「ドラゴンボール」の40年
11月20日、「ドラゴンボール」(鳥山明/1984-1995)の連載開始から40年が経過した。
連載終了後の20周年には、加筆修正された完全版が発売、30周年には原作者が深く関与する新作映画・新作テレビシリーズが放送されるなどし、作品と関連コンテンツを含めた総売り上げは3.4兆円に達する国民的作品の中でも突出したビッグタイトルである。
40周年となる今年は、原作者がこれまで以上の「深さ」で作品に関わっているアニメシリーズ「ドラゴンボールDAIMA」が10月より放送を開始したが、残念ながらその放送を見ることなく、原作者・鳥山明は3月1日に逝去した。
今回は、40周年を記念し、作品について語りたいと思う。
「ドラゴンボール」の生まれた時代
「ドラゴンボール」が誕生した1984年は、バブル景気(1986-1991)を目の前にした大らかな時代で、漫画・アニメ業界においては、劇場版「宇宙戦艦ヤマト」(1977)に始まるアニメブームが作品のジャンルをさらに押し広げた後の時代である。
SFアニメブームの沈静化(ユーザーの高年齢化)に伴い、アニメ界は再びターゲットを当時の小学生(団塊ジュニア世代)やファミリーにシフトし、映画界でも「E.T.」(1982)、「ネバーエンディング・ストーリー」(1984)、「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」(1984)、「グーニーズ」(1985)といった子どもが楽しめるSF・冒険・ファンタジー作品が次々と作られた。
漫画界では「うる星やつら」(高橋留美子/1978-1987)、「タッチ」(あだち充/1981-1986)に代表されるラブコメ作品がブームであり、依然としてターゲットは10代後半であったが、出揃ったジャンルから徐々に団塊ジュニア世代をターゲットにした作品へとシフトしていく時代であった。
「ドラゴンボール」の持つSF・冒険・ファンタジー色、孫悟空という大らかなキャラクター、自身の努力と探求の先に自己実現と成果が信じられる作風は、この時代の空気がそうさせたのではないだろうか。
「ドラゴンボール」の魅力
「ドラゴンボール」が時代を超えて愛される理由は、細かくは様々あろうが、詰まるところ圧倒的な画力とドライな作風にあると思う。
整理され洗練されたデザインと画面の構成力は、年少の者から大人まで満足させる分かりやすさと深みを持ち合わせている。
通常、漫画家にも作画の得手不得手があるもので、得意な角度を多用したり、一コマ一コマ正確に動きを描く労力を惜しんで、動きを省略して誤魔化したりといったことがあるものだが、「ドラゴンボール」にはそれが無い。
戦闘シーンなど見ると、あらゆる角度から描かれても破綻が無く、キャラクターの位置関係や繰り出したパンチや技の動きなどが明解で魅力的だ。
「ベタ塗りや背景が面倒臭い」と公言する作者だが、不必要に描き込みを行わないことが、かえってキャラクターと動きの魅力という「漫画」本来の面白さを際立たせているように感じる。
加えて長期作品でありながら、キャラクター毎のストーリーがシンプルで、シリーズのどこから読み始めても難解なところが無い、間口の広さがある。
キャラクター同士の心の機微や大感動といったものが極端に無く、前回の強敵がしれっと仲間になっている(ジャンプシステム)ことにもさして違和感がない。
昨今のマンガは、凝った設定や奇抜な発想、難解な伏線などが評価されることもあるが、普遍的に愛される漫画というのは、肩ひじ張らずに手に取れる作品なのではないだろうか。
それをストーリー漫画でやってしまえるのは、作者が一話完結のギャグ漫画を得意とするところにルーツがあるのかもしれない。
「ドラゴンボール」の今後
現在放送中の「ドラゴンボールDAIMA」は全話の製作が完了しているということなので、作者は没してしまったが「DAIMA」には作者の意思が多分に反映されていることだろう。
では、その後はどうなるだろうか。
「ドラゴンボール」は連載中からアニメ用にオリジナルエピソードは多く作られているので、なんらかアニメ作品を継続することは可能だろう。
他の国民的アニメ作品同様、作者没後も声優を交代しながら延々と続くのは想像に難くない。
しかし、作者が介入しなかったオリジナル作品と作者が関わった作品では、やはり見応えが違う。
「ドラゴンボール超」での「強さ」に対する捉え方の深化、ブロリーのリブートなどは、やはり作者でなければ出来ない試みだった。
「ドラえもん」の映画が作者没後に「冒険」や「友情」に終始してしまって形骸化しているように、「ドラゴンボール」も原作のイメージから離れられず、劣化版を見させられるのではないだろうか。
いっそ、野沢雅子が継続できなくなった時点でリブートして、初めから原作準拠で描き直した方が良いのではないかと思う。