粒子。

 最近、NetFlixやAmazonなどで昔の映画がとてもきれいな画質でたくさん見れるようになった。その中には16mmや8mmフィルムで撮影されたものもあり、その光と陰の粒子やグラデーションを見る度に「きれいな粒子だなあ」と見とれてしまう。

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 僕の最初の作品は17歳で創った短いアニメーションだった。だから最初に買ったのは写真カメラではなく8mmカメラ。アニメを作りたかったのでコマ撮りができる一番安いカメラを新宿で買った。初めての編集ももちろん8mmフィルムでスプライサーというカッターの刃でフィルムをカットし、セロテープで繋ぐアナログなやつ。その後、ライブハウスに行くようになり20歳で初めてライブハウスで撮影した。それは「NO FUN」という20分ぐらいの作品でさらに撮影を続けて「ちょっとの雨ならがまん」(1983年)になった。その後も撮影は続いていくのだが、撮影カメラは時代と共に、sonyのベータ一体型カメラ、8mmVIDEO、MINI-DV、と民生機カメラの性能と共にビデオの画質は向上していったがお金のある仕事はできる限りフィルムで撮影した。それはフィルムのテイスト-粒子-がなによりも好きだったからだ。フィルムで撮影し現像したネガフルムはテレシネという作業を経てビデオに変換する。最終形がビデオなのだからフィルムではなくデジタルだろうと思われるが、ビデオで撮影した素材とフィルムで撮影してビデオにしたものは明らかな違いが出る。もちろんフィルムで撮影してフィルムで上映が一番なのは言うまでもないが。 「ちょっとの雨ならがまん」「ファー・イースト・ベイビーズ」の再ロードショーにあたって8mm、16mmフィルムの原版をすべてテレシネしていわゆるデジタルリマスターとして上映した。特に「ちょっとの雨ならがまん」の8mmフィルムテレシネは、こんなに綺麗にフィルムの粒子を再現できるようになったんだなと感動したものだ。 

 ビデオの画質性能はものすごいスピードで進化し、ハイビジョンが登場、さらに4Kが当たり前となり、8Kまで手が届くようになった。でも映画やドラマにそんなに超細部をクリアに映し出すメリットはあまり無さそうだし、ピントがボケている所があるからこそ奥行きや世界観が出てくることも多い。微生物、自然、宇宙などを撮影する以外はHDで十分だろうと思っていた。映像がクリアで生々しいからオールドフィルムの効果をかけたがる一般人も多いから民生機でこれ以上の画質向上はもういいんじゃないの。と思っていたある日、Amazonプライムで16mmで撮影された1980年代の映画を見た。作品の内容も大好きな映画だったが何気に作品レビューを見てみたら

「画質が汚いが作品は面白かった」

というようなことが書いてあった。「画質が汚い」という言葉にはちょっと驚いたな。ああそうか、今の若い子にはそう見えるのか。あの粒子やあの質感が「画質の悪さ」に見える人もいるんだな。まあ、考えてみれば美味しいものや味覚が違うように食べて育ったものが違うのだから至極当然だ。視覚情報として解像度の低いものは画質が悪い、高いものは良いという分類そのままだから。そういえばそれは電気の明るさにも似ているな。蛍光灯の真っ白い明るさと暖色電球のアンバーな明るさの違いみたいな。僕は蛍光灯の溢れる電化店やデパートに行くと30分くらいで目がチカチカしてくる。蛍光灯のフリッカー、点滅のリズムが目に合っていないのか気持ち悪くなってくる。TVは1秒間に60枚の画像で成立していて、フィルムは24枚の画像で成立している。僕がフィルムの粒子やテイストが好きなのはこの点滅の周期に関係してるのかもしれない。思い返すと昔ビデオドラッグという安っぽいCGが流行った時、どんなにすごい映像だと言われても1つも面白く思えなかったし、しばらく見ているとシラフなのに気持ち悪くなった。ビデオの振動数と周波数が自分には合っていないのか? となると職業としては致命的だ。振動数と周波数が自分に合う合わないは、音楽の好みにも繋がるな。レゲエで気持ちよく踊れる人とテクノが気持ちいい人、ハードコアが気持ちいい人の違いとか。ああ、そうか、「画質が悪い」と感じるのはそれが気持ち悪かったんだ。僕が蛍光灯に感じるそれと同じようなもんだ。それは作品の良し悪しにはもちろん関係ないし。と、Amazonプライムでフィルム撮影された映画を見ながら、映画の内容や技術的なことを考えつつ、目に入った視聴者コメントから色々な妄想のサーフィンを日常的にしてしまう。見た目には貧乏ゆすりひとつせずにPCに向かっていて頭の中だけ目まぐるしく動く注意欠陥多動性障害。そう思うと貧乏ゆすりも振動数と周波数に密接な関係がありそうな気がするが、そもそもは粒子の話。


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