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保育士の専門性 再考

 保育士の専門性を再考することを通じて、それを支える「子どもたちを把握する視点」について考える。

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保育士の専門性とは?

 最近では、「保育の専門性」「保育士の専門性」という言葉も、違和感のない言葉として定着してきているだろう。上の表は、左が「要求される保育士の専門性の変化」を、右が「実際に感じる保育士の専門性の変化」を、400名以上の保育所等の園長、副園長、主任保育士、保育士に対するアンケート調査の回答結果の集計表だ。多くの保育者は、保育士に要求される専門性が高度化していると認識しており、また、実際に専門性が向上していると認識していることになる。

 では、その「保育士の専門性」の具体的な内容は、どうなるのだろうか。

 保育所保育指針の解説では、【第1章 保育所保育に関する基本原則】、【(1)保育所の役割】の、保育士の専門性向上に関するエ項の解説において、ある程度具体的な記述がなされている。

1.これからの社会に求められる資質を踏まえながら、乳幼児期の子どもの
 発達に関する専門的知識を基に子どもの育ちを見通し、一人一人の子ども
 の発達を援助する知識及び技術、
2.子どもの発達過程や意欲を踏まえ、子ども自らが生活していく力を細や
 かに助ける生活援助の知識及び技術、
3.保育所内外の空間や様々な設備、遊具、素材等の物的環境、自然環境や
 人的環境を生かし、保育の環境を構成していく知識及び技術、
4.子どもの経験や興味や関心に応じて、様々な遊びを豊かに展開していく
 ための知識及び技術、
5.子ども同士の関わりや子どもと保護者の関わりなどを見守り、その気持
 ちに寄り添いながら適宜必要な援助をしていく関係構築の知識及び技術、
6.保護者等への相談、助言に関する知識及び技術、


曖昧な保育(士)の専門性

 これらのうち、保護者支援に関連する⑥はともかくとして、①から⑤は、子育てをしている保護者であれば、求められる知識や技術なのではなかろうか。結局、保育士と保護者に求められる技術や知識が、未分化な状態のままとなっている。某有名人が「保育士は誰でもできる」と情報発信して物議を醸したが、このような状態では、その暴論に対して強く反論することもままならないのではなかろうか。

 さらに、冒頭の表の出所となった論文では、保育士の養成校がその涵養、育成を目指している「保育士の専門性」と保育現場が評価する「保育性の専門性」の間に相当なズレがあり、特に、保育現場が求める専門性は、むしろ全人格的な能力になっていると指摘している。
 そうなると、保育実践の現場では、「専門性」という言葉が、特定の専門領域についての深い知識と技量という意味での「専門性」とは言えないものを指す用語として用いられていることになる。これも、また「保育士の専門性」、あるいは、保育という専門領域の内容を特定することの混迷度合を増加させているのかしれない。

 ということであれば、「保育という知の体系」の位置づけ、専門領域の有り様について、専門領域の存在の仕方という一見迂遠なところから再検討することが必要なのではなかろうか。筆者は、一見かけ離れていて、意外と思われるかもしれないが、法学における「知的財産法(学)」という専門領域の区分(領域の析出、特定)の仕方を参考に考えることができるのではないかと思っている。


専門法領域設定の「転用」

 そもそも、法学は、大きく民事法、公法(憲法、刑事法、行政法)そして訴訟法(手続法)という領域に分けることができる。これを「縦の専門分類」としよう。
 知的財産法は特許や著作権といった、土地や物に対する所有権とは異なる私権を特別に作り出し(民事法的作用)、その私権の公法上、訴訟法上の特例を定める体系である。これは言い換えると、知的財産という研究対象、規律対象に着目して、先の「縦の専門分類」を横断的にまたいで、知的財産の発生や変化についての理論や実践方法を研究していく分野と「定義」できることを意味している。研究分野としてだけではなく、弁護士とは別の、弁理士という実践資格制度も存在している。

 この発想法を「保育という専門領域」の有り様の設定、定義に転用しみると、どうなるだろうか。

 筆者は、家庭における保護者の育児とは異なる「対象」、上の「知的財産」に相当するものとして、「集団としての子どもの発達」を、仮に提案したいと思っている。
 つまり、医学、心理学、教育学、社会学、人類学さらには経営学(組織論)といった基礎的な学問的研究領域(縦の専門分類」)を基礎として、未就学児の集団の成長/発達という対象の特性に着目し、分類横断的に理論や実践手法について研究、検討していく専門領域と、保育(学)を定義できるのでないかと思っている。


集団性に立脚する保育の専門性

 「集団性」に着目するとは言っても、子どもそれぞれの個性、特性を無視するということではない。個性ある存在としての個々の子どもへの関わりも当然高いレベルで実施しつつ、集団としての相互作用があることを明示的に意識して、子どもたちの成長、発達に関与していくための知の体系ということである。

 物理学における難問として存在している三体問題や、統計力学という専門領域が存在していることから分かるように、個々の対象の観察、分析だけでは解明できない現象が、複数要素の相互作用からは発生する。ここからしても、核家族化した家庭育児とは異なる保育所保育の専門性のバックには、集団性が存在していると言って良いのではないかと思っている。

 このように考えれば、保育士の専門領域には、「知識、技術としては、保護者に求められるものと質的には同じだが、より高度なレベルが求められる領域」と「子ども集団に対する関わりかた環境構成といった核家族化した現在の家庭の保護者にも求められない技術知識の領域」があるということを、矛盾なく整理できるのではなかろうか。


保育士固有の方法論

 そして、保護者と重なる前者の領域においても、保護者と重ならない後者の領域においても、子どもの状態を把握するための「保育士固有の方法論」を確立することが重要になるのではないかと思っている。

 社会科学の分野では、対象をどのように把握するのかということが、マックス・ウェーバーの頃から常に検討されてきており、対象を把握するための「概念」として、「一般変数概念」と「特定非変数概念」の二つがあるとされている(服部泰宏「組織行動論の考え方」P55~)。

 「一般変数概念」とは、「文化や時間の制約を受けない連続体」のことをいい、「国際化」「離職率」「年齢」といったもののように、変量の組み合わせによって現象を捉えるものとなる。一方、「特定非変数概念」とは、「歴史的に制約された範疇」のことをいい、「ホワイトカラー」「フリーター」のように、歴史上のある時点において生起したり、時代によって意味あいが変わったりするものとなる。保育士の「子どもの捉え方」という文脈では、子どもの身長、体重、話す語彙の多寡、できる身体運動の数といったものが「一般変数概念」であり、典型的には「気になる子」というようなカテゴリー(悪く言えばレッテル)が「特定非変数概念」となろう。社会科学の調査においては、可能な限り「一般変数概念」で測定することが望ましいとされている。

 核家族家庭の保護者は、子どもの変化を、どうしても自分の経験(の記憶)に基づいた「特定非変数概念」で把握することになろう(就学後は、教育機関が出す評価という一般変数概念でも把握するようになる)。しかし、専門職としての保育士が、保護者と同じような「子ども(たち)の把握」をしていては、専門職としての職責を果たせないのではなかろうか。


保育(士)の専門性を暫定的に定義する

 子ども(たち)の変化を的確にとらえる一般変数概念を具体化し、そのような概念を通じで、子ども(たち)の姿を把握していくことにこそ、「保育の専門性」の根拠があるのではなかろうか。
 つまり、「保育の専門性」とは、個々の子どもの発達サポートという保護者と重なる部分においても、子ども集団の中における相互作用を踏まえた発達のサポートという保育者固有の領域においても、子ども(たち)を把握する視点を、専門職としての保育士に固有で、かつ保育士に共通のものとして確立すること、そして、その一般変数概念を形成するデータの収集と分析方法(そのためのシステムを使いこなす技量を含む)を取得することに、一義的には帰着するのではないかと、現在、筆者は考えているところだ。