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言葉に関して「育って欲しい姿」を読み解くことで見えるもの

 認可保育所の「導き手」である保育所保育指針には、保育を通じて子どもたちに「育って欲しい姿」を具体的に説明している部分があります。このうち、領域「言葉」の「育って欲しい姿」の文章を分解してみて、そこから見えてくることについて検討してみました。


育って欲しい姿「言葉」を「構造分解」

言葉の育って欲しい姿

 上の流れ図は、保育所保育指針の第1章 総則、「4 幼児教育を行う施設として共有すべき事項」の「(2)幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」の「ケ 言葉による伝え合い」を筆者の解釈で構造化してみたもので、実際の記載は次のようになります。

ケ 言葉による伝え合い
 保育士等や友達と心を通わせる中で、絵本や物語などに親しみながら、豊かな言葉や表現を身に付け、経験したことや考えたことなどを言葉で伝えたり、相手の話を注意して聞いたりし、言葉による伝え合いを楽しむようになる。

 上記の流れ図に示しているように、この「姿」の文章は、6つの部分に分解することができると考えられます。
 まず、この「姿」とは、「保育所保育において育みたい資質・能力が育まれている子どもの具体的な姿」であると、同指針解説において定義されています。この定義を前提に、6つの部分の位置づけを筆者の解釈で整理すると次のようになると思っています。

①「保育士等や友達と心を通わせる中」の部分

 これは、子どもの具体的な姿としての行動が繰り広げられる前提条件、環境を設定していると解釈できる。この前提が整っていない環境では、言葉の発達過程について検討しても、あまり良い結果は出ないということを示唆しているのだろう。

②「絵本や物語などに親しみながら」の部分

 これは、外部から観察できる子どもの行動や状態を表しており、「具体的な姿」の行動面を設定していることとなろう。つまり、幼児期の終わりまでには、「絵本や物語などに親し」む姿が現出してほしいということを意味していると理解する。ただし、求められる「姿」は、このような外部から観察されることだけには止まらない。

③「豊かな言葉や表現を身に付け」の部分

 これは、子ども自身に内化、身体化された能力、それを踏まえた心理状態といった、子どもの内面を表しており、「具体的な姿」の資質・能力面を設定していることになろう。目標という言葉使いを、同指針解説では、厳に戒められていることは理解しているものの、「姿」が求めている子どもの到達点の本質は、こちらにあるのだと思われる。

④「経験したことや考えたことなどを言葉で伝えたり」の部分
⑤「相手の話を注意して聞いたり」の部分

 これらも、外部から観察できる子どもの行動や状態を表している部分となるが、文書の構造上、これらの行動から導かれる子どもの内面が、先の「絵本や物語などに親し」む部分とは異なるため、別のグループとして、筆者は解釈している。

⑥「言葉による伝え合いを楽しむ」

 こちらは、子どもの内面の到達点の「姿」の2つめと解釈できる。


中間段階の丁寧な把握

 大きく整理すれば、「身に付ける」「楽しむ」という、子どもたちの内面での変化や血肉化という最終的な「姿」に向かって、
・言葉や表現を豊富化するための言語コンテンツへの接触
・コミュニケーションへの意欲を涵養する、自己の表現と相手への傾聴
といった子どもの「姿」が現出するように、保育者は育ちの環境の構成や関わり方を工夫し、サポートしていくことになります。
 そのサポートのためにも、子どもの「遊び」の中で観察される上記の②、④、⑤といった行動を丁寧に把握し、発達の記録として残すことが重要なのだろうと思います。

 そういった場合の記録も、得てして印象の記録になってしまうことが多いでしょうが、中間段階にある「絵本等の触れた量」「自分の経験などを話した量」「相手の話を聞いた量」についての把握も必要になってきます。
 これらの状況を、保育士の負担を最小化しつつ、どのようにセンシングし、データ化ていくのか、ということが、今後の課題になっていくのではないでしょうか。

 さらには、周囲の大人たちが、子どもの言葉の発達のために、どのようにICTを用いるのか真摯に検討していくことが、子どもたちの将来の「インターネット時代の読解力」の基礎を培うことになるはずだと確信しています。

<補足>
2019年12月に国際学力調査(2018年実施のPISA)の結果に関するOECD アンドレアス・シュライヒャー教育・スキル局長のコメント
https://www.kyoiku-press.com/post-210484/
本調査の実施機関の長であるシュライヒャー氏は、「インターネットの時代に求められる読解力への対応の遅れ」を指摘し、「インターネット時代には、大量の不確かな情報の中で自分の考えを導いていく経験が必要だ」などと述べたとのこと。幼児教育の言葉の発達においても、その年齢に応じた、自己判断力を涵養していくことが求められるのかも知れない。