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B2B

渋谷が今よりほんの少しだけ大人の街だった90年代。
あるいはこんな物言い自体、僕が年をとったという事なのかもしれないが、
しかしそれでもやはり、あの頃の渋谷には大人のカッコ良さがあった。
そして僕らといえばカッコいいかダサいかでしか物事を見ていなかったし、
実際それが僕らの全てだった。

当時、渋谷では夜がちゃんと夜をしていて終電の時間を過ぎると途端に
不穏な空気が湧き立ちはじめた。
新宿の闇とも池袋の陰とも異なる怖さ、
渋谷だけで感じられられる独特の粒子を含んだ黒い空気が、
ビルの隙間や裏路地のタイルの繋ぎ目からぞろりと這いずりでてきて、
微かに残っている昼間の健全さを併呑し、街全体に蔓延していく。
静かではあるが有無を言わさない圧倒的な力、
これを他の街で感じた事は未だにない。

「深呼吸、多くね?」と一緒にいた仲間が笑う。
一面に漂う黒い空気を体内にまで満たしたくて、
煙草の煙と一緒に思い切り息を吸い込むのが癖だった。

ジリジリとニードルを骨の上に充てられているような不穏な感覚、
痛みを覚えるほどのひりついた夜が好きだった。
この時間、この街にいる時だけは自分のままでいいいんだと思えた。

この空気で感じられる痛みを実質物理的な痛みをもって変換し、
我が身に得ようとした。
そして痛みは僕と世の中とを繋ぎ止めていてくれる鎹のようなものであり
僕が確かにここにいるということを確認するための手段だった。
しかし、そんな支えであったはずの痛みは気付かないうちに心を支配し
僕は痛みに依存するようになっていた。
手段は目的に変わり、痛みがないとやりきれなくなっていた。
自分を無くしてしまわないように自分に痛みを与える。
この痛みを忘れないでいるために、痛かったという事実を記憶しておくために、
そうして僕の体には苦しい事があるたびに傷やタトゥーが増えていった。

日が昇るその直前、街は最後に一瞬だけ黒さを増した後、
たちまちに彩度を上げていく。
太陽の光は、夜の黒い粒子を照らし浮かび上がらせ、
その輪郭を崩し溶かしていく。
あるいは粒子自身が内包していたものなのだろうか、
黒かったそれは青い霞へと色姿を変え、街のあらゆるものを染める。
数瞬、思わぬ清廉さを見せた夜は霧散する。

幻想が終わる時間。
しばしの緩慢な死。
太陽は否応なしに現実を連れてくる。
そして現実はいつだって退屈で不安な昨日を繰り返すだけのものだった。
夜明けーbreak of dayー
まさに終わってる一日が始まる。

今にして思えばあの独特の粒子は多くの若者たち、
この街にいた無数の僕のエネルギーだったのかもしれない。
怒りと呼ぶには複雑すぎるエネルギー。
その実は虚勢と卑屈さでできた単純な幼い苛立ち。
夜が明けるまでセンター街で過ごす僕らは何でも出来るように思っていたし
このまま変わらない、僕らなら変わらないでいられると思っていた、
否、思おうとしていた。
誰も口にはしなかったが本当は分かっていた。
あと少しの時間で大人たちの世界に飲み込まれていくことを。
きっとこの先も何も成さず何者にもなれないだろうということを。
自分の心の弱さをダサいからという都合のいい言葉で糊塗して
何事にも向き合わず、目を背け、誤魔化していた。 


あの頃の僕が今の僕を見たらダサい大人と思うのかもしれない。
だが悪くない。
でもそう思われるのだって悪くない。
そんな風に思うのが若者のあるべき姿勢だと思うし
僕自身もそんな正しき若者の時代を過ごせたのだから。
何よりダサい大人になるまで生きて来れたってのは、
我ながら頑張ったんじゃないか、ここまでよくやってきたなと思う。

一つなんとなく感じるのは、あの時この街にいなかったら
きっと今もここにはいないんだろうな、ということ。
人生は何があるか分からないもので
そんな僕は今、ここ渋谷に店を構えているってのだから不思議で面白い。
店の名前はB2B。"black to blue”
営業時間はあの空気が黒から青に変わる時間、
だいたい深夜0時から朝の7時頃までで店名もそこから付けた。

いわゆる定食屋でカウンター六席、二名テーブルが二つの小さな構えだ。
忙しい時でもギリギリ何とか手が回る。
これくらいの規模が僕にはちょうどいい。
儲かりはしない。
時給にしたら、雇われたほうが割りがいいのだろうけれど、
そういう換算はするもんじゃない。
家賃が払えて、自分が生活出来ればそれで十分。
背負わなくてはいけない責任もなく、
いざとなったら一人のたれ死ねばいいだけの気楽な身だ。

たまには嫌な事もあるけれど心身の置き場所としては悪くない。
まあまあいい感じでやれていると思う。
誰に遠慮するでもなし
度が過ぎた客には今日は帰れと言えるくらいの自由もある。
(そんな事は滅多にないけれど)

オープンから早い時間に回転もよく売り上げが立ち、心地よい高揚感のなか
3時か4時くらいに雨が降り始めたりすると
その後、閉店時間まですっかり無人の時があったりする。
雨の音を聞きながら(静かな店内から聞く雨の音がちょっといいんだ)
仕込みで余った肉の切れ端やなんかをカリカリに炒めたのを肴にして
「ああ、よかったな」だなんて思いながら一人、瓶ビールで
(うちのビールは赤星とハートランドだけ)
やるのがささやかな幸せだったりする。

残念なのは好きだったあの空気、
店名にもした黒い夜も青い朝も今は見られなくなったことだ。
それはきっと今もこの街にあるのだろうけれど
僕からその見る力が消えてしまったのだと思う。
オルガン坂を右手に通り過ぎる。
途中ですれ違う若者たちを見ていると見えなくなった理由が
なんとなく分かる気がする。
「まあ確かにそりゃあそうだよな」
と上手く言葉にできないそのなんとなくに妙に納得してしまう。
心に浮かんでくる取り留めのないものを転がし弄びながら
少し歩いたところを左に曲がりその先の路地を入ったところの雑居ビルに着く。
ここの三階が僕の店だ。(一階はラーメン屋)(二階はバー)(四階もバー)
(五階もたしかバー)(六階もたぶんどうせバー)

「あの黒、あの青、また見たいものだな」
そんな事を考えながらシャッターを開ける。
さて準備だ、さあさあ諸々やっていくとするか。

オープンまでにはまだまだ余裕がある
現在時刻は19時。
そう、"東京は夜の7時"だ。
ピチカートファイブが渋谷系と呼ばれたからであろう、
この歌からはこの渋谷を想像する。
歌詞の中では待ち合わせはレストランとある。
確かにお腹が空く時間だ。
(にしても空き過ぎて死にそうと歌っているがそれはさすがに言い過ぎだと思う)
だが僕のイメージでは待ち合わせはレストラン現地ではなく宮益坂下交差点。
賑やかなハチ公前での待ち合わせは卒業した年齢の二人。
つまり大人って事だ。
そもそもなぜ19時の待ち合わせなのだろうか?
それは仕事終わりだから。
つまりだから彼らは大人って事だ。

さらにイメージを膨らませると
女性が外苑前駅近くにあるオフィスを出て
東京メトロ銀座線で渋谷に向かっている絵が浮かんでいる。
早くあなたに会いたいと心が踊るさまを表すのに19時は良い選択だ。

18時に帰れる会社はあの辺にはない。
雰囲気的に早退できるような職場でもない。
また20時ってのも会社のブラッキーな片鱗が感じられてしまい
色恋の歌としては相応しくないし、デートにはやや遅い感じもする。
それ以外には無いんじゃないかってくらいにピンポイントで夜の7時は良い。
小西康陽氏は最適解を持ってきたなと。

そして夜の7時から遡ること2時間。
時刻は17時だ。
そう、"渋谷で5時"だ。
ご存知、鈴木雅之氏の大ヒットナンバー。
やはり主観的なイメージになるが
この曲を聞くと僕はいつもハチ公前が頭に浮かぶ。
「渋谷の待ち合わせ?そりゃあハチ公前だろ」
的なこのベタさを堪能したいが故の敢えてのハチ公前。
そういう洒落っ気、遊び心、精神的な余裕は時間的な余裕から生まれる。
これは17時ならではの強みではなかろうか。

そしてもう一つ、この17時という早い待ち合わせ時間。
普通ならまだまだ仕事してる時間。
同僚や上司は今頃まだ仕事してる(笑)
でも二人はハチ公前にいる。
お分かり頂けるであろうか?この非日常的な事象を。
ある意味ちょっとした吊り橋理論。
渋谷プチ吊り橋。(日本三大吊り橋の一つではない)
これが仕事終わりの19時なら手放しで楽しめるかどうか。
明日の事とかあまり考えなくてもいいのは17時だからこそ。
17時だからこそお楽しみはこれからで、
二人の夜は楽しい時間になるであろうことを予感させる。
ていうかもはや間違いなく楽しいの確定じゃん的で
それゆえの17時という選択なのではないだろうか。
これ以上は無いんじゃないかってくらいにピンポイントで17時は良い。
鈴木雅之氏は最適解を持ってきたなと。
(歌詞は違う人みたいだけど)

という事で渋谷で5時という歌の流れから、今日は鈴木雅之氏繋がりで
そっち系の内容を様々な視点をもってもう少し深く掘り下げ考えてみたい。

シャネルズ、ラッツ&スター時代も含め色々と名曲を残している鈴木氏であるが
(鈴木という苗字は日本で二番目に多いらしい)(一番多いのは佐藤らしい)
この前ふと思ったことがある。

雅之に詳しい訳ではないし、生粋のマサユキストでもないので
間違った情報もあるかもしれないが
そこはあなた方が容赦するべきであって私には何の責任もない。

僕が思ったのは小学校の合唱コンクールにおいての自由曲が
(小学校での合唱コンクールはたいてい課題曲と自由曲がそれぞれ一曲ずつある)
(と思う)(あるとしよう)(あるに決まっている)(アル。ゼッタイ。)
彼の代表作(作詞作曲はそれぞれ別の人のようだが)
・め組の人
・ランナウェイ
・夢で逢えたら
・違う、そうじゃない
のいずれかだったらどんなに素敵だろうと。

と同時に、仮に生徒たち自身がその自主性を持ってこれらの曲を選択したのならば
その担任教師は反対するのであろうか?ということだ。

仮に僕がその子らの担任であるならば反対する理由が全くないのだが
日本の教育現場においては
小学生には相応しくないだとか
もっと小学生らしい曲をだとか
非っ常にくだらない事を言い出す可能性が高いように感じる。
高いというよりは間違いなく言う。(経験者談)

なぜなのか?
なぜだめなのか?
なぜ違うのか?
なぜそうじゃないのか?
相応しいって何だろう?

センセー方にお尋ねしたい。
小学生らしさってなんですか?と。
相応しいって誰が決めるんですか?と。
アンタらの望むような選曲をすることが果たして本当に選択と呼べるのだろうか?
(いや、呼べない)
オトナの目論見を子供達に押し付けることは果たして教育と呼べるのだろうか?
(いいや、呼べない)
と僕は考える。

真の教育とは一体なんであろう?
教育という分野においてはたして最適解はあるのだろうか?

僕自身、もうかなり長い間教鞭を執っているが(本当は執っていないが)
未だ答えは見つけられていない。(本当は見つけようともしていないが)
教師という教える立場でありつつも(本当は教員免許も持っていないが)
(普通自動車運転免許はある)
(調理師免許はないけど食品衛生責任者の資格はある)
(あと英検四級もあります!英語は得意です!やる気もあります!)
僕自身も覚悟を持って生涯学んでいく所存だ。
(当然、覚悟も学ぶつもりもない所存だ)(ああ、そうだ所存はあるんだ)

とはいえ、本質的には僕は教師率0%である。
かつて教師であったことが0回だけあると言うだけで
自論を振りかざすのは短絡的で思慮に欠ける。
いささか乱暴というものであろう。
さしずめ「ランボー 怒りの脱出」みたいな。
さながら「それでは聞いてください、大塚愛で"さくランボー"」みたいな。
あたかも「ヤンボー マーボー そしてランボー 天気予報」みたいな。

あ、新メニュー、麻婆豆腐定食っていいかもな。
おそらく原価かなり低く作れるぞ。
ランボーの麻婆豆腐定食って名前はどうだ。(いや、どうだと言われても)

なんて事を考えてたら仕込みも終了。
オープン前に一服と扉に鍵をかけて階段を降りる。
ビルの裏に入居者専用の喫煙所がある。
近ごろじゃ喫煙所でですら眉を顰められることもあるが
僕はいまだに紙巻の煙草を吸う。
煙草は嗜好品、ニコチンを摂取できればいいってもんじゃない。
アメスピのターコイズが美味いから好きでいつも吸っている。

建物を出た向かいにある販売機でブラック無糖の缶コーヒーを買う。
味も種類も色々あるのだけれど、これに関しては探るのが面倒で
特にこだわりはない。
ただペットボトルやボトルキャップのものではなく
小さいプルタブタイプのはいかにも缶コーヒー然としてて好きだ。

黒と青の小さな癒し。
そのささやかな幸せを享受せんと思い切り煙を吸い込む。
うん、概ねいい。概ねってのが大事。これくらいがいい。
体の隅々までその実感とニコチンを巡らせるように
ゆっくりと時間をかけ煙を吐いていく。
オープン直後はまあまあ忙しいんだ、しばらくは煙草も吸えない。
ふぅぅぅぅ・・・・・・

酔っ払いの大声が遠くに聞こえる。
喧騒、ネオンの光、空の色、
気持ちのいい夜だ。
何かを思い出す、
思い出してしまいたくなるような夜だな。

おお。こんばんは。いらっしゃい。久しぶりだね。

(了)

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