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嘘でもファッションでもいいからNO WARしとけ

祖父には13人の兄弟がいて、広島の原爆ドームのそばに住んでいた。
77年前の今日、11人が亡くなった。
父と母は疎開していて助かった。
小さい頃、学校で原爆の話を聞いたので
夕食時に父に言うと、

「その話はやめろ、飯が不味くなる。思い出したくない。」

と怒られた。

「人は台風とか地震とか自然災害は、どんなにつらくても最終的にはあきらめて受け入れることができる。でも、やった相手が人間だと永遠に忘れない。」

と、昔、師に教わった。
だから戦争は終わらないのかな、と思った。

ツイッターを開くと右の隅っこに
「ロシアによるウクライナへの侵攻状況」と毎日、出てくる。
どっちが悪くてどっちに正義があるとかどうでもいい。
愚かな殺し合いに勝者はない。
毎日続く殺人と破壊に、永遠に忘れない「やられた」という思いが連鎖するだけだ。
「ロシアによるウクライナへの侵攻状況」ではなく
「今日の愚かな人殺しと破壊状況」の見出しなら愚行を自覚できるのに。

自分のおじさん、おばさん11人を原爆で殺したアメリカを
父は許していたのだろうか?
正義を語りながら戦後も世界一人殺しを続ける大国を
どう思っていたのだろうか?
そんな話を父としてみたかったな。

戦後の日本が今までの歴史上でもっとも長く戦争をしていないのは、
アメリカがたくさんの基地で守っているからではなく、
戦争を放棄したからだ。
世界中どの国もやっていない戦争の永遠放棄は、人類の悲願だと思う。
日本は(かろうじて)それを現在進行形でやっている国だ。
それがどれだけ稀有な存在か、戦争中の当事国の被災者なら痛感してくれるかもしれない。
馬鹿で愚かな大人たちに流されず、その尊さに気づいて。
世界が終わる前に。


戦争反対。

というか漫画とか音楽とかゲームとか飲み会とか
楽しくゆるい日々を。
平和熱望。

平和とか愛とか幸せとか、
言葉にして掲げ続けることの尊さを。
LOVE.PEACE.NO WAR

合掌礼拝


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