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小倉(こくら)とは何か

今年、撮られて一番嬉しかった写真の話。

平和のまちミュージアムさん主催の、「小倉とは何か」についての講座を、磯崎新が作った三浦梅園の玄語図をモチーフにしたステンドグラスの下で、「小倉とは人や文化が交わる多様性の都市だ」という内容をお伝えした時の写真。

北九州市立文学館さんにて

とても嬉しかったという話

正確に言うと、11月に”私たちのまち「小倉」を考える”というシリーズ講座があり、その第1回の講師を務めた。正直「小倉」と言っても観点が様々にあるため、小倉城庭園からみた「小倉」ということでお話しさせていただいた。

その細かい部分に関しては、こちらの記事で書いていく予定。(1月1日に公開予定)小倉城庭園の中の人として週1程度、何かしら書いていくことにした。小倉城マガジンとしても続けていきたいので、フォローしていただけると嬉しい。

公式には書ききれない(書けない)、私個人の想いをこちらに書いていくことにする。

今回のこの写真は、先方の担当者さんに撮影していただいたのだが、正直とても嬉しかった。なぜなら、ここは私の憧れの地であったからだ。北九州市立図書館の中にある(併設されている)文学館だ。

北九州市立図書館は不思議な形をしている。上から見るとチューブ状の形をした建物で、1975年に磯崎新という建築家が作った、いわゆる「ポストモダン」と言われる建物だ。

北九州市立図書館

画像は公式HPからお借りした。

この、チューブの中に、先程のステンドグラスの哲学が金太郎飴のように詰まっているそうだ。磯崎のお弟子さんから伺った。

このステンドグラスが表現しているのが、三浦梅園という江戸時代の国東半島にいた哲学者が表現する「玄語図」だ。例えばこんな図だ。

三浦梅園はその哲学を様々な図に興した

これらを参考にしてステンドグラスにした磯崎のデザインが、文学館のHPに「塗り絵」として公開されている。→こちら (PDFが開きます)

それこそ4年ほど前に、磯崎がプリツカー賞を受賞したときの記念で、お弟子さんがガイドしてくれるツアーに参加して以来、三浦梅園のファンになってしまった。その年末に、国東にある三浦梅園記念館へ伺ったことが昨日のことのように思い出される。

詳細はまた別途書いていくが、北九州が進むべき道としての「平和、女性活躍、平等、そして西洋と日本のバランス」を磯崎がこの場所にわざわざ残したのが、このステンドグラスなのであろうと思っている。チューブのどこを切っても同じ玄語図が僕らの目の前にはある。そのチューブはきっと北九州の至る所に伸びている。

そのように、僕にとっては非常に重要で畏れ多い場所での講座だったのだ。さらに文学館も、僕がエッセイコンテストに出した文章にあるように、憧れの地のひとつだった。

竹あかりと「祈り」
https://kitaq.style/essay_2nd_007/

というわけで、とても嬉しかったというのが、ここまでの話。

小倉城庭園がある場所と、玄語図と小倉のつながり

ここからは、書いている本人も、まだ未到達の概念の話。

先程紹介した小倉城庭園の中の人としての記事(1月1日公開予定)で詳しく説明する内容を簡単に説明してみる。

・「企救の浦」→「小倉」という説あり
・「企救の浦」→「紫川下流域」
・「企救の高浜の浦」→小倉城庭園(小倉城下屋敷跡)
・小倉城庭園がある場所が、小倉の発祥???

という流れがひとつある。そして、この「企救」という言葉は、万葉集では「聞」と表現されており、また「規矩」とも表現されている場合がある。例えば小倉一の宮である蒲生八幡宮はもともと、今の井筒屋あたりにあり「規矩八幡宮」と呼ばれていたこともあるそうだ。

北九州市誌より

三浦梅園の哲学の中にも「規矩」についての表記があり、「規は円弧、矩は直線」と表現してる。この挿絵で、玄語図が3Dアップデートされる。

この形

そもそも、木造建築の加工技術として「規矩術」と表記する場合もあるらしいので、円と直線の話は割と当たり前なのかもしれない。コンパスみたいなイメージですね。

円はひとつの観点から見た世界で、中心の直線は時間軸と捉えるのが正解だと僕は考えていて。銭形平次が持っていたような、銭の束のように世界が連続して繋がっていると考えると、先程の図書館の建物がチューブ状であることも納得がいく。どこを切っても金太郎飴ではあるかもしれないが、それは時間の経過という要素は確実に追加されるように思える。時間が違えば別のものだと思う。

時間軸を中心として世界が広がっていくとき、それは5次元の世界であるし、三浦梅園はそこまで考えていたことは間違いないと思う。

ここまでで、小倉の「こく」と「きく」の関連性は何となく見えてきた。(気がする)となると、あとは「ら」ですよね。(急に敬語)

「矩」が時間なら、「ら」は螺旋の螺でしかありえないと思う。直線のエネルギーは螺旋のエネルギーを伴って強く推進するのだ。そう、俺たちの魔貫光殺砲のように。

ドラゴンボールで説明するのが一番わかりやすい

磯崎が意識していたかどうかはわからないが、その円と直線を「規矩」+「時間軸」として、この小倉(規矩浦)に残したのあれば、こんなにクールなことはないと思う。

その「規矩」というコンパスの針の部分(中心)は、たぶん小倉城庭園がある場所なんだろうなと、勝手に想像しているわけです。ここに流れる時間のエネルギーを、人と人が出会うために、人が文化を愛するために、人が歴史に触れるために使っていくのが、この場所らしさなんだと思う。

追伸:この記事、さすがに読みづらい内容なので、後半は消すかも…

小倉城庭園というメディア

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