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アレイシ・エスパルガロ選手引退によせて(中編)

2024年5月23日、アプリリアレーシングのアレイシ・エスパルガロ選手(34)が今シーズン限りでの引退を発表しました。

MotoGPクラスデビュー~スズキ時代について書いた前編はこちらです。↓

今回は後編とし、アプリリア移籍後から現在までを書こうとしましたが、アツくなってとんでもない文量になってしまったので中編とし、僕の視点から見たアプリリア移籍後から覚醒前夜の2021年シーズンまでについて取り上げさせて頂こうと思います。

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スズキでのチームメイト、ビニャーレスのヤマハ移籍と時を同じくして2017年シーズンにアレイシはグレシーニレーシングアプリリアに移籍。

アプリリアに移籍しRS-GPを駆るアレイシ(#41)
#22はこの年Moto2から昇格してきたチームメイト、
ルーキーのサム・ロウズ

当時のアプリリアは現在と違いあくまでサテライトチームの扱い、チームもグレシーニの1チームのみでマシンも2台。メーカーとしては、2002年のMotoGPクラス開設から3年間、自社開発の並列3気筒エンジンを搭載したRS³(RS-Cube)で参戦するも成績を残せず撤退。2015年からV4エンジンのRS-GPで復帰するも2年間目立った成績が残せておらず、優勝争いに加わり始めていたスズキからの移籍はまさに「都落ち」のような状態でした。

競争力、信頼性の無いマシンに輪をかけるようにチームメイトもこの年中量級クラスから昇格してきたばかりのロウズ。マシン開発も実践での成績も一身に引き受けざるを得なくなってしまったアレイシでしたが、移籍初戦の開幕戦カタールGPでは早速上位争いに加わりチーム歴代最高位タイとなる6位フィニッシュ。自身の走りでチームのやる気に火をつけました。

2017年開幕戦カタールGPで6位を獲得
真ん中でピースしているのがグレシーニ監督

「たかが6位で喜びすぎだろ」と思うかもしれないが、
このメーカーのマシンがこれ以前に6位を獲得したのは
14年前の2003年、コーリン・エドワーズによる
開幕戦鈴鹿まで遡る

この年はマシントラブルが頻発し18戦中8度もリタイアを余儀なくされるも、たびたびトップ10内でフィニッシュし8戦で62ポイントを獲得。後半戦のアラゴンではふたたび6位を獲得するなど時折素晴らしい走りを披露しました。

しかし依然参戦している6メーカーの中では圧倒的に最下位のパフォーマンスであることは間違いなく、中量級クラスのライダーからも、「アプリリアで走ることはキャリアにおいて無駄な時間」「あのチームから最高峰クラスを走るくらいなら中量級に残る」といった声が聞こえてくるほど絶望的な状況でした。コンビを組んでいたロウズも1年間で5ポイントしかあげることができず、中量級に戻ってしまいました。

翌年2018年は、こちらもまさにプラマックドゥカティから"都落ち"してきたスコット・レディングがチームに加入。アレイシは、獲得ポイントは前年より伸びずランキング17位に甘んじるものの、引き続きマシン開発に尽力。しかしアプリリアは翌年のチームメイトには新たにアンドレア・イアンノーネを起用することを早々に発表。レディングは新天地でのレースをわずか6戦消化しただけの段階で翌年のシートを失うこととなりました。

アプリリア放出後の19年には母国イギリスに戻りイギリススーパーバイク選手権のチャンピオンを獲得、20年にはスーパーバイク世界選手権にドゥカティファクトリーから参戦し熾烈なタイトル争いを繰り広げたレディングは、のちにアプリリアにいた1年について「キャリアを台無しにした、空虚な1年だった」と語った。当時のアプリリアは、マシン開発が遅々として進まない上に、2年続けて引き入れたばかりのライダーを成績不振を理由に放出するなど、傍から見てもチーム内の結束や信頼性に問題があることは露呈していました。

軽量級・中量級でも若かりし頃から何度も優勝、
表彰台を獲得してきていて、最高峰クラスでもホンダと
ドゥカティでの表彰台があったレディング

アプリリアに移籍した2018年は走らないマシンに、
チームの自分に対する冷遇に憤りを隠せませんでした。

2019年にはMotoGP優勝経験もあるイアンノーネがチームに加入(ただしもちろんスズキからの"都落ち"だが)。アレイシがこれまで組んできたチームメイトの中では1番競争力があり、この年の獲得ポイント63・年間ランキング14位だったアレイシに対し少差の43ポイント・16位につけていた。しかしイアンノーネはこの年のマレーシアGPのドーピング検査に引っかかり、翌年から4年間国際レースへの出場停止処分となってしまいました。

改善の兆しが見えてきたチームと共に再起をかけるべく
2年目に臨もうとしていたイアンノーネ(右)だが、
出場停止処分によりあえなくチームから離脱

4年の出場停止処分を経てSBKでドゥカティから復帰すると
ブランクを感じさせない走りで復帰戦から表彰台を獲得

当時から彼のドーピングを疑う関係者やファンもおらず、
スポーツ裁判所の裁定については未だに
不当であったという向きの意見が多い


3年連続でチームメイト交代の憂き目に遭うアレイシ。チームはイアンノーネに対する裁定が覆ることを信じ、2020年は新たなライダーは引き入れずテストライダーを担当していたブラッドリー・スミスとロレンツォ・サバドーリを代役に立ててシーズンを戦った。それらしき進展はなかったが、実戦を踏まえて普段からマシンをよく知る2人のテストライダーと共に熟成を深めていった。

アプリリア加入5年目となる2021年、チームメイトにはサバドーリを起用。この年、アレイシが5年かけてマシンを育て上げた努力がついに結実します。アレイシはシーズン3戦目のポルトガル、続くスペインと最高位タイの6位を連続で記録すると、11戦目まで3度のリタイアがあったもののそれ以外の完走した全てのレースではトップ10フィニッシュ。そしてついに第12戦、イギリスGPにて3位表彰台を獲得。メーカーとしては2ストロークマシン時代の2000年イギリスGP、ジェレミー・マクウィリアムス以来21年ぶり、自身にとってはフォワードヤマハ時代の2014年以来7年ぶり。そしてなによりアプリリアの4ストロークマシンとして、チームとして史上初の表彰台を獲得しました。

念願のワークスライダーとして、
自身が5年を費やして開発したマシンで
歴史的な表彰台獲得
この時すでに32歳

このシーズンは以降のレースも完走したレース全てでトップ10をハズさない安定感を披露、120ポイント・年間ランキング8位で終えました。翌年には、ヤマハから移籍してきたスズキ時代のチームメイト・ビニャーレスがチームに加入する予定でしたが、ビニャーレスが2021年シーズン途中に解雇されたため、この年の第13戦からサバドーリに代わりアプリリアに合流してきました。

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後編は、覚醒の2022年シーズンから引退発表まで書こうと思います。お楽しみに。

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