私が日記を書く理由

3年以上毎日継続している日記を、ときどきはここに共有しようと思っています。

どうして日記なんかを書いているのか、どうして毎日続けているのか、しばしば問われますが、結論から言うと、理由は「自分でもよくわからない」部分が非常に多いのです。

日記を書き始めたきっかけはパンデミックでした。世界のあり方が突然にして変容し、輝かしい日常は奪われ、大学生という生き物は何かと社会から隔絶され、我々が発する数多の悲痛な叫びは虚空を舞っていた。
きっと当時の私は「何をしていたのかわからない日を1日も作りたくない」と、コロナ、そして世界に対してのささやかな抵抗のつもりで始めたのだと思います。

日記とはタイムカプセルのようなもので、過去の等身大の自分に会うことができる。
そして現在の等身大の自分を未来の自分に会わせることができる。
あるいは、自分以外の誰かに会ってもらうこともできる。

巻き戻しのきかない人生、取り返しのつかないことばかりです。
そのやるせなさの源泉を探るためには、損傷したデータである過去を見つけ出して修復する装置が必要不可欠なんです。
それが私にとって日記だったわけで、人それぞれ、写真だったり、場所だったり、歌だったり、本だったり、映画だったり、味や香りだったりする。

その装置には現在を劇的に変えるような機能はなく、ただ現実をつきつけてくる機能しかありません。そして多くの場合、それは冷たい現実です。
しかしその装置は現実を、やるせなさを受け入れて前に進むための、はかない可能性が提示してくれます。日が昇ったらもう思い出せなくなってしまった夢のような、そんなはかない可能性が。

人は大抵、常に何かと闘っています。
日記は私の小さな歴史。
His story。
お付き合いいただけたら嬉しいです。

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