禅問答:自分へのコミットメントや難しい目標、プレッシャーとの向き合い方
その目標はどこから?目標の達成見込みは?
皆さんは、仕事においてリーダーシップをとらなければならない、
あるいは成果を出さなければならないというプレッシャーを何から感じますか?
役職・職責、ノルマ・・・
色々なものがあると思いますが、他者に設定されたものか、自分が設定したものかが特に重要なのではないかと思います。
私は、過去の自分が設定した目標に対して、数年間かけて成果を出さなければならないが、一定期間進捗が芳しくないという状況に直面しており、これに対してどう向き合うかを問われて(いるような気がして)、しかしながら自分を含む組織の現状から達成するのがかなり高い目標になっていることにしばらく悩んでいました。
厳密にいえば今も変わらない目標のままなのですが、自分の”心身の置き所”を自分なりに工夫することで、精神的にネガティブではなく、前向きにそれと向き合い、楽しもうと思えるようになっています。今日は、そのことについて記事にしたいと思います。
その目標の位置づけ
私は大規模な組織に所属しているので、経営目標の中で自分が責任を負うような目標については、幾分かの組織レイヤーをブレイクダウンされて”部”レベルの目標に落ちてきて、その中でいくつかのテーマを持つ(いわゆるMBO)の中で、1つのテーマを持っているという位置づけです。
MBOの良し悪しについてここでは議論するつもりはありませんが、自分にとっては目一杯の目標だったとしても、より大きなレイヤーの組織や会社レベルで見ればごく局所的な目標になる、というわけです。そうなってくると、所属している組織がどのようなウエイトを置かれているか(重要性)が大事になってくるわけですが、これは自分にコントロールできる変数ではないといってもよいでしょう。
誰に向けたもの?個人としてはどう向き合う?
組織レベルの目標は、その組織長が代表してオーナーシップをとるものだと考えます。ここでは、「代表」ということがポイントです。結果責任や、プロセスにおけるリソース配置などについては組織長が責任を持つべきですが、実行レベルにおいては組織長が責任を持つのではなく、実行者にも間違いなく責任はあると考えます。
日本では、組織体系と報酬体系が分かれており、上位者が人事制度・組織体系上下位の人間の責任を負うような場面が多いと思います。しかし、場合によっては実行者により難易度が高いJobが与えられていて、それを実行していたとしても不思議ではないと思います。
この点に触れた理由は二つあります。
会社、仕事での責任を会社の枠でとらえるか否か
プロフェッショナリズムなどのよる自分ごと化の具合はどうか
1つ目の点については、会社に長く所属しているとこれらは曖昧にも一体化している場合も多いのではないかと思いますが、例えば、私は会社の目標だからといってそれが業績だけに影響するとは考えていません。具体的には、私は自分の目標を達成することが、同じような課題に悩む社会や世の中
への影響、所属したメンバーへの新たなキャリアプラン・成長の機会、仕事でかかわる人たちと一緒に作るエコシステムによる社会へのインパクトなどに通ずると考えており、会社での成果を捉える多角的な軸を持っています。
2点目に通ずる自分ごと化は1つ目の点でも少し重複して表現されていると思いますが、目標は達成さえされればいいのではないと考えています。いかに意味のあるプロセスを過ごし、そこから何を得られたか。成功だけでなく失敗とも向き合い、軌道修正を正しく組織に申し立てできるかといった点も重要と考えます(申し立てといったのは、私が組織長ではなく、それを自分がやれる責任を持っていないからです。自分が組織長ならば実行することが求められるでしょう)。
必要以上の自分へのプレッシャーを抱えてしまう
ここまで書いてきたことは、皆さんから見るとそこまでやる必要があるのだろうかということが含まれていたと思います。私もそう思います。本来は何事も行き過ぎないことが重要です。
私が悩み、不安に陥っていた時に考えたことは以下のようなものでした。
不確実性・リスクからか考えると確度・自信を過度に持ちすぎることは非現実的。なぜなら最初から一定期間楽観的に、目標が達成できなくても都度軌道修正して走ってきたというのもまた事実だから
自分が言ったことが実現できないとすれば、それはほかの人に責任を期することなく自分の責任である。だが、現実には周辺の人と責任をシェアすることしかできない
すでに組織やチームも一定大きくなってきた。そのため難しい目標をほかのメンバーにも目指させることになるのではないか
これがうまくいかず、この取り組みをやめることになるのであれば、適所適材の考え方から見れば自分はここから去る必要がある(仮にほかのことが出来ると他者が判断したとしても)
気づきは「自分自身」と向き合い、受け入れることから
Will/Can/Mustのフレームワークに照らして考えると自分のメンタリティを説明できると思います。
Must: 達成しなければならないゴール
Will: 自分がこうあらなければならないという自己心酔ともいえる心境
Can: あるべき、ありたい姿にとらわれ足元が見えていない
つまり自分にできること(Can)という視点が欠けていたように思います。もし、目の前の仕事だけに一生懸命になっていたら、その状況を脱することは難しかったと感じています。結局のところ、急に今の自分以上の能力を発揮して何とかすることは絵空事であり、成長には時間がかかるという事実と向き合った瞬間、少し地に足をつけることが出来ました。
私にこのような現実を突きつけてくれた直近の出来事は具体的にいろいろあるのですが、中核にあるのは「語学力」です。
特にMBA Internal Businessでは、政治・文化やディスカッションの場面では知識にあっても知らない言葉・単語が溢れており、Assignmentの読解やレポートの準備、数学などの基礎的な学習を英語でやることの難しさに直面していることです。常にGoogleなどである重要な語句が出てきたときに、日本語に変換しないとなかなか理解が進みません。問題文も厳密に理解していないと問題を誤解し、知識は入っていても解答を間違えてしまいます。ミニテストでの点数などを見て、その難しさにアジャストしていかなければならないと、自分の実力と向き合っています。
そうやって自分が万能ではないと思い知り、成長にもコミットする必要があるということを思い出しました。
やれることをしっかりやるしかない
成長という観点では、自分にプレッシャーをかけすぎては「成長」という形で難しい目標に貢献する際のパフォーマンスが低下してしまうことにつながります。また、今の自分で達成するのが難しい目標であるとしたら、自分の成長が難しいゴールに近づくための重要なファクターのため、目の前の仕事に追われすぎないような状況を作ることもまた重要です。基本的にはプロフェッショナルのあり方として、「成長」を織り込んだものにしていくということが重要で、自分の成長すら不確実要素・リスクといえるでしょう。
色々考えてみたとしても、結局今自分にできることやできていないこととしっかりと向き合うこと。特にできていないけどやる必要があることについて全力で向き合うことが成長につながるのだと信じています。
結局は出来もしないことに悩むこと、その時間は無意味であり、そうであれば出来ないことをできるようになるために時間を費やすほうが建設的であるのは異論の余地がないところだと思います。
結論
いくつかの観点で最後にまとめを述べておきます。
プロフェッショナルの視点から:
目標達成のプレッシャーは、組織や自己設定から生じます。組織目標を個人の成長や社会への影響と連携させ、意味あるプロセスを考えるなど、より包括的な視点で考えることは重要です。ただし、包括的な考え方をすることはよりプレッシャーを高める可能性があります。そのような場合、失敗から学び、適切な調整を行いながら、個人としての視点も忘れずに実現可能な目標に焦点を当てることが大切です。組織と個人の関係性に焦点を当てて:
目標はしばしば組織全体の方針によって設定されますが、個々の責任感と自己認識を持って取り組むことが重要と考えます。個人のキャリアや成長にとって意味のある目標を見極め、自身の能力と状況を理解しながら、プレッシャーを管理することが求められます。一方で、個人の思いや取り組みが反映されすぎているときに、自己投影しすぎないことが重要だと思います。自己反省と現実的な目標設定に基づくアプローチ:
達成困難な目標に直面した際、自分自身との向き合い方が鍵を握るのではいでしょうか。現実的な自己評価と、目標に対する新たな視点が、不確実な状況下での精神的負担を軽減し、成長へと導きます。自分にできることに集中し、必要なスキルや知識を磨くことで、適切なバランスを見つけましょう。特に、「自分にできていないこと」を見つめる機会を作ることで、己を知り、成長と向き合いやすくなる手段ではないかと思います。
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