入院してました②

https://note.com/yasuhikosasaki/n/nd4851988ac04

こちらの続き。
コロナ陽性、自宅療養1週間で悪化し入院に至ってからです。


9月7日、入院1日目。

救急車が病院に着く。
すぐに車椅子に乗せられ、採血をする部屋へ。
ここで何かしらの書類を書いた記憶がある。
そして採血、点滴、移動してレントゲンとCT撮影。
撮影中に「はい息を止めて」が非常に苦しい。

諸々終了し病室へ。複数人が入る大部屋の一角を充てられる。
ここで病院のパジャマに着替える。

暫くして担当医の先生が来る。
現在の病状、今後の方針、そして入院に関しての説明を受ける。

病状ははっきりとわかりやすく言われた。
「酷い肺炎です」
CTの写真も見たが、肺の一部が真っ白である。
ああ、病気を扱う番組で見たことあるわこれ。
おそらく4~5日がピーク、これを超えられたら治るのは早いとも言われた。
メモには「中等症II」の文字も見えた。

投与する薬、酸素に関しても説明を受けた。
今は酸素をカヌラという鼻にあてるチューブから入れているが
(入院直後にマスクから変わった)
これでことが足りなくなるとより強い機械、
それでもダメなら転院して人工呼吸器になるという。
人工呼吸器は大変なダメージを負うことにもなると聞いているが……

入院に関しての説明も事細かに伺ったが、さあ困った。
なにぶん着の身着のまま、フラフラの状態で荷物をかき集めたので
最低限以下の装備なのである。

まず大前提として
・売店が使えない
当然といえば当然だが感染症の病棟であり、自由な出入りは決してできない。

なのに、自分で買わないといけないものがたくさんある。
どうするかというと、身内に病院まで持って来て貰う(面会はできないので置いていくだけ)か、
ネット通販で購入しないといけない。
結局、病院でスマホからAmazonに注文していた。
またちょうど実家からスマホに連絡もあり、ほとんど無かった替えの下着を買って送ってくれることとなった。

……で、このスマホも色々と面倒なことが多い。
まず病室での通話は禁止、所定の場所まで移動しなければならない。
酸素ボンベと点滴、さらに指に計測機器をつけての移動は色々面倒。
実家の親には当面、SMSで連絡するよう頼んだ(LINEは親はやってない)。

次に充電の問題。病室にはUSB端子がない。私はコンセントからの充電機器を持っていない……

詰んだ!となるところだが、今回ノートPCを持参していた。スマホの充電はノートPCからということになる。

そして、院内ではwifiが使えない。4G電波のみである。
動画観たいとやっていたらたいへんなギガを食うことになるだろう。
(なおLANも無いため、ノートPCでネットに繋げない)

たぶん一週間以上いるんだろうけど、色々と面倒なことが多くて気が遠くなりそうだ。

ここで正午、昼食が運ばれた。初めての病院食。
今日のメニューは天ぷらうどん。病院でもこんなメニューでるんだ。

……あれ? 全部食べれたぞ、あんなに食欲なかったのに。
ひょっとして入院で安心した自分がいるのではないか?

さてここでベッドでの姿勢について。
実は仰向けで寝るという普通の姿勢が一番良くない。
肺炎でやられている部分に酸素が行きやすく、取り込みが悪くなってしまうのである。
推奨はうつ伏せ、厳しければ横向き、またはベッドの前にあるテーブルに突っ伏す形が良いとされる。

しかし、カヌラ・点滴・計測機器をつけてのうつ伏せはたいへん難しいものがある。
結局はテーブルに突っ伏すことが多かった。

決まった時間に検温をするがここで39度台に突入。流石にあわてて看護士さんに話し、解熱剤をいただいたらそれから一気に熱が落ちた。その後は退院まで36度前後をウロウロしている。

2日目。朝ご飯もきっちり完食。熱もない。しかし咳がだんだん酷くなっていく。
酸素の濃度を上げたが思わしくないという。
その後、ご飯も普通に食べられて熱もないのだが……

3日目朝、ご飯を食べ歯磨きを済ませた後にお達しが。
「より酸素を強くしなければならないので部屋を移ります」
そしてすぐに一人部屋に移動となる。

ここに用意された機械が「ネーザルハイフロー」というもので、
これは退院後に調べたが近年、特にこのコロナ禍において利用が広まっているという。
高い濃度の酸素を鼻から送りこむもので、
これで重症化を防いだケースも非常に多いとのこと。

説明もそこそこに装着される。
ごつい。
そして蒸気が鼻に来るのだが、正直なところ熱いので楽ではない。

これ以上に厳しいのが、部屋に置かれたもう一つの機械。
見るからに室内の空気をどうにかするものである。
このときの説明が実は頭の中にろくに入ってこなかったが、
どうも室内の空圧を下げるものっぽい。
(これはドアの開閉時にウイルス混じりの空気が外に出ないようにするため)

この機械のスイッチが入る。

ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォ……

この音がずっと続くという。え? 夜中も……

さらに当面の絶食が告げられる。
トイレも行けなくなるので、尿道に管(カテーテル?)が入れられる。

……きつい!
きつい!
きつい!
きつい!
きつい!
きつい!
(何回叫んだかわからない)

まずカテーテルは本当にしんどくて、一晩で外してもらった。これからの小用はすべて尿瓶である。

そして点滴・計測機器・鼻にごつい管でうつ伏せはがんばってみたが無理、
何とか横向きは掛け布団を抱き枕代わりにするという方法でできたが……

その向きには前述のゴオォォォォォォォォとなる機械。
見るだけでおかしくなりそうだ。

こんな状況でスマホに結構大事な仕事関連のメールが。
いつもパソコンでやっていることをスマホ上でやらないといけない。
悪戦苦闘。
何とかしたが、精神がもはややられはじめているのを実感する。

またこの部屋でレントゲン撮影も行った。
機器をここに持ち込んで行えるというのが驚きである。

さてこの部屋での最初の夜。
おわかりかと思うが、これで寝れるわけがない。
多分一睡もせず朝を迎えたと思う。

4日目。点滴は24時間つけっぱなしである。
今日もごつい管と轟音との戦い。
先生が「悪くはなっていない」という。
これがピークならいいのだが……

何も出来ず、スムーズに横向きにもうつ伏せにもなれず、
ぐっすり眠ることもできず、
たまり続けるのは不安ばかり。
「病は気から」という言葉を信じている私は
とにかく今の状況がまずいとしか思えない。
つらい。
つらい。
つらい。
つらい。
つらい。
つらい。
(何回叫んだかわからない)

音がひどいのでナースコールをしてもスピーカーから何と言われているか全然わからない。
スマホから何か聴こうにも音がかき消される。

そんな私の唯一の気の紛らわせが、尿瓶の使用ぐらいしかない。
ベッドの端でズボンを下ろして用を足す、
その一連の行為の手間が気の紛らわせになるというよくわからない状態だった。

なお大用もこの日にもよおしている。
絶食前の食事ぶんだろう。
この大用はどうするか。

部屋には簡易トイレがあり、看護士さんが用意してくれる。
それを利用するが力を入れると咳がひどくなる。
ああ、体調はまだまだなんだと痛感させられる。

夜、睡眠薬はないかと尋ねる。
点滴の睡眠薬を使ってみるという話しになる。

そして消灯を迎えたが、まったく眠れない。

5日目。担当の先生が今日明日は休みと聞き、ここでさらに精神的なダメージ。
病状がどうなっているのか聞けないのは本当にきつい。
もう自分を保つのがしんどくなってきた。
これまでも実家や知人からSMSやLINEがあったが、流石に自分からメッセージを打つ気力は無くなってきている。

見廻りにいらっしゃった看護士さんと多少話すだけでも気が紛れる。
厳しい言葉をかけてくる方もいる。
たぶんデータをずっと見ていて「週明けにはネーザルハイフロー取れるかもしれませんよ」と仰る方もいる。
だけど相当弱っている自分には、その言葉を受け止める余裕もない。

ただ、酸素濃度をちょっと落としたとは聞こえた。ということは良化はしているのだろうか。

夜、睡眠薬が経口のものになる。すぐに寝付けず「またか……」と思ったが気がついたら寝ていた模様。2回ぐらい目が覚めたが、それでもやっと睡眠ができていたようだ。

6日目。相変わらずごつい管と点滴と轟音と計測器との戦いである。
ただ、酸素濃度はさらに落とした模様。
「週明けには機械外れそう」の言葉は本当になるかもしれない……

そしてこの日は12日(日)。
ずっとテレビを観ずにいたが、相撲はつけてもいいよね、とプリペイドカードを購入。
院内のテレビと洗濯機はプリペイドカードで利用でき、カードは後日の支払いとして購入できる。
久々に観た相撲は、本当にわずかながら自分の心を潤わせてくれたように思った。

夜も経口睡眠薬を飲み、気づいたらちょっとずつでも寝ていた。

7日目。13日(月)
週明けで担当の先生もいらっしゃる。少しでも良い言葉が聞けたら……


「佐々木さんがんばったね、これで機械外すから。点滴も外すから」

……………!!!???

あのとき看護士さんの言っていたことは本当だったか!
はっきりこの瞬間、へたりこんでちょっと泣いたのを覚えている。

空気圧の機械のスイッチが切られる。部屋の中が静かになる。
この感覚は4日ぶりか。急にぱぁーっと目の前が明るくなったような気がした。
ネーザルハイフローから酸素ボンベに戻り、ごつくない鼻カヌラから
熱くない酸素が入って来る。

点滴もはずれた。点滴は生理食塩水と肺炎の薬を注入していたが、
それが終わるということは肺炎の薬が不要になったということでもある。

その後、レントゲン撮影をして大部屋に戻る。久々に立って歩いたが、
4日の寝たきりは体力・筋力を大幅に落とした模様。
体重計があったので乗ったら68キロと出た。
自分が68キロだったのっていつ以来だ?
どうもこの入院で6~7キロは減った模様だ。

昼食はまだお粥が出たが、夕食は普通のご飯。
どちらもきちんと完食。
すごくゆっくり時間をかけて食べた。食事ってこんなに幸せなものなんだ。
そして夜は念のため睡眠薬をいただく。

8日目。朝ご飯を食べまったりしていたら先生が
「酸素ボンベも取りましょう」
ついに、入院時から自分の身につけられたものがすべて無くなった。

続きはまた。

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