四半世紀を超えて
こんにちは、Qnoir青山でフリーランス美容師をしている小川泰明です。
みなさま、お久しぶりです。
遅ればせながら、2023年もどうぞよろしくお願い致します。
さて私事ではあるのですが、ある時から新年のご挨拶の際「明けましておめでとうございます」を言わなくなりました、というより敢えて言わなくなったという方が正しいかもしれません。
「今年もよろしくお願い致します」だけのご挨拶にさせて頂くことがほぼ常になりました。
もちろんお相手から先にその言葉が出てきたら自然な流れでお返ししますが、基本的に僕からの第一声で「明けましておめでとうございます」が出てくることは基本的にはありません。
それには、実は若い頃の経験が根強く残っているんですね。
それはまだ自分がアシスタントだった頃、先輩のお客様で技術はもちろん接客、挨拶やマナーにもとても厳しい方がいらっしゃいました。
新年を迎えて間も無く、自分がその方のシャンプーを任される際に、不意に「明けましておめでとうございます」とご挨拶をしたところ「喪中の方もおられることを忘れてはいけませんよ」とご指導を受けたことに起因します。
(実際はかなり厳しいお言葉でご指導頂きました。)
この出来事、人によって様々な捉え方をされるかとは思いますが、20代前半の若者だった自分には理不尽以外の何者でもありませんでした笑
それでも何となく自分なりにその言葉の意味を噛み砕いた結果、20年近く経つ今でも、これまた何となく「明けまして〜」は言い辛い言葉になってしまったわけです。
とは言え世間一般での認識や捉え方もありますし、その言葉を使うことに対してあーだこーだ言うつもりはまったくありません。
先述の通り、言われたら普通に言いますし。
若い頃のこの経験は、
「いろんな環境でいろんな立場の人がいて、それぞれの境遇でそれぞれの事情を抱えて人生を送っている方々への思いやりと心配り」
それを今でも僕に訴えかけてくれるとても貴重な学びでした。
さて、前振りが長くなりました。
ここからが本題ですので、スマホの灯りはそのままでお願いします。
RUN
ほぼ化石と化している僕のインスタ(美容師アカウントのストーリー)をご覧の方ならご存知かと思いますが、実は小川、新年から朝ランを開始しております。
朝の遅刻を回避するためのダッシュではありません。
朝のゴミ捨ての時間に間に合わせるダッシュでもありません。
自らの意思を持って「走る」ことを始めました。
僕の記憶が確かなら、、
高校2年生でバスケットを辞めて以来、真剣に走ったなんて記憶はありません。
筋トレに夢中になりジム通いをしていた30代前半の時でさえ、一切走ることはしませんでした。
およそ四半世紀ぶりのRUNです。
皆さまご存じの通り、2022年7月を以って完全なる断酒に挑戦している小川なんですが、やればできるもんですね、断酒生活も既にイージーモードに突入しておりました。
来たるべく2023年に向けて何か新しいことはできないかということで、元旦からの朝ランを開始することに至りました。
大した距離も時間も走っていません。
朝布団から出れずに走れなかった日ももちろんあります。
それでも1ヶ月かけて、1kmあたりのラップタイムは1分以上縮まりました。
おいおい、走るってこんなにしんどかったっけ。。
僕がおじさんだからなのか、運動不足だからなのか、根性がないからなのか。。
走るってしんどい。。
そう思いながらも、朝の重たい身体を寒空の下に投げ打って頑張っております。
他人から見たら僕の朝ランなんて、大したことはない距離でしょう。
意味のない時間って言われるかもしれません。
毎日やってないのに偉そうだな、とか。
ショボいタイムだと馬鹿にされるかもしれません。
それでも、ナイキランクラブのラン記録だけは僕がどれだけ走ってきたかを愚直に積み上げていってくれています。
文句があるならやってから言ってみろ。
これ僕が朝ランから学んだこと。
いや、逆ですね。
自分がやったこともないことに文句を言う権利はない。
こっちの方が正しいですね。
自分にもしっかり当てはまることなんですが、人は他人がやることなすことに口を出したがる生き物で、特に自分がやったことのないことやできないことに対しては否定的な境界線を張りがちです。
本当は向こう側に行きたいのに、向こう側がうらやましいのに。
やらない理由とできない言い訳で形成された分厚い境界線。
その境界線を越えるためには、やっぱり挑戦してみるしかないんですよね。
上手くできたとか、大きな結果が出たとかにそんなに大した意味はないと思っていて、「やろうとしてやってみた」ことが最も価値があることなんだと思います。
誤解のないように言いますと、僕は別に健康のために走ってるわけではありません。
ましてや誰かに自慢したくて走ってるわけでもありません。
走り終えた後の苦しい息切れと引き換えに手にできる、小さな充実感と自己肯定感、これを強烈に欲して走ってるんですね。
「何かに挑戦していないとダメになる」
大人になってからもう幾度となく味わってきたのは、きっと僕だけではないはずです。
早く走れたとか、走ったら痩せたとか、走ることによって得られるものにはまったくフォーカスもコミットもしていません。
ただひたすらに走る、そのあとにいろんな成果がついてくればいい。
すべての挑戦に大きいも小さいもなく、その先にある結果や成果なんてものはひとときのご褒美みたいなものであって、固執したりこだわりすぎる必要ってあんまりないと思ってます。
挑戦の本質は挑戦し続けること。
小さな一歩を前へと踏み出し続けていくこと。
四半世紀ぶりのRUNは、小川にそんなことを教えてくれています。
2023年も始まったばかりです。
今年のあなたの挑戦を是非小川に教えてください。
最後までご覧頂きありがとうございます。
改めまして、本年もどうぞよろしくお願い致します。
小川泰明
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