お願いだから生きて」と母が泣く。「生きてさえいればそれでいいの」

 そのころ、脳科学の世界にブレイクスルーが起きて、人間の記憶は自由自在に書き換えが可能になっている。人工培養された新たな脳に、デジタル・データ化した記憶を移植するのだという。その革命的な医療を確立した脳科学者は、手術を希望する被験者はいつでも歓迎するという。その費用は高額だったが、いまの私には払えない金額じゃない。

 わたしは迷ったすえに、脳科学者の研究所を訪ね、記憶をすべて消去することに同意する契約書にサインする。母と妹が、わたしを必死に引き止める。「お願いだからわたしたちのことを忘れないで」と。だが記憶を消さなければ、わたしは罪の意識に苛まれつづけ、生きていくことはできないのだ。わたしは彼女たちの幸せを願い、別れを告げる。

 わたしは山中にある脳科学者の研究所を訪ね、ストレッチャーに横たわって手術室に運ばれ、記憶を消去し書き換える巨大な装置にくくりつけられる。その装置の厳しくおぞましい姿に、わたしははじめて不安を覚える。「痛みはあるんですか?」と尋ねると、「痛みはありません」と脳科学者は答える。その手には、アイスピックのような鋭利な器具が握られている。

 すべての準備が整い、脳科学者が最後の確認をとる。「本当に構いませんね?」わたしはうなずく。脳科学者が装置の始動ボタンを押すと、巨人の悲鳴のような不快な唸りをあげはじめる。脳科学者のもつ手術器具の冷たい切先が、わたしの眼窩と、眼球と、その先の脳に触れるを感じる。そのゾッとする感触に、わたしは思わず叫びそうになる。だが麻酔が効いているせいで、体がまったく動かせない。わたしは自分の選択を後悔する。やはり、こんなことをするべきじゃなかったのだ。たとえどんなに苦しくても、どれほど悪夢にうなされても、それでもわたしは、人を殺した記憶を背負ったまま生きるべきだったのだ。わたしは声にならない声をあげようとする。動かない体を動かそうとする--すると、あの腫瘍がもたらした超人的な力が完全に解放され、わたしは装置の拘束を破壊し、脳科学者の隙をついて研究所から脱走する。迫り来る追手から逃れ、獣のような姿で、山中を何日も何日もさまよいつづける。そして--

 気がつくと、わたしはすべての記憶を失っている。

 どこか見覚えのある医者が病室にやってきて、わたしは深夜に裸でバイパス道路の路肩を歩いているところを発見・保護されたのだ、と告げる。一ヶ月にわたる尋問と検査のすえに、重度の記憶喪失だと診断される。警察の捜査で身元が判明し、肉親だという母親と妹が連絡を受けて病室に駆けつけ、泣きながらわたしを抱きしめる。「わたしたちのこと、覚えている?」と妹がきく。わたしは首を横に振る。わたしにとって彼女たちは、見知らぬおばあさんと、見知らぬ中年女にすぎない。

 だが、何かがわたしの頭の中をコツコツとノックする。これとまったく同じことが以前にもあったような気がする。わたしは思わず、見知らぬおばあさんと見知らぬ中年の女にたずねようとする。「ねえ、前にもこれと同じことがありませんでしたか?」と。だが彼女たちは泣いて喜んでいるので、そんな場違いなことを口にする勇気がない。「生きていて本当によかった」と、母だという見知らぬおばあさんがいう。「生きてさえいてくれればそれでいいの」

 本当にそうだろうか? 生きてさえいればそれでいいのだろうか?とわたしは思う。

 わたしは自分のものとは思えない記憶を抱えたまま、実家とは思えない実家に戻り、家族とは思えない家族と暮らしはじめる。しばらくのあいだは、穏やかな日々がつづく。そして、また戦争が始まる。

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