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父…旅立ちました。危篤の電話から葬儀まで。スマホの充電は必須。

私が9月15日(金)、次男のお弁当を作り終えた朝の6時47分に父が入院している病院からスマホへ電話がかかって来ました。

あっ!

「意識がなくなり危ない状態なので来られますか?」
「はい、今から行きます!」
「どれくらいで来られますか?」
「顔を洗ってから行くので15分後に行きます!」

電話を切った後で思った事。わざわざ「顔を洗ってから」と説明しなくても良いのにね。そして母を迎えに行ってから病院へ行くべきかな…

準備をしながら母と姉に電話しても繋がらない。なので姉にはメールを送信。

母は…迎えに行くべきか?一旦私だけが行くべきか?

父は大腸ガンの末期状態で余命宣告は6月の誕生日は難しいだろうと言われていました。それでも6月18日の誕生日は自分で歩けるくらいには元気で、両親と私たち家族5人とで誕生日のお祝いをしました。

徐々に状態が悪くなり入院したのは次男(高2)の夏合宿中の8月24日。あれからひと月経たない9月15日に息を引き取りました。

電話から15分後に病院に着いた時には「ふんゴー」と頑張って呼吸をしていました。しかし意識はなく会話は出来ない状態でした。昨晩までは会話が出来ていたそうですが、看護士さん曰く「この状態だといつ息を引き取ってもおかしくない。早いと数分」と言っても呼吸はしている状態。


この時にはいろいろ決断しないとならないのですね。

母を迎えに行くか再度電話してタクシーで来てもらうか。
やはり孫である子供たちにも来てもらうかどうか。しかし、病院は車でないと来られない場所。

あまり考えている時間はなかったのですが、病院に着いてから30分後に決断して車を走らせ母を迎えに行きました。途中でスピーカー状態にしてスマホで電話をかけると、今回は繋がりました。状況説明して身支度をして待っててもらいつつ、通り道の自宅に寄りスマホの充電グッズを手にし、まだ自宅にいた中2の娘には学校に行ってもらいました。

母を車に乗せ何となくまだ大丈夫だと思ったので途中でコンビニに寄り、パッパッと麦茶とお水とパンを買って病院へ向かいました。

着くと父は「ふんゴー」と頑張って呼吸をしていました。

間に合って良かったー!


母が着いてから約1時間半が経ち、私がパンを食べに席を外していた時、看護士さんから心臓が微弱になったと聞きました。

戻った私に母が心配そうに「ゴーゴー言わなくなったの…」

看護士さんが心音を聞くと微弱だと教えてくれました。

また15分くらい経ち、完全に心臓が動いていないことをモニターで確認すると、9時55分に医師から臨終を告げられました。

姉は母からの電話で気付き病院に向かっていたけれど、とうとう間に合いませんでした。

ここからは事務的な事をどんどん進めなければなりません。

まず、父をこのまま病室で姉が来るのを待つか?

待っている間にどんどん父の体は悪くなるので、綺麗にしていただいた後は霊安室で待つ事にしました。

その後は予め充電していたスマホが必須になります。

父の生前約束をしていた葬儀屋さんに電話をかけ、今の状況説明をして配送車の手配をします。

到着までの間に自宅にいる長男を迎えに行き、その足で駅に着いた姉を迎えに行きました。
この時もスマホフル活用。

状況説明をしながら病院に向かい、着くと病院で待っていた母と合流して霊安室へ向かいました。
父と対面した後は「死亡届」を受取り、到着した葬儀屋さんにご挨拶。

ここで確認があります。

氏名の漢字に間違いはないのか?

我が家の場合「◯崎」なのか「 ◯﨑」なのかで???
戸籍の漢字が必要になります。
実は日常どちらも使っていたので、どちらかわからなくなっていました。
保険証は「◯崎」なので一先ず「◯崎」で記入したままで…

病院サイドでは、あとで書き直しも大丈夫だということで父を乗せた配送車は葬儀屋さんの「安置室」へ出発しました。
母、姉、私と長男の4人も後から車で向かいました。

長男(大学2年20歳)は孫代表兼社会勉強を兼ねて一緒に行動。
(ちなみに弟妹への連絡は学校から帰宅後にしました。正直、車に乗り切れない、迎えに行けない事も理由の1つ。)

葬儀屋さんの家族葬用のセレモニー会場に着くと、父は既に冷え冷えの安置室で待っていました。ご対面した後は今後の説明がありました。

予め相談していた通りにお通夜と葬式はせずに読経&火葬の家族葬で契約し、死亡届に必要な記入欄を埋めていきます。
ここで「本籍」が必要になります。
本籍…覚えていない!
何となくでしかわからない!
何丁目なのか思い出せない!

葬儀屋さん曰く「間違えても良いのでまずは必要事項を埋める!あとで訂正は可能」だそうです。

それから遺影に使う写真をその場でメールで送った後で背景を選びました。

49日間必要になる遺骨と遺影そして白木位牌を設置する棚を選び、お坊さんへのお布施と車代の金額確認してその日は終了しました。

父はそのまま二晩冷え冷えルームでお世話になり、昨日9月17日(日)、火葬場にて父の葬儀を執り行いました。

この時に気付いた事!
子供たちに焼香の仕方を教えていなかった!

何とか無事に終えてから焼き場へ移動しました。

約1時間でお骨になりました。

読経をあげてもらった部屋に移動すると

「代表の方がお骨の確認に来て下さい」
と声がかかりました。

代表を決めていなかった私たち。
本来は焼き上げた遺骨確認は母が行くべきなんだと思うが、母の足がおぼつかないので終始姉が支えていました。
母が行けないならば姉。
しかし、姉は怖い話し全般が苦手。焼き上がりドーンと出てくるお骨を見ることが出来るかどうか…
一瞬の間があったので「私が行きます」と私が名乗りをあげました。

確認を終えると一旦みんなが待っている場に戻り、しばらくすると集められたお骨がカートに乗ってやって来ました。
火葬スタッフさんから骨の説明を受け、お骨は2人で支え持って骨壷へ。1人基本1回。残りはスタッフが綺麗に全て入れてくれました。この時、お骨が入り切らない場合は多少ザックザクと隙間なく入れて行きました。

私たちが住んでいるのは東京なのですが、地域でお骨の扱いが違うこともスタッフさんが教えてくださいました。


最後に遺骨、遺影、位牌を誰が持つのかも決めていなかった私たち。本来は妻や子供がもつところだけれど、遺骨を次男、遺影を長男、位牌を末娘に持ってもらい帰りたがっていた家へと向かいました。


その時その瞬間決断しながらの葬儀を何とか無事に終える事が出来ました。

生前、noteにて気にかけて下さった皆々様。本当にありがとうごさいましたm(_ _)m


〜余談〜
長男に遺骨を持ってもらおうと思ったのだけど、なぜか遺影とどちらを持ちたいか聞いていた私でした。

父のあれこれを手伝っていたり、病院から1番に連絡が来て決めるキーパーソンを私がやっていたのもあって、最後葬儀を仕切ってしまう形になってしまいました。
私、次女だけど…そして遺骨は次男が…

次男は部活が忙しい中、時間を見つけてお見舞いに行っていました。入院してからはお見舞いに行けなかった事を後悔していた次男。
肉体を離れた父は自分で遺骨を抱える人を選んだのかもしれませんね。


2023/9/19 tue

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