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「その"声"が聞こえるか」(MTG雑記)

〝彼女〟は、何も話さなかった。
固く冷たい沈黙。言葉の代わりに見せるのは七枚の札。それが彼女の意思であり、
私に提示された無言の選択肢だ。私は与えられた札の意味を考慮し、
その七枚からどのような未来を描けるか、模索する。

彼女は物言わぬ七十五枚の束。
彼女は怪物と魔術を秘めた一つの問いかけ。
思考。知識。技術。運。彼女という問いに答えさせるために、回答者に持てる全てを要求する。
青と赤のパズル。
魔術飛び交う戦場をともに駆け抜ける相棒。

――イゼットフェニックス。

ここに、彼女とともに戦ったひと月の雑感を記す。

1≪思考掃き≫

そもそもからして、イゼットフェニックスは簡単に勝たせてくれるようなデッキではなかった。少なくとも、私にとっては。

年末にモダンを始め、友人とともにMF横浜本戦への出場を決めた私は、しかし一向に勝てない日々に焦っていた。かたや友人は店舗大会で順調に勝ちを積み重ね、結果を出し続けている。少なからず本気でMTGに向き合わなければ、これまでの時間は空費で終わる。
そんな事を考えていた。

2月半ばに未完成のURウィザードもどきで大敗を喫し、フェニックス4枚購入を決意して
デッキを組み上げたのが2月末。
元よりフェッチランドを揃える予算はなく(沸騰する小湖の価格よ)しかし、山と島を持って来られるフェッチはあったためにその辺りで妥協。
メイン・サイドパーツを揃え、3/2からイゼットフェニックスを回し始めた。

3/2~3/21
21戦4勝17敗(うち2勝は不戦勝)

純粋な勝利は3/2に得た2勝のみ。あとは敗北と、対戦相手のドロップによって得た不戦勝を2回拾っただけだ。心の中に暗雲が立ち込めた。

『何をしたらいいのかわからない』

これが、私がイゼットフェニックスを回し始めた頃の正直な感想だった。

たとえば、これがバーンならば火力を駆使し、相手のクロックを捌くか本体火力を狙うか
という戦術を、拙いながらも思い描く事は出来ただろう。
コントロールならば、環境に存在するデッキをある程度でも知る事で、
何に対応をすべきかを見出す事が出来ただろう。
決してこれら二つのアーキタイプが簡単なデッキだ、という事ではない。

例え、そのデッキが人生で回したことのないデッキだったとしても、
少なくとも『何をしたらいいのかわからない』という、使っている自分自身が混乱し、
不明に陥るような事態にはならなかったはずだ。

初めて足を踏み入れたモダンという環境であり、
久しぶりに手を出した構築というフォーマットでもある。

だが、自分が選択したデッキと絆を築けないまま、大会へ出るごとに増える敗北の数は
徐々に私にデッキへの不信感を抱かせていった。

2《選択》

人生の暗黒期において、そこから抜け出すための手がかりを見出す事は非常に困難である。
人生の重大な局面に比べれば、カードゲームで勝てない事などかすり傷ですらないが、
しかしそれでも、その行為に少なからず時間と労力と金銭を費やしたのであれば、
それは紛れもなく自分という存在を構成する一部分であり、その行為によって躓く事は
喉に刺さった魚の小骨よりも、心中にしこりを残し得る。

私にとって幸運だったのは、訪れた店々で出会ったプレイヤー達が、私よりもMTGというゲームにおいて経験があり、そしてその知恵や経験を快く教えてくれた事だ。

「信仰なきものあさりは捨てないほうがいい」

これは横浜の某店での店舗大会の際、対戦相手となったプレイヤーの方からもらったアドバイスだ。
その時の試合の局面において、フェニックスを墓地から戻す呪文三回のストーム――そのうちの一回を稼ぎ、しかもライブラリーからさらなるフェニックスをも呼び込み得る信仰なきものあさりを無闇に捨てないほうがいい、という事だった。
イゼットフェニックスの使い方を全く理解出来ていなかった私にとって、そのアドバイスは大袈裟でも何でもなく、目の前の混迷を晴らす手がかりの一つとなった。
これまでの試合経験から、対戦相手と交わす感想戦での会話によって、『試合で学びを得る』という言葉の意味が少しずつ理解出来てきた。

3月17日。負けが重なり、くやしさで頭がいっぱいになった私は、勢いそのままカードを買い、赤単フェニックスにデッキを作り替えた。友人の一人がホロウ・フェニックスへの変更を提案してくれた。赤単フェニックスが駄目だったらそちらに変える事も念頭に入れた。


自室で全てのカードをスリーブに入れ終え、シャッフルし、初手七枚を引いた。
強そうには見えなかった。いや、どんな手札であっても、そこから自分が勝っている姿を想像する事は出来なかった。MF横浜まで、もうひと月を切っている。今からデッキを変えて、それを物にする事は出来るのか?トップメタであるイゼットフェニックスを握ってさえ、勝利する事が出来ていないのに?

再び、スリーブからカードを抜いた。同じ負けるにしても、少しでも経験を積んだデッキを使うほうがマシだ。まだ、そのほうが希望があるように思えた。そして選択すべきは、いついかなる時でも、わずかでも希望が見えるほうだ。

友人からメールが入った。
『やはりイゼットフェニックスでいったほうがいいんじゃないか』と。
私はメールを返した。
『俺もそう思う』

3《幻視》

4/5~4/7
14戦3勝11敗

敗北に次ぐ敗北。だが、ネットの記事と配信動画と対戦経験が、徐々に『何をすべきか』が見えてくる。それでもなお、勝てない。
だが、〝声〟が少しずつ聞こえ始める。

4/13
3戦2勝1敗
MF横浜を一週間前に控え、ようやく勝ち越しの戦績を得る。

4/14(MF前最終練習)
5戦4勝1敗(うち1勝は不戦勝)

奇しくも、かつてイゼットフェニックスを使って戦った相手との再戦があった。
前回は敗北した。今度は私が勝つ番だった。

勝利が曇っていた目を晴らしたというのは間違いない。
だがもはや、与えられた手札を見て思考さえ出来なかった自分はいない。
選択し、ものあさりし、思考を掃き、勝つための未来を幻視し、時には稲妻のような閃きを得る。
ここにきてようやく、戦うための準備は整った。

4/20(MF横浜本戦)
8戦2勝6敗

悔しかった。せめてもう少し勝てるはずだと思った。楽しさよりも悔しさがわずかに勝っていた。9000円はたいたくじの結果もそれほど良くはなかった。それでも口では楽しかったと言った。

楽しくて、悔しかった。
また大きな大会に出ようと思った。幸いな事に8月にはエターナル・ウィークエンドが開催される。
もはや、このデッキを使う事に迷いはない。
デッキが「勝て」と言う時、その声を聞きとれる自負がある。それでもなお、相手が勝つ事もある。このひと月でそれらを学べた。

イゼットフェニックスが問い掛ける。「ここからどうする?」
私はそれに自信をもって答える。その先に光が見える。

ほの光る紫の弧光が。

~《MF横浜編》了 《エターナル・ウィークエンド編》に続く~

デッキリスト: MF横浜

4 Island (島)
2 Mountain (山)
1 Bloodstained Mire (血染めのぬかるみ)
2 Polluted Delta (汚染された三角州)
1 Scalding Tarn (沸騰する小湖)
4 Spirebluff Canal (尖塔断の運河)
2 Steam Vents (蒸気孔)
2 Wooded Foothills (樹木茂る山麓)
4 Arclight Phoenix (弧光のフェニックス)
2 Crackling Drake (弾けるドレイク)
2 Monastery Swiftspear (僧院の速槍)
4 Thing in the Ice (氷の中の存在)
1 Echoing Truth (残響する真実)
1 Gut Shot (はらわた撃ち)
2 Lightning Axe (稲妻の斧)
4 Lightning Bolt (稲妻)
4 Manamorphose (魔力変)
4 Opt (選択)
2 Surgical Extraction (外科的摘出)
4 Thought Scour (思考掃き)
4 Faithless Looting (信仰無き物あさり)
4 Serum Visions (血清の幻視)

Sideboard:
2 Stormbreath Dragon (嵐の息吹のドラゴン)
3 Dragon's Claw (ドラゴンの爪)
2 Blood Moon (血染めの月)
1 Abrade (削剥)
1 Disdainful Stroke (軽蔑的な一撃)
2 Ravenous Trap (貪欲な罠)
1 Chandra, Torch of Defiance (反逆の先導者、チャンドラ)
1 Anger of the Gods (神々の憤怒)
1 Beacon Bolt (標の稲妻)
1 Shatterstorm (粉砕の嵐)

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4《Gut Shot》
当然の事ながら、私の頭の中でイゼットフェニックスは美少女である。
めっちゃ可愛い。
愛している。

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